人間期限

結城 郁

第1話



「それでは、実験を開始します。悔いはないですね?」

「あぁ。」

どうしてこうなったのだろうか。

事の始まりは3時間前…

特にやることもなく、ぶらついていた俺はふとある看板が目に付いた。

「新しい実験者募集中!日々の生活に疲れている方にオススメ!」

有名な科学者がまた新しい機械を発明したらしい。最近では実験者募集のチラシや看板を多く見かけるようになった。

俺はその時、生活に嫌気がさしていた。何かが特に嫌になったと言うわけでもないが、なにもやる気が起きない状態だった。合格したばかりの高校行っても面白さを感じられなかった。外で意味もなく散歩をしていたのも少しは気分転換になるかもしれないと思ったからだ。

この実験者になれば何かが変わるかもしれない。興味本位で俺は看板が示している場所に向かった。


「実験の希望者様ですか?」

「あぁ、そうだが…」

「暫くお待ちください。受付が終わりましたら、すぐに案内いたします。」

その言葉通り、すぐに部屋に案内された。

その部屋には多くの機械が所狭しと置いてある。その奥に1人の老人がいた。

「今日は来てくれてありがとう。」

どうやら、今回の実験装置を発明した科学者のようだ。

「今日あなた様にお願いする装置はこれです。これは、私が長年研究してやっと完成しました。装置のこの部分に触れるだけで、貴方の寿命が一瞬で分かるのです。」

「寿命…だと?」

「はい。今まであらゆる動物に試してみましたが、この機械が導き出す寿命の確率は99%以上でした。人間の場合のデータのを集めるために今回は実験者を募集したのです。」

「俺がみた看板には日々の生活に疲れた方にオススメと書いてあったが…?」

「…実はこの機械は人の心情も読み取って、寿命を判断するのです。なので、自殺願望のある方の寿命も表示されるんですよ。そちらのデータも集めておきたいと思いましてね…

何せ人間の寿命は長いですし、結果が分かるまでに長い時間がかかりますが、その点自殺願望者なら結果も早くわかりますから……でも、看板に自殺者募集なんて書けないのであの様な文言を使ったのです。」

「……なるほどな…」

毎日の生活が楽しくなるような実験ではなかったようだが、自分の寿命が分かるのもいいかもしれないと思った。

「安心して下さい。害はありませんから。勿論、副作用も。今まで実験を受けてきた動物も健康上には何も変化はありませんでした。」

「分かった。その実験を受けよう。」

老人は嬉しそうに頷いた。

「ありがとうございます。では、書いてもらう書類などがあります。例え危険性がない実験といっても本人の了承が必要ですので…。気楽に書いてください。」

言われた通りに俺は様々な承諾書の書類を書き、実験を行う上での規約などの説明を聞かされた。

そうして、今に至る。

「それでは、実験を開始します。悔いはないですね?」

「あぁ。」

「あと、始める前に一応確認です。この実験に出た結果は他言無用でお願いします。」

「あぁ…。」

俺は多少うんざりして答えた。

「分かっていればよろしいのですが。」

なんでも、ここの結果で出た結果は絶対に他人に話してはいけないらしいのだ。書類や説明中で何度もその確認があった。多分、まだ発明途中の装置の信頼性の問題に関係があるのだろう…。俺が今まで受けてきた実験でもみんなそうだったから別に気にもとめなかった。

「では、ここの部分に手を置いて下さい。」

その刹那、自分の脳裏に寿命は知っても良いものなのだろうかという思いが一瞬通り過ぎたがすぐに消えた。

そうして俺は、手を置いた。

ピピピピ…

無機質な電子音が部屋にひびく。

そうして、画面に寿命が表示された。


残りの寿命『2日』


何が起きたのかが分からなかった。後、20年とかではなく、2年でもなく、2日??ふつか…フツカ…???俺の寿命が後2日だと???驚きすぎて声が出なかった。何かの間違いだろう。助けを求めるように科学者の顔を仰ぎ見る。

