宇宙眼

@toyoiizuka

1

「ぼくの眼、宇宙になったんだ」

 それは突然の出来事だった。

 親友の月彦は学校での礼拝を終えたぼくを裏庭に連れ出してそう言うと、白い医療用の眼帯で隠してあった右目を見せてきた。

おそるおそるのぞき込んでみると、昨日まであった月彦の綺麗な青碧の瞳の代わりに、悠々と回る銀河や数えきれないほどの星が煌めいていのが見えた。

 身震いするほどの美しさに思わず言葉を失い押し黙り、お互いにしばらく見つめあう。風が僕らの間を走り抜け、畑に生い茂る結晶麦がその実を揺らして無数の小さな鈴のような音をあたりに響かせる。

「どうしたんだい、月彦、その眼」

 ようやくそう言葉をだすと、月彦は下を向いて天使の囁きよりも小さく、昨日からなんだ、と言った。月彦の左目から透明の雫がころん、と出てくる。

「昨日、突然こうなったんだ」

 月彦がそう言うと同時に、右眼の小さな宇宙から小さな黄色い金平糖が現れてころころと月彦の輪郭を転げ落ち、胸元のリボンに引っかかったた。いや、違う、これは、月彦の涙だ。だって今、月彦の目から色とりどりの金平糖が、転がり落ちてはリボンに引っかかったり地面に落ちたりしているのだから。

「ぼく、ぼく、どうしよう。昨日ね、お父様がオリオン星に行ったっきり、消息がつかめないと、お父様の研究所から連絡が有ったんだ。もうたぶん」

 そう言って言葉を詰まらせた月彦の瞳から、また金平糖に似た涙がぷくぷくと月彦の眼もとで膨れては、重力に身を任せて転がり落ちる。ころころと小さな鈴の落ちる様な音とともに色とりどりの涙の粒が周囲に火花のようなものを散らしながら転がり落ちる。その上に月彦の涙が落ちると、ソオダ水の気泡が弾ける音がして、ふわりと溶けていった。星彦の涙にぬれたリボンが斑点模様に姿を変え、時折ちかちかと火花のようなものを出している。

 こんな現象は理科の授業でも科学の授業でも習わなかった。こんな奇跡は、聖書ですら読んだことがない。

 現実ではありえない現象を目の当たりにして言葉を失うぼくをよそに、月彦はまた話し始めた。

「ぼく、思わず外に駆け出したんだ。ひょっとしたら、お父様が夜空のどこかにいるんじゃないかってさ。だってお父様が以前そう言っていたから。莫迦みたいだろ。莫迦みたいだけれど、ぼくは必死に星を一つ一つ見て、お父様を探していたんだ」

 そうしたらさ。

 月彦はそう言うと、瞼を力強くあけてこちらを見た。小さな宇宙で煌めく星の光が、混乱するぼくの頭をぼおっとさせる。

「最初は錯覚だとおもったんだ。だけれども違った。星々はだんだんと近づいてきて、ついにぼくの目の前に来て、そうしてぼくの眼をのみこんでしまったんだ。お母様は泣きつく僕の目を見て、どこかに逃げ出したよ。化け物だと、そういわれたよ。僕の左目は宇宙しか見えない。お母様やお父様を両目で見ることができないんだ」

 そうして月彦はわっと泣き出し、数えきれないほどの涙が出てきては溶け、出てきては消えた。ぼくは月彦にかける言葉が見つからず、ただ泣き続ける彼の傍にいてやる事しかできなかった。

 次の日、まぶたを赤く腫らせた彼は、綺麗な青色や黄色の涙をぼくに見せて、何かを悟ったようにこう言った。

「碧星、これは、星が死んだものなんだ。ぼくの小さな宇宙の中で死んでしまった、小さな星」

 月彦はこうも言った。月彦の宇宙の中にある星がすべて死んでしまったら、この右目はまたお母様とお父様を見ることができるかもしれないと。

「でもね碧星。ぼくは哀しいんだ。何故だか分からないけれど、星が死んでいってしまうのが堪らなく、哀しいんだよ。おかしいよね、ただの星なのに」

 それから時々、月彦は輝きを失った星を涙とともに流しているらしい。ある日は夕日色の星を、ある日は入道雲色の星を、双瞼を腫らした彼は見せてくれた。その星たちはまるで水素のように透き通っていて、どの宝石図鑑にも載っていないような魅力を持っている。

星をいたく気に入ったぼくに、月彦は自分の瞳の色と同じ青碧の星を一粒くれた。

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