第33話 アリスとユーミン

「緋色君、あっち向ててくれんか」

「え? あ? はい。わかりました」

「すまんな。男同士でも、ウチは恥ずかしいんや」

「わかってます」


 合コンに出席するのならピンク色のジャージは場違いなのだろう。俺は回れ右をして壁の油絵を凝視する。本物なのか複製画なのかは分からないが、花瓶にさされた一輪のバラが描かれている可憐なものだ。よく見ると、絵の具の凹凸が絵筆の筋で盛ってあるようなタッチで描かれていて、こういうのが本物の絵画なのかと見入ってしまう。絵画には興味がない自分には判断できないのだが、乱暴に盛ってあるような印象の絵具が重なって一輪のバラの花を構成しているのを見て、これはやはり有名な画家の作品ではないのかと感心してしまった。まあ、率直にいって美しい絵だ。


「こっち向いてええで」


 美海さんに声をかけられて振り向いた。そこには可憐な美少女がいた。赤いキュロットスカートに白いブラウス。ピンク色のパーカーを羽織っているラフな服装だが、その脚元の白いニーソックスが何とも可愛らしい。


「似合ってるかな?」

「とても似合ってます。お世辞抜きで」

「おおきに。緋色君に褒めてもらうとウチも嬉しいで」


 冗談抜きで可愛い服装だ。もちろん、美海さんの容姿にピッタリで、茶髪のツインテとの相性も抜群だと思う。


 コンコン。

 部屋の扉がノックされた。


「美海ねえ。いる」

「藤ちゃんか?」

「入るよ」


 入ってきたのは藤次郎だった。彼の後ろには藍が立っていて部屋の中を伺っていた。


「今から大広間の準備をするんだけど、美海ねえはここでゆっくりしていてもいいよ。何だったら緋色君も一緒に」

「気い使わんでもええよ。ウチも準備手伝うで」

「そう? じゃあ今から行くから」


 くるりと背を向けた藤次郎が部屋から出ていく。美海さんは小走りで彼の後を追い、その美海さんの後ろへ俺が続く。俺の後ろには藍がついて来ている。


「スプラは面白かった?」

「凄く面白い。期待以上だったよ」

「買ってよかったな」

「うん、良かった」


 藍も充実した時間を過ごせていたようだ。藤次郎自身もおもてなしが上手なようだから、彼がうまくリードしていたのだろう。


 程なく大広間とやらに到着した。そこは本当に大広間で、結婚式の披露宴ができそうな広さだと思った。ざっと見て八十畳ほどの広さらがあるようだ。


「さあ、長テーブルと座布団を並べるよ。参加人数は20名。高校生は僕たちも入れて10名、大学生の皆さんも10名。長テーブルが8本。5名ずつが向かい合わせに座るように並べよう」


 会議などで使われる長テーブルの脚を半分にして、座卓として使用するらしい。それを縦に二本並べ5名分の席をつくる。そこに二本の長テーブルをくっつけて5名分の席をつくる。これを向かい合わせとして10名座れる島をつくる。同じく四本の長テーブルで10名分の島をつくって基本の席は出来上がった。


「良い感じだね。じゃあカラオケセットを出そう」


 簡易的だが宴会場の端にステージがあり、その上にカラオケ機器をセットする。100インチの大型モニターを奥側にセットし、演者はそちらへ向かって歌うようになる。つまり、観客には背を向ける格好だ。


「試しに曲を入れてみようか? 緋色君は何がいいの?」


 突然話を振られて戸惑ってしまったのだが、何故か口から出たのは「アリスのチャンピオン」だった。今から40年以上前の曲だが、親父の十八番であり何度もカラオケで聞かされてきた。おかげ様でよく覚えている曲になる。


「おお。渋いの選ぶね。ええっと」


 藤次郎は手慣れた手つきでタブレット端末を操作する。するとすぐさま曲が始まった。

 映し出された映像は、当時のアリスが演奏しているものだった。ボーカルの二人はかなり若い。二人共、今ではすっかりいいおじいさんになっていたはずだ。


『掴みかけた 熱い腕を……』


 歌い始めたのは美海さんだった。声質は可愛らしい女の子なんだが、凛々しく、そして力強い歌い方をしている。いやこれ、上手すぎるでしょう。


 この曲、チャンピオンは歌い手が君に語り掛ける二人称の歌だ。

 君、即ち老いたボクサーがタイトル防衛に挑み、そして敗戦してしまうストーリー。どんな強者でもいつかは敗戦してチャンピオンの座を譲るようになる。そんな無常感が素晴らしい……と親父が語っていたのを思い出した。


 最後のフレーズ「ライラララライ……」はサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」からのオマージュではないかと親父は言っていたのだが、俺はそのサイモン&ガーファンクルを聞いたことがなかった。


 美海さんの熱唱が終わり大広間が三人の熱い拍手に包まれた。興奮気味に手を叩いている藍が手をあげて発言した。


「私も歌っていいですか?」

「いいよ。何にするの」

「ユーミンの『埠頭を渡る風』で」

「これも渋いね……」


 再び藤次郎がタブレット端末を操作して曲を入力する。イントロが始まった時に、藍が語り始めた。


「私はアニメ映画の『魔女の宅急便』を見てから挿入歌を歌っているユーミンが大好きになりました。その事をお母さんに言ったらお母さんがユーミンのCDを沢山もってて、沢山聞いちゃいました。その中で一番好きな曲がこの『埠頭を渡る風』です」


 前奏が終わり藍が歌い始める。


「青いとばりが道の果てに続いてる 悲しい夜は私を隣りに乗せて」


 藍もなかなか上手い。彼女の声は声楽的で高音が美しく、大人の艶がある響きだった。その藍に高音でコーラスを重ねる美海さんはもうプロだと言って差し支えないくらいに美しくて上手だった。


 終盤の二人の美少女のデュエットが響き渡る大広間にひょっこりと清十郎が顔を見せた。


「やっぱり美海ちゃんだった。相変わらず上手いねえ。ホント、歌手になれば?」

 

 野暮な男だ。声をかけるにしても曲を歌い終えてからにすべきだろうに。歌い終わった美海さんは清十郎に返事をせず、白い目で清十郎を睨んでいた。


 清十郎は藤次郎の兄なんだが、見た目は全然似ていない。細面でイケメンの藤次郎とは違い、厳つい岩のようなゴツイ面構えをしている。そして美海さんに対する態度からも、気遣いができるタイプではないようだ。


 清十郎の後から、若い男女が数名入ってきた。


「こんにちは。お世話になります。僕はウルトラフリー代表の霧口氷河きりぐちひょうがです。今日はよろしくお願いします」


 年上らしく、サークル代表らしいきちんとした挨拶をしてきた。外見からは非常に良い人にしか見えない彼が、『すくなじん』その人なのだ。



※『第24話 女は最後の愛人でいたいらしい』で紹介した『埠頭を渡る風』と『チャンピオン』を熱唱したJK二名(爆)です。共に78年の曲なので、当時熱狂していた世代は60前後になるでしょう。緋色の父親と藍の母親は共に40代なので世代としては離れているのですが、緋色の父親は学生時代にフォークソングサークルの活動においてアリスのファンとなり、藍の母親は『魔女の宅急便』(1989年)からユーミンのファンとなったという設定です。そして美海はカラオケ好きの祖父母(神戸在住)に育てられており、懐メロ系の曲が得意なのです。

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