「………。」

科学者も驚いて声がでていないようだった。だが、どこか興奮しているようにも見える。ハッと俺の方を見て、ゴホンとわざとらしい咳をした。

「一つお聞きします。貴方は自殺をするようなことを考えていましたか?」

「いいや、そんな事は…考えていない…」

確かに日々に嫌気はさしていた。だが、死にたいなどとは一つも思っていなかった。今まで生きてきて命を投げ出したいと思った事がないといえば嘘になる。だが、それも一時的なもので実行に移そうなどと思った事はなかった。

「考えられるのはこの装置が正しく作用しなかったか、貴方の体の中に異常があるという事ですかね…」

「と言うことは俺は2日後にポックリと死ぬのか…」

祖父も頭が痛いと言ってそのまま息を引き取った。俺にもその血が流れている。

自分が死ぬって言うのに俺はどうすればいいか分からなかった。ただ死ぬと分かった今、思い残す事が多くある事に気がついた。旅行にも行きたいし、好きな人にも告白一つしていないし、そしてまだ自分の夢さえ決まっていない。そして何より頭の多くを占めたのが父親の事だった。それには俺自身も驚いた。あんなに嫌いな親父の顔が何故、今浮かぶのだろう。

俺と親父はとても仲が悪かった。お袋は俺が小さい頃に亡くなり、男手一つで俺と弟を育ててくれた。その点については感謝するべきなのだろうが、俺のやること一つ一つに口を出してくる親父に耐えられなくなった。

「もう、分かったからほっといてくれよ!」

これがいつもの俺の口癖だった。

俺は家事の手伝いも何も反抗心からやっていなかったが、弟は進んで親父の手伝いをしていた。弟は親父の自慢だった。

「宏も隆みたいになればいいものを…。隆は身の回りもしっかりしているし、手伝いも進んでやってくれる…それに比べて宏は…」

家に帰ると毎日そのような小言を言われる日々がだんだん耐えられなくなっていた。俺が手伝いをやれば済むことだとは自分で分かっている。でも、何故だか言われると反発してしまうのだ。そんな自分にも嫌気がさしていた。何もやる気が起きない状態だったのはこの生活も関係しているのかもしれない。

だが、寿命が後2日と言われた今、親父に対しても素直になれる気がした。何より、今まで意地になって、全てに反発していたのを止めるいい機会にも思えた。

考えをまとめ科学者の顔を見た。

「落ち着きましたか…?」

科学者は俺に聞いた。

「あぁ、ひとまずは家に帰るよ。ここに来なかったら俺の寿命が後2日って分からなかった。実験に参加して良かったよ。」

科学者は何かを言おうとして何も言わなかった。俺は黙って、部屋を出た。

帰路の途中、俺が死んだら親父はどう思うかと想像した。親父に反抗ばかりして、迷惑ばかりかけていた俺がいなくなってせいせいするだろうか。いや、悲しむだろう。どんな小言を言われようとなんだかんだで自分の事を心配していたし、想われていた。そんな事を思いながら家に着いた。いつもの家のドアなのに何だか、いつもとは違うものに見えた。

「ただいま…。」

「また、お前はどこかにふらついて…。何かあったらどうするんだ。」

いつもの親父がいつもと同じ事を言う。何だかそれがとても安心を感じた。そして、いつもの俺ならうるせーな、ほっといてくれよと言っていただろう。

「ごめん、親父。これからは出歩くのも止めるよ。」

謝るのなんていつ振りだろうか。いつもなら口が裂けても言えない言葉だ。そんな俺を見て親父も驚いているのか何も言わない。

「何か手伝う事はある?夕飯の手伝いくらいならやるけど…。」

「お兄ちゃんが、夕飯の手伝いーー?」

嬉しそうにして弟が飛び出してきた。いつもは、ほっといているが、俺に懐く弟は俺の癒しでもあった。

「そうだな…。じゃあ、宏には野菜を切るのを頼もうか…。隆も手伝ってくれるよな。」

「うん!お兄ちゃんとお手伝いできるなんて夢みたいだ。」

弟は嬉しそうに言った。

自分の今まで無駄に持っていた反抗心を捨てればこんなに上手くいくことに衝撃を受けた。弟がこんなに喜んでくれるなら最初からこうやっていれば良かった。もう、後悔しても遅いが…。

