22. 公園へ

 現代のフランスの片田舎。とある孤児院で生きる少女サリーは、謎の妖精に見出だされ、異世界へと誘われる。

 妖精は、彼女こそ亡き王国の正統な後継者だと言う。

 仲間となる八人の妖精騎士を探し集め、自分の出自を証明すれば、今一度国を復興できるはず。

 信じ難い申し出に、サリーは戸惑いつつも、不思議な世界を旅することとなった。


 妖精の登場するファンタジーであることは知っており、読む前は甘いメルヘンチックな物語を想像していた。

 だけど、孤児院での描写はダークで重苦しく、硬い文体と相まってシリアス一直線だ。

 第一章の最後になって、ようやく妖精が登場し、サリーを花の咲き乱れる世界へ連れていった時には、ホッと息をついた。


 妖精と言っても、羽の生えた小人ではない。

 現実の動物を模した奇妙な連中で、愛らしくも、どこか気味悪さを感じる。

 サリーを連れ出す“ミー”は、ミニウサギといった姿をしていて、ラルサと印象が被った。


 ――ちょっと。


 ラルサも課題で脅したり、目からビームを出さなければ、愛玩動物で通るだろう。

 羊と交渉しろって言ったのは、波崎だっけ。

 都合が悪くなると、怒って目を光らせるのさえやめてくれれば、もう少し穏やかに話し合いができるのに。


 ――シュウイチッ!


 あの目が怖いんだよなあ。心臓を握られるみたいで。

 ほら、今だって、部屋が段々赤く――


「うわっ! いつからいたんだよ。無言で出て来ないで!」

「失礼な。呼んでも返事しないのは、キミじゃないか」


 ラルサは口から上だけを鏡から出し、潜水艦の潜望鏡のように頭を回して周囲を警戒していた。

 こりゃ、氷結ジェットが相当こたえたみたいだ。


「今晩はあの狼藉者ろうぜきもの、来てない?」

「ロウゼキ?」

「ワイルド番長だよ! こんな愛らしいボクを、害虫扱いするなんて」


 自分で言うな。ツッコミそうになるのを我慢して、ややご立腹な羊の機嫌をとりにかかる。


「ケンは来てないから。食事もちゃんと用意したよ」

「もう食べた。そっちは六千七百二十字」

「鏡から出なくても、食べられるんだ」

「首が痛くてイヤだよ、こんな食べ方。まったく、ツルギザワがいると知ってたら、さっさと赤化させてたのに」

「それは困るなあ」

「……なんだか反応が淡泊だね。隠し事してる?」

「ないないない!」


 用が済んだなら、もう帰ってくれと思ったのは内緒だ。

 脳にも心臓にも悪影響だし、早く本の続きが読みたい。


「まあいいよ。明日もよろしく」

「はーい」


 結局最後までベッドから下りずに、ラルサとの会合は終わる。

 昨晩、殺虫剤で攻撃しても、嫌味を言うくらいで許してくれた。原稿さえあれば、ビクビクする必要は無いのか?


