第8話 Girl's Side(8)

 女の子たちが集まると男の子の話ばかりしていると思われているかもしれない。だけど、わたしたち5人の場合はそんなことはなかった。昨日の授業の話、明日の授業の話、クラス内の人間関係の話、どこかから仕入れた食べ物の話、だいたいはそんなところだった。我ながらつまらない、と思わなくもないけれど、それが不満なのか、と訊かれれば、そうでもないと答えるしかなかった。つまらない人間なりにつまらない毎日を送っていくしかないのかもしれなかった。

 ただ、そんなわたしたちでもごくたまに真面目な話をすることもある。去年の秋にみんなで新宿で映画を観た帰りにファストフードに入ったときのことだ。ガッキーおすすめの美形の吸血鬼が主人公の映画を観たのだけれど、血しぶきが飛んだり首が飛んだりする想像以上に残酷な内容で、シネコンを出たときにはガッキー以外の4人はほとんど放心状態になっていた。「ねえ、すてきだったよねえ」とひとりだけ喜んでいるガッキーをがっかりさせるわけにもいかないので、わたしはアイスティーを飲みながら落ち着こうとしていたし、エノはリスみたいにフライドポテトをさくさく食べ続け、ナギも近日公開予定の映画のチラシを涙目で見ながら、それぞれ一生懸命にふだん通りにふるまおうとしていた。でも、チーちゃんだけはがっくりと頭を垂れて魂が抜けてしまいそうな感じになっていた。ああいう映画が苦手だったとは、ちょっと意外な気がしたけれど、そういえばお化け屋敷もダメだと前に言ってたっけ。

「なんかみんな元気ないけど、大丈夫?」

 みんな黙ってしまっているので、さすがにガッキーも怪しいと気づいたようだ。悪い雰囲気になるのは嫌だから、なんとかこっちから話をしようと思ったけれど、何も思いつかない。いつもトークを切り回しているチーちゃんがあんなことになっているし、エノもナギも頼りにならないから、わたしがなんとかするしかない、と柄でもなく責任感に突き動かされてなんとかひねり出した話題が、

「将来のことってどう考えてる?」

 これだった。特に考えもなくなんとなく口走ってしまったけれど、あまりに壮大すぎて、自分でもどうかと思った。

「なに? いきなりだなあ」

 ナギが顔を上げて不思議そうにこちらを見た。でも、不思議なのはわたしも一緒だった。自分で自分がよくわからない。

「いや、あのね。わたしはまだあんまりそういうことをちゃんと考えてなくて。とりあえず大学までは行くことにして、何をするかはそのうち決めようかなあ、くらいに思っているんだけど、やっぱりそれじゃダメな気もするから、みんながどんな風に考えているのか聞きたいんだけど」

 言い訳っぽいなあ、と自分でしゃべっていても感じてしまうくらいだから、いきなりこんな話題を振られてみんなも戸惑っているようだった。チーちゃんも少し復活したみたいでわたしの顔を見ていたけれど、心なしかまだ目がぼんやりしている。

「そうだねえ」

 それでもガッキーはちゃんと答えようとしてくれていた。映画の好みには問題があるけれど、やっぱりいい子だった。

「わたしは先生か公務員になろうと思ってる」

「堅実だねえ」

「別にそうでもないよ。とにかく収入を安定させたいだけだから」

 エノに感心されてガッキーは照れくさそうにしたけれど、それこそがまさしく堅実なんじゃないの、という気がした。ナギも同じようにひっかかったらしく、突っ込みを入れてきた。

「んー、でもさあ、その考えはわかるんだけど、なんというか、夢がなくない?」

「夢は夜みれば十分だよ」

 そう言うとガッキーはハムチーズサンドを食べ出したので、わたしたちは何も言えなくなってしまった。真面目でしっかりしているけれど時々すごく謎めいた話をするよなあ、とか、長い睫毛に店の照明が反射してきれいだなあ、とか、深いレベルと浅いレベルであれこれ考えてしまった。でも、そんなガッキーがわたしは好きだった。先生か公務員になっても、ずっと友達でいてくれたらいいのだけれど。

