18. 二語の呪文

 二人きりならともかく、同じクラスの五人、よく考えれば給食の時間と大して変わらない。

 グレープソーダを飲んでリラックスした山田が、まず発言の口火を切った。


「『読ませる技術』の第三版、確かにネットに上げてるヤツがいたよ」

「内容は?」

「まあ待てよ。大変だったんだから、苦労話くらいさせてくれ」


 日曜の夜、スマホで検索をかけた山田は、創作技術に関するサイトに行き着いた。大人数が真偽も不確かな情報を交換し合う、巨大な掲示板形式のページだ。

 第三版が出版されたのは四年前で、それ以降、何度か改稿点のまとめが書き込まれた。


「ところがな、記事はすぐ荒らされてしまって閲覧できなくなるんだ。どっちにしろ、古いのはどんどん消されちまう」

「それじゃ読めないじゃん」

「ふふふ、そこで“アーカイブ”が役に立つのさ」


 オレとしては結論だけ話してくれたらいいんだけど、山田はいかにも質問して欲しそうに皆の顔を見回す。

 蓮が気を利かせて、上手く合いの手を入れた。


「アーカイブって?」

「よくぞ聞いてくれた。ネットアーカイブ、要は昔のデータの保管所があるんだ」

「へえ、過去の記録は、全部そこで読めるの?」

「半分くらいかな、記録されてたのは」



◇◇◇



 気まぐれなミューズを自らの元にとどめたければ、の者に血肉を与えるべし。

 契約は決して損なうなかれ。ゆめゆめ割り砕くべからず。


 呼ぶ声は六語。

 ラルラル タブラ パルサテスラ バルバル ラーサ メッテルニキ


 我が身を写し、ミューズにえ。

 二語は



◇◇◇



 床に置いたスマホをくるくる回して、皆はコピーしたテキストデータを順に読んだ。

 二語は――何だ?


「最初の二文は初めて見たけど、私もこの呪文のところは読んだ」

「波崎のメモにあった部分だな。まだ続きそうだぞ?」


 そして、その続きこそが、今のオレには重要な気がした。


「心配すんな。これは日曜日に調べた分だ」

「続きもあるのか! やるじゃん」


 得意げな山田の発言に、思わず声も弾む。

 山田はスマホを取り、現在の掲示板を表示させて、一つの“トピック”を皆に見せた。

 投稿された主題の下に、ズラズラと返答が並ぶ。


「ここの掲示板、有力な情報提供者には、トピックを作った人間がお礼できるシステムなんだよ」

「お礼って、どうやって?」

「ポイントを与えられる。仮想通貨――電子書籍とかが買えるやつ。五百円もつぎ込んだんだぜ」

「じゃあこれ、お前が質問してくれたのか」

「オレの金じゃないけどな」


 五百円は、山田に相談された蓮が出した。

 その金を持って、山田は昨日の放課後、コンビニに行き、マネーカードを購入する。金は全てポイントと交換し、質問に答えてくれた人へのお礼にした。

 山田が立てたトピックは、そのものズバリ、“『読ませる技術』第三版の詳細求む。特に呪文部分”だ。

 単純な方法だが効果は絶大で、有力な情報提供者が、今日の早朝に書き込んでいた。



◇◇◇



 我が身を写し、ミューズに乞え。

 二語は弱き者へ。試練に耐えられぬなら、羊と別れ、筆を折るがよい。

 パルレ ラーサ


 こころざし無くしては、ミューズと語らう資格を得ず。羊の夢を忘れ、二度と思い出すことあたわず。



◇◇◇



「どうだ、修一には意味が分かるか?」

「うーん、これは……」


 抽象的で少し難解な文章なため、山田にはピンと来なかったらしい。だが、実際に羊と話したオレには、重要なヒントになりそうだ。

 同じく思い当たる節があった波崎は、パチンと手を鳴らし、早口で会話に参加する。


「“我が身を写し”、これは鏡を使えってことでしょう」


 彼女は前段部分を以前に解読したことがあり、だからこそオレに召喚方法を教えられた。

 鏡を指しているという推理に、異論はない。ラルサは鏡面から出て来たしな。


「六語の呪文、私はこれを呼び出すための言葉だと思った」

「それで正解だろうよ。んで、問題は二語の方だけど……」

「対になってるんだから、帰らせる呪文よね!」


 興奮した様子で両手を合わせ、喜色満面きしょくまんめんな波崎は、これで万事解決と言いたげだ。

 しかしながら、オレには一つ、気になる表現が文章中にあった。


“羊の夢を忘れ、二度と思い出すことあたわず”


「“能わず”って、どういう意味だ?」

「できない、ってことよ」


 羊を帰らせると同時に、全て忘れさせるって意味だろうか? 二度と思い出せないほどって、どれくらいの記憶を無くすんだ。

 ラルサに関すること、羊を紹介した波崎との会話、こうやって来てくれた蓮や山田とのやり取り。これらを全て忘れてしまう?

