19
「じゃあ俺、行くわ」ユエホワは最後のあいさつをした。「お前も一応、気をつけろよ」
「うん」私はうなずいた。「鬼魔界でおとなしくしとくの?」確認する。
「ああ、ていうか」ユエホワはばさりと翼をはためかせた。「仲間にちょっと、相談してみる。犯人に心当たりがないか、あと探すの手伝ってもら」そこでなぜか言葉を切り、私の方へふり向く。
私はまばたきするよりも早く、返事の準備をした。
「そうだ、おま」
「行かないよ」はっきりと断る。「鬼魔界へなんか」
ユエホワは絵にかいたようなふくれっ面をした。「なんでだよ」
「あたりまえじゃん」私は目をむいて言いつのった。「またニイ類とかダガー類とかに頼んで回らせるんでしょ、誰がやるもんですか、それにその前になんか鬼魔の王様のところへ行かなきゃいけないんでしょ、そんでへたしたら誰かと闘わなきゃいけなくなるんでしょ」こういうことぜんぶ、前に泡粒界へ行った時にやらされたのだ。この詐欺師鬼魔にたぶらかされて。
あのころの私は、ばかだった。
だけど今は、ちがう。
「ぜったいに、行かないから」
「じゃあさ」ユエホワは、けろっとして言った。「お前の父ちゃんは?」
「――あえ?」私は勢いをソガれて、ぱちぱちとまばたきをくり返すことになった。「パパ?」
「もしかして喜ぶんじゃねえか」
「ぜったい、だめ!」私は叫んだ。
叫んでから、母が同じせりふを父にむかって叫んでいたことを思い出した。
「大丈夫だよ、俺がちゃんとそばにいて危険な目にあわせないから」ユエホワは、いけしゃあしゃあとのたまった。
「二度とそんなことを言ったら」私は背中に手を回したけれど、あっ、と思った。
今日は、キャビッチをつめこんだリュックを、持ってきていないのだ。
「う――」リューダダ類のように、うなる。
「ポピ――」その時遠くから、母の呼ぶ声が聞えてきた。
「ママ」私ははっとしてふり向いた。父は、母の箒に乗って二人いっしょにやって来たのだ。「ここだよ――」大声で呼び返す。
「やべっ」ユエホワはあわてて空へ飛び上がった。「まあきいといてくれよ、じゃな」もう一回早口で最後のあいさつをして、今度は本当に飛んでいった。
「ああ、あそこにいた」父の声が聞えた。
母の箒は木々のあいだを抜け、父は母の後ろにまたがって、二人いっしょに私のとなりに降りてきた。「遅くなってごめん」
「もう、どうしておばあちゃんの家で待っていなかったの?」母はむずかしい顔をしてきいた。「キャビッチも持っていないのに」
「あ、えと」私は返事に困った。まさかユエホワを見送りに来たなんて言えない。
「まあ、そんなに離れてないし、大丈夫だったからよかったよ」父はにこにこして何度もうなずいた。たぶんわかってくれているんだろう、父の方は。
でも私は、父にユエホワからの伝言をつたえるつもりはいっさいなかった。
鬼魔界なんて、だれが行くもんですか。
父は、――たしかに父は、よろこんで行く、かも知れないけど。
だれが、行かせるもんですか。
◇◆◇
その後私は、父と母といっしょに聖堂へ行くことになった。
私だけじゃなく、ほかの子どもたち――子どもだけでなく大人も、姿の見えない声だけ、気配だけのクセモノに注意しなければならないと、聖堂から住民の皆に伝えてもらうためだ。
もうすっかり夜になってしまっていたんだけど、ルドルフ祭司さまはこころよく私たちを迎え入れてくださった。
「森の中で」祭司さまは、私たちの話を聞いたあと、おだやかな声でしずかにそうくり返した。
「はい」事情を説明した私は、うなずいた。「小さな声が」
「ふむ」祭司さまは、瞳をとじて少しのあいだ考えていた。「考えられるとすれば」
「はい」私たちは、その答えを心待ちにした。
「妖精、と呼ばれる存在かも知れんな」祭司さまはそう言った。
「妖精?」私たち親子は声をそろえて聞き返した。
「うむ」ルドルフ祭司さまはうなずいた。「ごく小さな、よくよく注意して見ないとわからないほど小さな、森の生き物じゃ」
「まあ、すごい」母が頬をおさえて言った。「本当にいるんですね、妖精って」
「昔は、よく出会えたものじゃったが」祭司さまは昔をなつかしむように、窓の外を見た。「ここ何年……いや、何十年ものあいだ、すっかり姿を消してしまっておる」
「ええ、私もいちども見たことはありません」母は首をふった。「母から話には聞いていましたけれど」
「そうだね、ぼくも見たことがない」父も言った。「そうか、妖精か……気づかなかったな」
「へえー」私などは、そんな存在がいることじたい、今はじめて知ったところだった。「森に住んでいるんですか?」
「昔は、森に住んでいた」祭司さまは過去形で言った。「じゃが、いつしか誰も、妖精たちに会うことがなくなっていったのじゃ」
「でも妖精って、人をさらったりするんですか?」私は質問した。
まあ、人ではないけど。
「うーむ」ルドルフ祭司さまは瞳を閉じて考えた。「人に対してそのような仕打ちをするものではないはずだが……して、だれがさらわれてしまったというのかね?」
「あ」私は言葉につまった。
「あの性悪鬼魔です」母がかわりに答えた。「あの緑色の髪と赤い目の」
「ユエホワという子です」父も説明した。
「おお」祭司さまは目を見開いた。「あのムートゥー類の」
「ああ、祭司さまもご存知でしたか」父の顔がぱっと明るくなった。「彼は非常に賢い鬼魔だとぼくは思います」
「うむ」なんと祭司さまはうなずいた。「あの子は賢い子じゃ」
「祭司さま」母が、なんども首を振った。「どうか思い出してください、あいつがうちの娘にかつてどんな仕打ちをしたのかを」
「うむ」祭司さまはまたうなずいた。「あのときあの子は、その賢さを間違った方向へ向けてしまったのじゃ」
「祭司さま」母はきびしい顔で言った。「私は決して、あいつを許すことはできません。永久に」
「フリージア」祭司さまは、おだやかな声で母を呼んだ。「儂もそなたに、あの鬼魔をゆるせとは、言わぬ」
「でも」母はまた首をふった。「じゃあ、どうして」
「あの時、ポピーは死なずにすんだ」ルドルフ祭司さまは、かつて起きたあのいまわしい事件のことを思い出させた。「それは、どうしてだったかね」
「――それは」母は、とまどいながらも答えた。「私があいつに、キャビッチをぶつけたからです」
父がとなりで、息をのんだ。
「そして今」祭司さまはうなずきながらつづけた。「ユエホワは、ポピーを手にかけようとはしていない。それは、どうしてだと思うかね」
「それは」母は私を見た。
私も母を見た。
そういわれてみれば、確かにそうだ。
ユエホワはあの一件以来、私の前にちょこちょこ姿は見せるけれど、決して私に攻撃をしかけてくることはない――私の方も、今となってはユエホワが私の命を狙ってくるなんてことをまったく、考えたり警戒したり、していない。
それは、どうして?
「それは、そんなことをしたらまた私に、こんどこそ仕留められてしまうと知っているからでしょう」母はきっぱりと言った。
「そう」祭司さまはうなずいた。「そして、ポピーにも」
「え?」母も父も、そして私も目を丸くして祭司さまを見た。
「そんなことをすれば今度は、ユエホワはポピーのキャビッチを喰らって命尽きることになるだろう。彼はそれを知っているのじゃよ」
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