そうして、俺は初めて包丁を持ち野菜を切った。もたつく俺を見て親父はそうじゃない、こうやるんだ、そうやったら野菜が吹き飛ぶだろう…とかいつものように小言を言ってくる。やってるんだからどうでもいいじゃないか…と思ったが、これも最後だと思って言う通りにした。弟は野菜を切るのも何をするのもソツなくこなしている。親父の小言を耐え抜いてここまできたのだろう。偉いやつだ。そうこうして、夕飯が出来上がった。

初めて自分が作る夕飯はとても美味しく感じた。家族3人で食べるのも久しぶりである。

「まさか宏が夕飯の手伝いをしてくれる日がくるとはな…。」

「本当に、今日は何かあったの?お兄ちゃん?」

「別に…何もないよ。」

弟に質問されて、自分の寿命が後2日という事を思い出す。もういっそ、約束を破って言ってしまおうかとも思ったが信じてはくれないだろう。逆に信じられてショックを受けて欲しくはなかった。

「隆、明日はキャッチボール、兄ちゃんとやるか?」

「!!えっ!!!本当に!!!嬉しい!!!!」

隆は喜んで、目をキラキラさせた。

どうせ明日、死ぬ運命だ。最後の命は親父と隆のために使おう。

風呂に入り、寝ようとした時、親父に声をかけられた。

「何かあったのか…?」

そう思うのも、不思議ではない。なにせ、急に息子の態度が変わったのだから。

「別に。俺も意固地になってないで、親父と隆の為に何かしようかなと思っただけ。」

「そうか…。お前には、いつも干渉しすぎていた気がする。できる事は全てお前と隆のためにやろうと思ってきた。お前のために言っているのにどうして分かってくれないのか悩むこともあった。だが、そう思うこと自体が間違っていたんだと今日気づいたよ。俺がお前に口出しするという事はお前を信用していないという事になる。宏は、もう立派な大人だもんな。これからは、何をしても文句は言わないようにするから自分の考えでやっていきなさい。宏なら自分で正しい道が進めると思ってるよ。」

不覚にも涙が出そうになった。いつもは大嫌いな父親のはずなのに…。やはり、俺の寿命が明日で終わるから感傷的になっているのだろうか…。やっとのことでうん…と小さく頷き、自分の部屋に走った。そして、泣いた。何に対して泣いているのか分からないが声を殺して泣いた。自分に対して怒っているのか…虚しいのか…。泣いて泣いて泣いて…朝起きたら妙に頭がスッキリしていた。まるで今までの自分の嫌な部分が涙と一緒に流れ落ちたみたいだった。眩しい光が部屋に差し込んでいた。俺の最後の一日が始まろうとしていた。

弟は朝からテンションが高かった。

「お兄ちゃん!今日はキャッチボールしてくれるんだよね!!僕楽しみすぎてよく寝られなかったよ!!」

朝ごはんを食べている間もずっとこの調子である。

「あぁ、宏が遊んでくれるって。帰ってくるのは何時になっても構わないから、思いっきり遊んでおいで。」

何故か父親もどことなく嬉しそうだ。

「じゃあ、今日は隆がもうやりたくないっていうまでキャッチボールをしてやる…」

「わぁぁ、ありがとうお兄ちゃん!!」


家を出て、隆とキャッチボールをした。予想以上に隆の投げる球は早く上手だった。

「隆、球投げるのうまいな。びっくりしたよ。」

「実は野球選手になるのが夢なんだー」

ヘヘッと恥ずかしそうに笑いながら隆は言った。そうだったのか…俺は弟の夢も知らずにいたんだな。弟のプロの野球選手の姿が見られないのは少し残念だ。だが、その代わりに今はキャッチボールをしてあげよう。後でお兄ちゃんとやったなぁと思い出せるように…。

