葉月正拳突き

音水薫

第1話 出会い

 木が割れるとき特有の乾いた音が元旦のデパートに響いた。

 葉月が音の方角に顔を向けると、そこには人だかりができていた。彼女は先を進む友人たちから離れてそちらに足を運ぶ。背伸びして人々の頭の隙間から前方を見やると、一段高くなっていた舞台上に白くゆったりとした空手着を身につけた長身の女性が立っていた。その正面には彼女よりも背の低い中年男性。彼は持っていた二枚の木の板を頭上に掲げた。観客から拍手が起きる。

 葉月が首をかしげていると別の男性が舞台裏から出てきた。手にしているものは三本の木製バット。それらは両端にガムテープを巻いてひとつに束ねられていた。彼は地面に突き立てるようにそのバットを置き、上部を両手で掴んだ。板を持っていた男もバットの下部を同じように持つ。なにがあっても動かすまいとでも言うように、前腕に青く太い血管が浮き出てくるほどの力を込めていた。観客たちは息を呑むように押し黙って舞台上の光景を注視する。

 もっと前に行こう、と葉月は両手に持っていたバーゲン品が入った紙袋を片手に持ち替え、人ごみを掻き分けようとした。格闘技に興味があるわけでもない彼女がそこまでしようと思ったのは、空手着の女性の女性らしからぬ凛々しさや彼女が醸し出す雰囲気に魅入られたからだろうか。もちろんそれもある。しかし、それ以上に葉月が感じていたことがあった。あの人は強い。自分でも自覚できないような根深いところで強さを求めていた葉月はそれらをすでに持っているだろう女性を見ずにはいられなかった。

「ちょっと。どこ行ってんのよ」

 先を歩いていた晴が葉月の袖を引いて人ごみから連れ出そうとした刹那、破裂音にも近い乾いた木が勢いよく折れる音がした。舞台上では女性の黒帯が動きの余韻を残すように揺れている。一瞬の出来事。あまりにも速すぎて、観客たちはバットが折れてからしばらく拍手することもできなかった。しかし、葉月には確かに見えていた。組手構えになっていた女性は右膝を高く持ち上げ、回転させるように足を寝かせて腰を切る。彼女の脛は垂直に立つ木製バットを捉え、袈裟斬りでもするように斜め上から叩き落とされる。足はすり抜けるように止まることなく三本のバットを貫いた。折ったというよりも切ったというほうが適切に思えるような滑らかな動き。彼女は蹴った勢いのまま軸足を回し、もとの構えに戻った。見事な下段廻し蹴り。

「こんなとこで演武なんてやってたのね」

 さきの光景に衝撃を覚えた葉月とは対照的に、晴は涼しげな声でそう呟いた。

「演武?」

「パフォーマンスみたいなもんよ。ほら、フミが待ってるから」

 葉月は手首を掴まれて人ごみから引きずり出されながらも舞台上で礼をする女性から目を離さなかった。そのとき、見物客を見渡していた女性と目が合う。彼女は瞬きもせずに見つめていた葉月に微笑みかけた。驚いた葉月はすこし恥ずかしくなり、視線を落とす。女性の帯には金糸で道場の名と「佐倉真奈美」と彼女の名前の刺繍が施されていた。

 あの人みたいになりたい。それが、葉月が新年最初に願ったことだった。

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