 なぜか急に参加した剣沢――は、まあ、別に覚えとかなくてもいいけど。

 オレの懸念を話すと、嬉しそうだった波崎の顔も急激に曇った。


「忘れちゃうかもしれないんだ……」

「羊に関することに限定されるなら、まだマシだけどな」

「でも、せっかく……!」

「この一週間を全部、とかかもな。これが一ヶ月とか一年とかになると、ちょっと困る」


 母さんの名前を忘れさせる相手だ。その気になれば生まれてから今までの思い出を、全て消すことだってできるだろう。それが考えられる中で、最悪の事態だった。

 契約解除を試すべきなのか、素直に百万字に取り組むべきなのか。

 悩むオレを見て、蓮がゆっくり発言した。


「契約破棄、やってみろよ。もし本当に過去を忘れるってんなら、オレが助ける」

「蓮が?」

「そりゃ、十年前からとか言われると無理だけどさ。小学校時代なら、一から話してやる。ノートに書いてもいいし」

「それでバッチリとはいかないけど……。別に友達や親自体が、消えるわけじゃないもんな」


 山田の場合は、「忘れたいことが多いから、オレなら悩まないぜ」だそうだ。何をやらかしてきたんだか。

 ケンは無言、波崎は難しい顔でオレの決断を待つ。


 ……よし、決めた。

 来年からは中学生、ここはスパッと早くケリをつけて、新しい生活に備えよう。何も大量に記憶を失うと、決まったわけでもない。


「二語の呪文、唱えてみるよ」


 蓮も力強くうなずいた。

 机の引き出しから、手鏡を出して床に置く。


「えーっと、呪文は――」


 山田よりも先に、自分の小さな手帳にメモっていた波崎が、オレに呪文をもう一度見せてくれた。


“パルレ ラーサ”


 早口言葉みたいな呼び出し文句より、ずっと簡単だ。

 みんなに見守れつつ、右手で鏡に触れたオレは、羊よ去れと心で念じた。


「パルレ、ラーサ!」


 力がこもる右手。

 帰ってくれ。消えろ、黒羊!


 呪文の効果を見逃すまいと、誰もが息をのんで鏡に注目する。

 夜でもしつこく、遠くにセミの声が聞こえた。

 沈黙の一分間が過ぎた頃、山田がおずおずと口を開く。


「もう、喋っていい?」

「……いいよ」


 手を鏡から外し、天井を見上げてため息をつく。

 失敗だろう。鏡には何の変化も表れず、オレも百万字の課題をまだ覚えていた。

「たぶん――」と話し始めた波崎に、顔を向ける。


「タイミングが悪いんじゃないかな。ミューズが来た時に唱えないと、効果が無いとか」

「ああ、なるほど。直接、羊に宣言するわけか」


 二語の呪文は一時間後、八時にもう一回試そう。それまでの間、山田以外のみんなが順番に、自分の羊対策を説明する。

 波崎は、二冊目の創作ノートを持って来ていた。彼女自身が使うノートなので貸すわけにはいかないが、ぜひ参考にしてほしいと差し出す。

 気持ちは嬉しいけど、これを使うのは契約破棄が不可能だったときだ。今はパラパラと流し見するだけにしておいた。

 蓮も技法書を読んで、創作のアイデアを考えてくれたものの、同じ理由で詳しく聞くのは後回しにする。


「みんなありがとう。蓮には金も返さないと」

「そんなの、あとでいい。今でも信じられない話だけど、時間が迫ってくると楽しみになってきた」

「ひでえ、他人の不幸だと思いやがって」

「オレが腕を怪我した時に、さんざんからかったのは誰だよ」


 蓮が左腕を骨折した小三の時に、オレは固めたギプスが真っ黒になるまで落書きした。“コッセツマン、さんじょー!”とか、“ご用の人は、ここをおすこと”だとか。

 毎日増えていった文面を思い返し、オレと蓮は笑い合う。

 こんな過去も、忘れずに済めばいいけど。


 昔話で盛り上がりそうになったその瞬間、ゴホンとわざとらしい咳ばらいが会話に割って入った。

 一人、ここまで何も発言していない人物がいる。


「オレの作戦は、一味違う」

「へ、へえー。とりあえず、もう一本開けよう。このピンクグレープフルーツってのも、けっこうイケる――」

「まあ、聞け」


 注ぎ役を波崎に取られたため、まともにケンの相手をするハメになった。

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