 ともかく、今はサリーの続きだ。

 高速風呂と歯磨きのあとも、ベッドでの読書は延々と続く。


 第二章で異世界の不思議さに圧倒され、第三章では孤児院に帰ってきたサリーが、また妖精世界へ行けるように祈りながら読んだ。

 意外な一人目の騎士に驚愕きょうがくし、初めての敵との戦いには手に汗を握る。

 第五章に突入した頃には、とっくに零時を過ぎていたけど、ページを繰る手を止めない。

 眠気に襲われようが、今夜中にとことん読み進めるつもりだった。


 第十二章を読んでいる時、窓の外が白じみ始める。

 午前五時、日が昇って汗ばむ気温が不快でも、残る一章を読むまで寝るものか。


『サリーと妖精の騎士』は、世間の評判通り本当に面白かった。

 最初の取っ付きにくさを越えたら、文はどんどん頭に流れ込み、先を知りたくて夢中で読めた。


 それでも、普通ならこんな無茶な読み方はしないだろう。

 読了したのは六時四十分。目を充血させてまで、二日続けて徹夜もどきに挑戦したのは、波崎の顔が頭から消えなかったからだ。


 もう少ししたら、朝食を用意した母さんが下から呼ぶ。

 徹夜がバレたら叱られるだろうが、オレも昼まで寝ている気は無い。

 八時に目覚ましをセットし、ほんの一時間、短い睡眠のために目を閉じた。





 関真小学校では、生徒が携帯電話を持つことが禁じられている。

 生徒間で連絡を取りたい場合は、学校で直接話すか、緊急連絡網に記載された家の電話番号を利用するしかない。

 電話を取るのはほぼ相手の親であり、真面目に受け答えしないといけないのでハードルが高い。

 まして、それが女子への電話ならなおさらだ。


 朝食後、自室のベッドに腰掛けて受話器を握ったはいいけども、受け答えをあれこれ想定するのに終始して、なかなか番号ボタンを押せない。

 そんなことをしてる内に着信音が鳴り、とっさに自分で出てしまった。

 母さんには家への電話にも出るように言われているから、悪いことではないけど。


「もしもし、手島です」

『おっ、修一が出るとはラッキーだ』

「蓮か。オレこそ助かった」


 家に帰ってからも、蓮は羊対策を考えていてくれたらしく、ついさっきまで山田と電話で打ち合わせをしていたそうだ。

 羊の言動や彦々の著者の内容から、蓮が考察したことを説明され、その鋭さに素直に感心した。


『――とまあ、これで交渉できると思うんだよ。実際やるのは修一だけどさ』

「話すくらいなら、どうってことない。上手く行ったときは、オレから連絡するよ。明日の夜になっても電話しなかったら――」

『記憶を消されたってことだな。了解、あとは任せとけ』


 解決への光が見えた気がする。赤い忘却ビームじゃない、ちゃんと道筋を照らしてくれる希望の光だ。

 蓮に礼を言い電話を切ると、間髪置かずにまた電子音が響いた。

 母さんと交替するために、一階へ下りようと戸を開けながら、通話ボタンを押す。


「もしもし、手島です」

『おうっ、剣沢だ』

「なんだ、ケンか……」

『元気えなあ。早速夏バテか?』

「寝不足なんだよ、いろいろあって」


 ケンの用件も、やはり羊のことだった。戸を閉め直して、彼の報告に耳を傾ける。

 氷結ジェットじゃ威力が足りなかった、次はふんづかまえてやる――などと、ケンは血気けっき盛んだ。

 捕獲作戦を実行する時は、また呼ぶようにと約束させられた。

 こうやって直接話すと、ケンには微妙ななまりがあると気づく。


「ケンの出身はどこなの?」

『……九州だ。言葉遣い、変か?』

「そんなことないよ。大分生まれの父さんと、ちょっと似てる」

『へえ、オレは福岡なんだ』


 学校でケンの口数が少なかったのは、方言を気にしたせいらしい。

 関真に引っ越す前は神戸の学校に通っていて、言葉が通じなかったこともあったとか。

 気にし過ぎだよ、と言うと、思った以上に嬉しそうだった。

 ケンとの話も終わると、いよいよ最初の目的、波崎への電話だ。

 意を決して電話番号を押し、呼び出し音に緊張を高める。


『波崎です』

「あっ、手島です」

『手島くん!?』


 彼女の母親は買い物中だそうで、波崎本人がいきなり通話口に出た。

 これはこれで、言葉に詰まりそうになる。


「ノート、忘れてっただろ? 届けるよ」

『えっ、あ……うん』

「外出できないなら、ハイツまで行くけど」

『大丈夫、お母さんならすぐ帰ってくるから』

「えーっと、じゃあどうしようかな……」


 一時間後、十時半に図書館で――そう提案したところ、場所を公園に変更された。

 この辺りで公園と言えば、小さな川べりにある児童公園のことだ。学校の近く、二人の家の中間地点にある。

 一応ブランコのような遊具もあるけど、桜木立が並ぶ細長い公園で、遊歩道と呼んだ方がふさわしい。


 約束を交わし、「またあとで」と通話を切る。

 場所と時間を決める事務的な会話。これじゃダメだ。

 直接会った時には、真っ先に謝らないと。


 公園に行くと母さんに伝え、本とノートをバッグに入れて、約束の三十分前に家を出る。

 暑いアスファルトの道とは違い、土の地面の児童公園は木陰も多く、少しだけ気温が低い。

 小さい川でも、水の流れが涼しい風を運んでくれる。


 十時十五分、約束より十五分早いけど、待ち合わせ相手はもっと急いだらしい。

 他に誰もいない児童公園では、白いワンピースがよく目立つ。

 木立の合間に並ぶベンチの一つに、波崎はうつむいて座っていた。

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