弟とは夕方まで遊んだ。本当に満足するまでキャッチボールをする事になろうとは…。

「明日の朝は筋肉痛になっちゃうね!」

弟が帰り道に言った。

「そうだな…。」

明日か…明日は俺には来ない。残りの俺の時間は残りわずかだ。ふと、何か親父に何か買っていこうという思いが湧いた。

「隆、ちょっとお店に寄ってもいいか?」

「もちろん、いいよー!」

お店に着くと隆はすぐにオモチャ屋さんの前にへばりついた。目を輝かせて何かを見ている。

「このおもちゃが欲しいんだ。かっこいいでしょ。」

そのおもちゃは、ロボットのような形をしたものだった。値段は少し高めだが、隆に買ってあげようと思った。

「隆、じゃあこれを兄ちゃんが買ってやる。今までの誕生日の分だ!」

「わぁぁぁ、本当に!!!!ありがとう!!!お兄ちゃん!!!!」

隆はその場でクルクルと回ってはしゃいでいる。そんな弟がとてつもなく可愛かった。

おもちゃを買ってやり、弟に渡した。

「ちなみにこのことは親父には秘密な。

隆はお手伝いが上手だからこれからも親父の手伝いをやってあげてくれ。」

「うん!今まで以上に頑張るよ!!」

隆の頭をワシャワシャと撫でると、嬉しそうに笑った。そんな弟の顔を見て満足し、次に親父に買うものを考えた。親父には何を買おうか…。親父の好きなものなんて検討がつかない。

「隆、親父が好きなものとか知ってるか?」

「お父さんが好きなもの?うーん、新聞かなー?」

俺は思わず笑ってしまった。確かに新聞はいつも読んでいる。新聞ではなく他のもの、、何か他のものはないか…。俺はいつも親父が夜中に飲んでいるお酒を思いついた。自分たちの前ではお酒は飲まないが、夜中に飲んでいるのを見たことがある。まさか自分が息子に見られてるとは思ってもいなかっただろうが…。銘柄も多分覚えている。それにしよう。

お酒コーナーで無事に親父が好きな銘柄の酒を手に入れ、家に着いた。

「ただいまーー!!」

「ただいま…」

「お父さん、楽しかったよ!!お兄ちゃんが沢山キャッチボールをしてくれたんだ、あと、この、オモ……ううん、何でもない!!とにかく楽しかったんだー!!次はお兄ちゃんとお父さんで遊園地に行きたい!!」

弟は駆け出して親父のところに行った。

「そうだな、次は久しぶりに家族で遊園地に行こうか…。

…宏もありがとな…」

「別に。」

親父に礼を言われるのは何だか照れ臭かった。でも、悪い気はしない。最後の一日としてはまずまずだっただろう。

「あとね、お兄ちゃんお父さんに何か買ってたよ!ね、お兄ちゃん?」

「なっ、余計な事を…。ただ、親父が好きな酒を見つけたから買っただけだ。ほら。」

俺はぶっきらぼうに酒を置いた。

親父はびっくりしたような顔をしてそして、

盛大に笑った。笑いすぎて涙が出ている。

俺も弟も親父がそれほど笑う所を見たことがなかったのでとても驚いた。

「ありがとう、とても嬉しいよ…。さあ、夕飯にしよう!宏と隆のために一生懸命作ったんだ」

豪勢な夕飯を食べた。最後だからか、笑顔の家族がいるからか、今まで食べたどんな食べものよりも美味しく感じた。何だか今から死ぬのが実感として湧かなかった。

だが、あの装置によると今日が死ぬ日なのだ。二日間悔いがないように過ごした。今まででは信じられない程、親父とも弟とも仲良くなった。最後に息子らしいことそして兄らしい事ができて良かった。悔いはない……。そう思った時、

『!!!?』ガタッ

「宏?!」

「お兄ちゃん?!!!」

頭に激痛が走った。椅子から倒れるのが自分でも分かった。あぁ、俺は今から死ぬんだな。あの機械もハッタリではなかった。でも、みんながいる中で死ぬのならいいか…後ろで親父と隆が叫んでるのを何処か遠くに感じながら俺の意識は遠くなっていった。。。

