第26話 Boy's Side(12)

 試験が近づいていた。いつもはさぼっているぼくもさすがにここ最近は家に帰ってからも机に向かうようになっていた。夕食の後、英語の勉強をしているうちに、SVOとかSVOCとかわけわかんないな、と思って頭がこんがらがっていると、ベッドの枕元に置いてあったスマホが鳴った。誰だろう。ナゴかトシかな、と思いながら手に取る。トシはあの後女の子たちから無事に解放されたのだろうか。画面を見ると、サラからメッセージが来ていた。そういえば、夜に連絡するって言っていた。なんだろう。

「いいものを送るね」

 そう書いてあった。「いいもの」? 「いいもの」ってなんだ。不審に思っていると、今度は写真が送られてきた。女の子の写真だった。顔は口元しか見えない。そして、その女の子は服を着ていなかった。裸だった。すべてがよく見えた。大きめの丸い胸も白いお腹もそして股間の黒

「って、おい!」

 そこまで見たところで声をあげて、スマホから目を背けた。何に突っ込んだのかは自分でもわからなかったけど、それ以上見てはいけない気がしたのだ。写真はそれからも届き続けた。ガン見しないように気をつけながら薄目で見てみると、どの写真にもさっきの女の子が映っていて、やはり裸だった。さっきの女の子、とぼかす意味はないだろう。サラだ。サラが裸を自撮りしたのだ。ちょうどこの部屋で見たばかりの裸だ。忘れるはずがない。裸の写真を送られても、嬉しく思ったりエロい気分になったりすることはなかった。純粋な困惑がぼくの中から吹きこぼれそうになっている。そうしてほしいと頼んだわけでもないのに、どうしてこんなことをするんだ、サラ。またスマホが鳴った。今度は写真ではなくメッセージだった。

「リョウマくんのも見たいな」

 それを見た瞬間、サラに電話をかけていた。文章じゃダメだ。口で言わないと、耳で聞かないと。そうでないとあの子の考えが理解できそうになかった。

「どうしたの?」

 のんきな声を聞いて頭に血がのぼりかけた。須崎のおじさんがサラを殴ったときもこんな気分だったのだろうか。目を閉じて心を落ち着けてから話をする。

「どうしてあんな写真を?」

「あれ? 嬉しくなかった?」

「嬉しいも何も、ぼくはこないだ、サラの裸を直接見てるじゃないか。いまさら写真じゃ喜べないよ」

「そうなの?」

「そうさ。サラだって、ぼくの裸を直接見たいんじゃないの? 写真で満足できる?」

 自分でも妙なことを言っている気がしたけど、話の流れだから仕方がなかった。

「ああ。それなら直接見たいな。直接だったら触れるし、そっちの方がいい」

「だろう? 今度見せるから、もうあんな写真を送るのはやめようよ。ぼくも消しておくから、サラもちゃんと削除してよ」

 それに、昔の恋人に裸の写真をばらまかれて自殺した女の人がいるというのを、ニュースで見た覚えがある。こういうのはよくないことなのだ。

「でも、リョウマくんはそういうことしないでしょ?」

 そういう問題じゃないんだよ、とまた頭に血がのぼった。なんでだよ。どうしてこんなことをするんだよ。サラにこんなことをしてほしくないんだよ。そう怒鳴りそうになるのをなんとかこらえていると、電話の向こうからぼそぼそ言う声が聞こえはじめた。

「勝てないと思ったの」

「え?」

「だって、リョウマくんのスマホにヒカルちゃんの動画があったから」

 いつの間に。いつ見られたんだ、とフルスピードで脳を回転させようとして、今日の喫茶店だ、とすぐに気がついた。トイレに行くときにスマホをテーブルの上に置きっぱなしにしていた。脳を無駄に動かさなくてよかったものの、その代わり自分の不注意さに落ちこんでしまう。いや、不注意というよりはサラを信じていたからつい置いてしまったのだけど、それは間違っていた、ということだ。信じたのが間違い、だなんて悲しいことをあまり考えたくはなかったけど。

