第2話 どぶねずみ

  どぶねずみ バケツに沈め引き上げる

         繰り返す母を 隠れて見つめる

  

 昭和40年代 消毒薬が各家庭に回る。

 回覧板ではない。消毒薬だ。

 家のまわりのドブに撒く白い液体。

 自転車の空気入れのように押すと

 シャワーのように出る。これでネズミや

 ゴキブリを殺す。


 「さっき、お父さんを見た。隣に女の人が乗っていた」

 7才の私は半分喜びながら、母に伝えた。

 黄色のスカイライン。確かに父だ。

 「みまちがいでしょ」母は静かに否定した。

 

 家にネズミがいる。ハムスターほど小さくない。いわゆるドブネズミ。

 ネズミ取りが台所に仕掛けられた。さつまいもをエサにした。

 夜中にカシャーンと音がする。怖くてトイレにも行けない。

 

 朝になると母が水の入ったバケツを庭に持って行く。

 いつもの儀式が始まる。

 ネズミ取り器ごとバケツにつける。チューとかすかに聞こえる。

 ブクブクプクプク。ネズミを沈める。一瞬、母が微笑む。

 

 台所では卵焼きを焼く母がいる。父のお弁当を一日も欠かさない。

 紅しょうがでスキと白米に乗せる。その時も微笑む。


「もう死んだかな」バケツからネズミ取り器を引き上げる。

 もう焼けたかなと同じトーンだ。

 その時の母の微笑が一番怖い。

 

 父は浮気をしていたのだろうか。

 あのネズミは父なのか、相手の女か。

 

 母の前ではいい子にならなくてはいけない

 本当の事でも言ってはいけない。

  

 幼心に自分の命を守る術を知った。

 

   

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る