「実験は成功ですね。」

「本当に。ありがとうございます…」

馬鹿な、俺が生きているんだから実験が成功のわけがない。そんな声がして目を開けるとあの、科学者の姿……と泣きじゃくるお袋の姿があった。

「隆!!!!目が覚めた?!!!意識はある?!お母さんだよ!!!」

何が起きたのか分からなかったが、すぐに分かった。あぁ、これが死後の世界なのか。そうじゃないと何故お袋が目の前にいるのか説明がつかない。

「まだ、意識がはっきりしないようですね、でも大丈夫ですよ。時間が経てば、すぐにはっきりとするでしょう。」

何を言っている…?俺はあんたに寿命2日と言われたんだ…。そして、その通りに死んだ。何が時間が経てば意識がはっきりするだって?!言い返したかったが、思うように口が動かない。


「隆君、貴方は一年前の交通事故以来ずっと寝たきりだったのですよ。」


科学者がそんな事を言った。何?思いもよらない言葉にぼんやりとしていた脳内が急にはっきりとしてきた。俺が寝たきりの状態だった?そんな事はあり得ない。じゃあ、俺が親父と弟と過ごしてきた日々は何だったんだ?夢だとでも言うのか?

「じゃあ、親父は、隆は…どうしたって言うんだよ?!」

俺は知らず知らずのうちに叫んでいた。

何故だかお袋は泣き出し、科学者は苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。


「お父様と隆様はその交通事故でお亡くなりになりました。生き残ったのは貴方だけです。」



一瞬、あまりの衝撃で何もかもが聞こえなかった。この科学者は何を言っている?そんなはずは無い、だってさっきまで隆とキャッチボールをしてたんだぞ…?親父とも夕飯も食べた、そんな親父と隆が亡くなっているだって…?!!!


「馬鹿な、だってお前は変な装置を使って俺の寿命はあと、2日だと言ったじゃないか!!!あの時、俺と会ったのも嘘だと言うのか??!」

「私が貴方と会う?可笑しいですね、貴方はずっとこのベッドで寝ていましたよ。だから、毎日会っていたと言ってもおかしくは無いですが…」

そして、ふと思いついたように

「残り2日とはこの装置のことかもしれませんね。」

そうして科学者が示した装置は、俺が受けた実験装置と全く同じものだった。

「そう、それだ、それでお前は寿命がわかると……」

しかし、科学者はすぐに首を振って応えた。

「この装置は、私が開発したもので寝たきりのいわゆる植物人間の方を起こす為の装置です。この装置は、貴方が目覚めるのはあと、2日と表示しました。そうして、貴方はその通りに目覚めた。決して寿命を測るようなものではありません。」

…もう、言い返す気も起きなかった。つまり、あの装置で俺は寿命は2日後と言われたが、こっちの世界では2日後に俺が目覚めると判断されたというわけか。俺がいた世界では俺は死んで、こっちの世界では生き返った。なら、親父も隆が居なくなったのも現実なのか…

お袋の声で考えは中断された。

「隆、本当に良かったね。無事に意識が戻って…これもお医者様のおかげね」

お袋は涙を流して喜んでいるが、これが本当によかったことなのだろうか…。俺にはよく分からない、まだ、親父と隆の記憶が鮮明でお袋の記憶は何も思い出せない…。

「意識もはっきりして来たようなので、1週間もすれば退院できるでしょう。」

医者が言った。

それから、退院するまでの1週間、俺は何もしなかった。何もやる気が起きなかった。考えることと言ったら隆と親父のことだった。未だに親父と隆が居ないという実感が湧かなかった。お袋は何も話さない俺を心配していたようだが、まだ目が覚めたばかりだから仕方ないと思ったのだろう、静かに見守ってくれていた。

そうして、退院する日が来た。

「今まで本当にお世話になりました。」

お袋が深々と頭を下げて言った。

「いいえ。本当に良かったです。宏くんと仲良く生活して下さい。」

車に乗り込み家に帰る途中、俺は初めてお袋に話しかけた。

「なぁ、お袋。親父と隆は何で死んだんだ…?」

お袋は俺に話しかけられた事にびっくりしたようだが、やがてゆっくりと話し始めた。

「遊園地に行く途中だったの…。その時に車と衝突してね…。隆もすごく楽しみにしていたの。私はその時、仕事があって一緒に行けなかったんだけど…。あの時、私が行くのを止めていれば…隆もお父さんもこんな事には……」