「リョウマくん、あれ、いつも見てるんだよね? あの白いワンピースのとテニスをやってるの」

 そう。実はこの前一緒にテニスをしたときにも、ぼくはこっそりヒカルちゃんを撮っていたのだ。彼女がネットまでダッシュしてボレーを決める姿をしっかりとらえていた。汗をきらきらと飛び散らせながら笑う彼女がとても素敵で、何度も何度も見ていた。

「エッチな動画とかあるかな、と思って見てみたんだけどね」

 そこでわずかな間黙ってから、

「でも、あれならエッチなやつのほうがよかった。あれを見たら、リョウマくんがヒカルちゃんを好きなのがよくわかっちゃったから。いつもあんな風にヒカルちゃんを見てるんだね。本当に好きじゃなかったら、あんな風には見れないよ」

 それであんな写真を送ってきたのか。ぼくのスマホにはヒカルちゃんの写真や動画はあっても、サラのは何もなかった。サラから写真が送られてきたことはあったはずなのに、何故か残っていなかった。

「ぼくがヒカルちゃんを好きなのはわかってるって、サラは言ってたじゃないか」

「頭ではわかってても心ではわかってなかったんだよ。自分でもすごくショックを受けちゃって、そのことにもショックを受けてる。わたし、何も覚悟ができてなかったんだ、って」

 声が震えていてショックが本当なのだとよくわかる。そうか、パンケーキを食べさせられたときも、何かおかしいと思っていたけど、あれもショックを受けたせいだったのか。

「ごめんね。変なことをして。でも、わたし、不安で不安でどうしようもなかったから。ごめん、ごめんなさい」

 泣き出してしまった。困ったな。どうやって慰めればいいのだろう。天井を見ながらしばらく考えているうちに頭に妙な考えが飛びこんできた。

「サラは動画を見たから不安になっちゃったんだよね?」

「え?」

「あのさ、見たならわかると思うんだけど、あの動画は隠し撮りなんだ。ヒカルちゃんに聞かないで勝手にこっそり撮ったんだ」

「うん。それはわかってた。なんか変態っぽいなあって思った」

 でしょうね。それは自分でもわかってるよ。

「だから、今からヒカルちゃんにそれを言って謝ってから、スマホから動画を削除するから。そうしたらもう心配ないよね?」

「いいよ、そんなことしなくても。そんなことしたって何の意味もないよ」

 サラの言う通り、今言った考えに意味がないことは、他ならぬぼく自身が薄々感づいていた。そんなことをしても、ぼくがヒカルちゃんを好きだということは、何も変わりはしない。サラは少しも救われはしない。ただ、ぼくは今、よくないことをしてしまった、という思いでいっぱいだった。ぼくが妙なことをしたからサラまで妙なことをしてしまった。それにぼくのしたことがヒカルちゃんにとっていいはずもなくて、それを謝りたいという気持ちに支配されて、その気持ちのままに動き出したくてしかたがなくなっていた。

