閑話①

「では、帝室からのこの礼状を、五人に見せればよろしいんですね?」

「あァ。べつに急ぎはしねェからよ。オマエのタイミングでよろしく頼むわ」

「わかりました。午後に全員スタジオに集まるそうなんです。ですから、その場に持って行きます」

「あァ? こないだ建国祭が終わったばっかってのに、もう次の曲の準備すんのか? ウチのガキどもは優秀だな」

「ええ、本当に。……この礼状、五人に宛てたものみたいですが、最終的に誰に渡せばよろしいんでしょうか?」

「宛名が一応ユリアになってっからユリアに渡しといてくれ。他のヤツらも、たぶんそうしろって言うだろ」

「わかりました。では、私はこれで」

「おう。ご苦労さん」

 ヴォルターに向かって一礼すると、ミトは社長室をあとにした。さすがは元トップモデル。踵を返してドアを閉めるまでの一連の動作が美しい。彼女の立ち居振る舞いは、実に見応えがある。

 ユリアをはじめとするメンバーたちにも、その立ち居振る舞いは叩き込まれていた。どんな場に出ても恥ずかしくないようにと、デビュー前から厳しくレクチャーしていたのだ。

 そのおかげもあって、先日の建国二千年祭は、見事大成功を収めた。

「すげェ歌い手になると見込んではいたが……まさかここまでデカく育つたァな」

 煙草が苦手なユリアのことを思い浮かべながら、ヴォルターはそれを口に咥えた。火をつけて燻らせば、爽快で芳しい香りが鼻からすっと抜けていった。

 彼女の前では絶対に吸わない。メンバーで唯一の喫煙者であるアイラも、それは徹底している。苦手、かつ、少しでも歌うことに悪影響を及ぼす可能性があるのなら、彼女の前で吸うべきではない。それが、暗黙のルール。

 当の本人は、とくに何も気にしていないのだけれど。

「んっとに……いい意味でガキの頃からなんも変わってねェんだよな。アイツ」

 ユリアとの過去を回想する。思い返せば、出会った頃から不思議な子だった。

 ヴォルターがユリアを知るきっかけとなったのは、とある教会で開かれたゴスペル音楽祭。何十人という人々が歌っている中で、ユリアだけが異質だった。

 当時九歳で、おそらく最年少。体も一番小さかった。けれど、その歌声は、どの歌声よりも透明で、幅広で、響いていた。

 ユリアは、倍音を発していたのだ。あの年で。それも、無自覚に。

 感動と、喩えようのない怖ろしさに、鳥肌が立った。同時に、あの子をどうにかして自分のもとで育てたいとの、強い欲求に駆られた。

 名刺を渡すために近づいた。泣いて逃げられる覚悟で。自分の強面具合は、重々心得ている。


 ——嬢ちゃん。ちょっと話したいことがあるんだが、おっちゃんに時間もらえるか?

 ——いいですよ。

 ——……おっちゃん、音楽事務所の社長やってんだ。結構有名な歌手も、何人か所属してるんだが。

 ——社長、さん?

 ——あァ。これが名刺だ。嬢ちゃん、歌うの好きか?

 ——え? うん。大好き、ですけど。

 ——じゃあ、おっちゃんとこで歌ってみっか?

 ——うーん……お父さんとお母さんに聞いてみないとわかんない。

 ——ははっ、そりゃそうだな。悪ィ、つい勇み足になっちまった。じゃあ、親御さんと相談して、またいつでも連絡してくれ。

 ——わかりました。

 ——……なァ、嬢ちゃん。

 ——?

 ——……オレのこの顔、怖くねェのか?

 ——顔って、顔つきのこと? それとも、その傷のこと?

 ——ずいぶんはっきり言うのな。その両方だ。

 ——どっちも全然怖くないですよ。それに傷なら、顔じゃないけど、わたしのお父さんもいっぱいあるから。


 可愛い顔をして、やけに肝の据わっている子だと思った。純粋に、好奇心から、彼女の親の顔を見てみたいとも思った。

 数日後。彼女の父親だという人物から連絡が来て、卒倒しそうになった。

 彼女の父親であるセオドア・シュトラスは、自分にとって命の恩人。彼がいなければ、自分は間違いなくこの世にはいない。

 あのとき——この顔の傷を負わされた、あのとき。

 彼が助けてくれなければ、自分は間違いなく殺されていた。

「そういやァ、助かったあと音楽療法リハビリに付き合ってくれたのが、エドガーさんだったなァ」

 妙に懐かしんでしまうあたり、自分もずいぶん年を取ったと痛感する。

 懸命のリハビリも虚しく、傷を負ってから一年も経たないうちに退役してしまった。あの事件で喪ったもの、被ったダメージは、自分が思っていたよりもはるかに大きかったらしい。

 妻の父親から今の地位を譲り受け、ある意味軍人時代よりも必死で駆け抜けてきた十五年間。気づけば、いつのまにやら四十も半ば。時が経つのは、本当に早い。

「……せっかく生き長らえたんだ。できるかぎり、アイツらにいい景色を見せてやりてェよな」

 ふっと笑って煙草をふかす。舌に残る濃厚な味がたまらない。

 初めてこの椅子に座したときからずっと、ヴォルターは心に決めていた。所属するアーティストたちは、実の子同然。彼らのためなら、自分は盾にも鉾にもなってやるのだと。

 のそりと、まるで狼のように椅子から立ち上がる。きゅっと灰皿に押しつければ、立ち迷った紫煙は空気に溶けてなくなった。

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