お袋は泣き出してしまった。俺はその話を聞いた時、俺の寿命が尽きる時の夕飯、隆が遊園地に行きたいと言っていたのを思い出していた。

「お袋、実は俺、意識がなかった間親父と隆と生活していたんだ。信じられないだろうけど…。親父も隆もすごく楽しそうだった。俺が死ぬ日なんて隆のやつ次は遊園地いこうねーってすごくはしゃいでたんだ。だから、遊園地に行けなくなってたらすごくショックを受けてたと思う。だから、事故は全然お袋のせいなんかじゃないよ。」

お袋は、更に泣いた。

「あと、キャッチボールもしたんだ。将来はプロ野球選手になるのが夢だったって。俺はそんなの知らなかったから驚いたよ、だから、気がすむまでキャッチボールをしてやった。親父とは仲が悪かったけど、最後は仲直りしたんだ。お前の進む道を信じてるって……。」

話していると知らず知らずのうちに涙が流れ、いつの間にか発する声も嗚咽に代わっていた。涙を流せば流すほど親父と隆が居ない事が現実だと実感として湧いた。そしてお袋とひとしきり泣いた後、家に帰った。これが意識が戻った後、初めて流す涙だった。

家は俺が親父と過ごしていた家と全く同じだった。ふと、親父と弟に仏壇に供えてあるものを見て、全身が凍りついた。

そこには俺が最後の晩に親父にあげた銘柄の酒と、隆のところには俺が最後に買ってやったおもちゃが置いてあったからだ。

お供え物を凝視して固まっている俺にお袋が隣に来て言った。

「このお酒、お父さんが好きだったお酒なのよ。実は、お母さんと最初のデートでこのお酒を注文して、それ以来好きになったみたい。この隆のおもちゃは本当に隆のお気に入りだったおもちゃ。誕生日に買ってあげたんだけど、何がいいのかずっと手から離さなくてね。ご飯食べる時も寝るときも…」

それを、聞いて俺はまた涙がでそうになった。

「親父は…夜中…よくそのお酒を飲んでたよ…。どこか寂しそうに…。俺は、隠れてその様子を見ていたんだ…。多分、お袋の事を思い出してたんだと思う……。」

そして、最後にプレゼントした日のことを思い出していた。親父は笑顔で笑っていたが少し泣いていた。あれは、笑いすぎて泣いたのではなく、涙を隠すために笑っていたのかもしれない。

「……。」

お袋は黙って俯いて泣いた。

「隆も、最後の日にこのおもちゃが欲しいって言ってたから買ってあげたんだ。すごく喜んでた。くるくる回って…」

「だから、、親父も隆もお袋の事ずっと愛してるよ。一つも恨んでなんかいやしない。だから、自分を責めちゃダメだよ」

「……ありがと……ありがとう…ありがとう、宏、隆、お父さん……」

母親はずっと泣いていた。俺も涙が出そうになったが、俺が生き返った意味はお袋が抱え込んだものを軽くする事だと思いグッと堪えた。俺の力で少しでもお袋を楽にしてやりたいと思った。


ーーそうして一年後ーー

「隆、お弁当持った?」

「持ったよ」

仏壇の前に行き、親父と隆にも手を合わせる。(行ってくるな、親父、隆)

「じゃあ、行って来ます!!」

「うん。気をつけて!!」

晴れ渡る空の中俺は勢いよくドアを開けた。

今では、お袋と過ごすのも慣れた。お袋も俺が意識を取り戻してから、大分元気になったと周りの人からよく言われる。

そうして、月日が経つと親父や隆と過ごした日々は夢だったのかもしれないと思うときもある。だが、そう思うたびに、いや違うという思いが強くなる。俺は確実に2人と一緒に日々を過ごし、生活をした。それは、誰も変えようがない事実だ。そして、そんな日々があったからこそ、今の俺がいる。最近、俺には夢が出来た。まだお袋にも秘密だがいつか時が来たら伝えよう。隆や親父は喜んでくれるだろうか……。

俺は雲ひとつない晴天の空を仰ぎ見てそんなことを思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人間期限 結城 郁 @kijitora-kujira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る