「まあね。意味があるのかどうかわからないけど、でもとにかくヒカルちゃんに謝ることにするよ。隠し撮りはやっぱりよくないことだからね」

「やめて。そんなことしたら、ヒカルちゃんに嫌われちゃうよ」

「それならそれでしかたないよ」

 サラがまだ何か言っていたけど、聞かないうちに通話を切ってしまった。そして、今度はヒカルちゃんに電話をかける。


「あのねえ」

 電話の向こうからぼくの大好きな声が聞こえてくる。だけど、その響きはいつにも増して苛立たしげだ。

「夜遅くに電話がかかってきて、何かと思ったら、“実はあなたの動画を隠し撮りしてました。ごめんなさい”って、いきなり謝られた人の気持ち、あんた、わかる?」

 わかりません。本当に申し訳ありません。

「本当、すごいよね。あんたがばかなのはよく知ってるつもりだったけど、話すたびにばかの新記録を更新していくんだもの。将来、プロのばかにでもなったら?」

「それ、面白いね」

 ジョークだと思って笑ってみたら、スマホ越しにでもわかるほどの激しい火のような怒りの気配が伝わってきた。考えてみたらジョークを言う状況では全然なかった。

「それで、動画って何本撮ったの?」

「撮ったのは2本だけだよ」

「2本も撮ったんだ。へえ」

 「も」を思い切り強調された。ヒカルちゃんは水が半分入ったコップを見て「まだ半分も入っている」と考える人なのかもしれない。

「いつどこでそんなの撮ったの?」

「夏休みの美術館とこないだのテニス。それを撮ったんだけど」

「びじゅつかん?」

 声が高くなった。どうしたんだろう。

「あんた、何を撮ってんのよ。本気で変態なんじゃないの?」

 確かにスキップをしているのを撮られるのは恥ずかしいはずだけど、だからといって変態と呼ぶのはひどい気がする。

「そりゃあ、いくら気持ちがよかったからって、つい外で踊っちゃったわたしもよくないとは思うけど、そんなところを勝手に撮るなんて」

「ヒカルちゃん、美術館の外で踊ってたの?」

「え? なに? 違うの?」

「違うよ。ぼくは美術館の中で撮ったんだ」

 電話の向こうが静まり返る。しばらく経って、咳払いが聞こえて、それからまた話し始めた。

「そう。中で動画を撮ったの。だったら、まあ、いいのかな。いや、本当はよくないんだけど」

「あの、外で踊ってたっていうのはいったい」

「それで、どんな動画を撮ったの?」

 ぼくの質問を強引に押し潰そうとしていて、とても答えてくれそうにはなかった。外で踊っていた件、すごく気になるから、この後も追跡調査をしよう。

「ああ、それはね。テニスのやつは普通に試合してるところ」

「ふうん。それで、美術館は?」

「ヒカルちゃんがスキップしているところを撮ったんだけど」

「はあ? わたし、そんなことしてないんだけど。嘘つかないでよ」

「いや、だって、してたよ」

「してない」

「してたって」

「してない」

 ああ、もう、強情だなあ。こういうところは子供の頃から変わっていない。

「あのさあ、ヒカルちゃんは覚えてないのかもしれないけど、動画にはちゃんと映ってるんだよ、ヒカルちゃんのスキップ」

「それはあんたのスマホが壊れてるのよ。嘘か幻か夢でも撮っちゃったんでしょ」

 そんなスマホが本当にあったら、壊れているどころかとんでもない高性能だよ。

「わたしにはよくわからないんだけど、どうしてそんなのを撮るわけ? なんかやらしいことに使ってるの?」

「違うって。そんなことには絶対使ってない」

「じゃあ、何のために撮ったの?」

「疲れたときやつらいときにヒカルちゃんの動画を見たら、また頑張れる気がするんだよ。何かに救われる気がするんだ」

「そんな、お守りか何かじゃないんだから。人を勝手に神様みたいにしないでよ。あんた、本当にやばいんじゃないの? 一度病院に行ったら?」

 「間宮光症候群」にならかかっている確信はある。間違いなく不治の病だ。

「別に変なことを考えてたわけじゃないよ。ヒカルちゃんの姿を残しておきたかっただけなんだ。あんまりかわいいから、ついやっちゃったんだよ。でも、そんなことはよくないって、今やっと気づいたんだ。ごめんね。もう2度としない」

 沈黙が怖かった。せつなげな溜息の後で彼女が話し出す。

「なんでわざわざ言うのかな?」

「え?」

「あんたが反省したいなら勝手にすればいいけど、わたしに言わなくてもいいじゃない。黙っておけばわからなかったのに、わたしも気分が悪くなったりなんかしなかったのに。あのときのスマホもそうだったけど、なんでもかんでもわたしに知らせないでよ」

「あのとき?」

 スマホ? 彼女に何か変な電話かメールでもしてしまっていただろうか。まるで覚えがなかった。

「あ。ううん。それはいいよ、こっちの話だから。とにかく」

 一瞬だけ聞こえたうろたえた声はまた平坦でそれでいて険しさを秘めたものになる。

「あまりわたしを舐めてほしくないの。何をやってもわたしは許してくれるなんて思わないで」

「そうじゃない」

 電話の向こうで息を呑むのが聞こえた。言った自分でも驚くくらい強い調子だったからそうなるのもしかたがなかった。少しむきになっていたのかもしれない。

「舐めてなんかいない。たとえヒカルちゃんが許してくれなくても、嫌われたとしてもちゃんと言うべきだ、と思っただけだよ。それ以外に意味なんてないよ」

 もういちど溜息が聞こえた。

「リョウマくん、あなたって本当にばかだよ。ばかすぎて怒る気にもなれない」

「ごめん」

 また溜息。耳に息を直に吹きかけられているようで、だんだん怪しい気分になってくる。

「まあいいよ。これから会うたびに“この盗撮野郎”って心の中で思うことにするから」

 罵られているのに、また会ってくれるんだ、と思って嬉しくなってしまった。ヒカルちゃんに関してはぼくは前向きにしかなれないようだった。空のコップでも、ぼくの目には水があふれそうに見えてしまう。

「じゃあ、わたしもう寝たいから。あんたのせいで変な夢をみそうだけど」

「うん。おやすみ。ヒカルちゃん、本当にごめんね」

「ああもう。いい加減にしてよ。お願いだからもう2度と電話してこないで」

 それで電話は切れてしまった。結局、許してもらえたのかどうか、よくわからなかった。ただ、約束は約束だった。スマホから動画を削除することにした。名残惜しいけど、脳内で完璧に再生しておけるほど繰り返し見ていたから、削除してもあまり変わりはないのかもしれない。消し終わって、肩を落としていると、手にしていたスマホの画面が光ってメールが届いたのを知らせてきた。なんだろう。確認するとヒカルちゃんからのメールだった。ヒカルちゃんとも通話アプリでやりとりしたかったけど、あんな話をした後では頼めるわけがなかった。

「ばーか」

 それだけしか書かれてなかった。まあ、確かにぼくは馬鹿だけど、とわけがわからないままでいると、動画が添付されているのに気がついた。5秒ほどの動画だ。早速見てみると、ヒカルちゃんの顔が大きく映っていた。自撮りしたのだろう。そして、指で右目の下の赤いところを見せると、べえっ、と画面に向かってきれいな色の舌を突き出した。それで動画は終わった。どういうことだろう。文字通り馬鹿にされているのだろうか。それとも、削除した動画の代わりにこれでも見ていろ、ということなのだろうか。そういうことなら、ありがたくもらっておくけど。

 今度は電話がかかってきた。サラからだ。

「やっと通じた。今までヒカルちゃんと話してたの?」

 ずっとぼくと話そうとしていたらしい。心配させてしまったみたいだ。

「うん。謝っておいたよ」

「どうだった。怒られた?」

「そりゃあね。かなり怒られたよ。ぼくのせいだから仕方ないけど。たった今動画も削除した」

「そう」

 サラは喜んではいないようだった。結局、今のぼくの行動は誰のためにもなっていないような気がした。

「あ、でも、変な話なんだけどさ。電話の後でヒカルちゃんが動画を送ってきてね」

「動画?」

「うん。ぼくに向かってあっかんべーをしている動画。なんなんだろう。やっぱり、まだ怒ってるのかな」

 返事はなかった。どうかしたのかな。

「サラ?」

「あ、うん。ごめん。あはは、そうだね、ヒカルちゃん、何を考えてるのかな」

「もともと何を考えてるかわからない子だから、あまり気にしない方がいいかもしれないけどね」

 あはは、とサラがまた笑ったけど、どこか気の抜けた笑いだった。本気で面白いと思ってはいないような感じだ。

「ねえ、リョウマくん」

「うん?」

「お願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」

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