「わたしもヒカルと同じでまだちゃんと考えてないんだけどさ」

 チーちゃんが話しはじめた。一応元気になったみたいだ。

「とりあえず、音楽は続けていこうと思ってる。趣味でもなんでもいいからさ」

「プロにはならないの?」

「いやいや。無理。無理だって。わたしなんかじゃとてもとても」

 わたしの質問にチーちゃんはあわてて手を振って否定した。そうでもないと思うよ、と言いたかったけれど、言ってもしょうがない気がしたので黙っておいた。チーちゃんは自分がどんなにすごいのかをわかっていないのだ。軽音楽部でドラムを担当していて、文化祭のライブでも一番目立っていた。わたしの横で演奏を見ていた高等部のお姉さんたちが「あのサイドポニーの子、いいよね」と言うのを聞いて、わたしの友達なんです、と自慢したくなるのを我慢するのに苦労したのを思い出す。だから、もっと自信を持ってほしかった。

「でも、プロになりたいんでしょ?」

 もう一度言ってみた。チーちゃんは少し黙ってから、

「そうだな。なりたい。なれればいいな。もしなれなくても一生続けたい」

 そう言って照れくさそうに笑った。

「きっとなれるよ」

「そうだよ。チーちゃんなら絶対なれるよ」

「チヒロ、デビューライブには招待してくれよな」

「うっさいな。おまえたち、人のことをばかにして」

 わたしもガッキーもそんなつもりはなかったけれど、ナギのせいでみんなでばかにしていることになってしまった。

「ああ、それでさ。次はエノ。エノは将来どうするんだ?」

 チーちゃんが照れ隠しに無理やり話を振ると、

「ドキンちゃんになりたい」

 エノはにっこり笑ってそう言った。

「は?」

 わたしとガッキーとナギ、3人の声がはもってしまった。チーちゃんだけは昔からの友達をじっと見つめた後で、立ち上がって真向かいに座っていたエノの頭をテーブル越しに撫で始め、頭のてっぺんにまとめてあったお団子をしっかりと握りしめていた。

「よしよし。エノはまだ子供だもんな。そういう年頃だよな。おう、よしよし」

「もう、ばかにしないでよ」

 一生懸命チーちゃんの手を振り払おうとするものの、身長と腕力に差があって、髪の毛はぐしゃぐしゃになっていく一方だった。

「ちょっと、エノ、おまえ、マジで言ってるの? シャレじゃなくて」

「あたりまえだよ。わたしは本気で言ってるの」

 そう返されてさすがのナギも言葉に詰まってしまう。いや、本気だとしたらそっちのほうが問題のような気がする。

「みんなよく考えてみてよ。ドキンちゃんってすごいんだから」

 エノの本気度が伝わったらしく、チーちゃんもからかうのをやめて席に座り直した。

「え? すごいって、どのへんが?」

「わからない? ガッキー。だって、あのばいきんまんを手足のようにこき使ってるんだよ、すごくない?」

「あの」と言われても、あいつがそんなにすごいやつとは思えない。毎回アンパンマンに負けているし。

「ああ、確かになあ。言われてみれば、ドキンちゃんって小悪魔タイプかも」

「そう! まさにそう! わたしもそれを言いたかったの。ナギならわかってくれると思ってた」

 勝手に仲間にされそうになってナギが困惑している。

「それだけじゃなくて、本命がしょくぱんまんなのもすごい。すごく見る目ある」

「そう? わたしは普通にアンパンマンがいいけど」

 そう言ったガッキーをエノが、きっ、とにらみつける。

「愛と勇気だけが友達なやつなんか絶対やばいって! そんなのと付き合ったら大変なことになるよ!」

 パンと付き合っている時点で既に大変なことになっている。そんなことを真面目に考えているエノのほうが絶対やばい人だ。今度からもう少し優しくしてあげたほうがいいのかもしれない。

「うん、エノの言いたいことはよくわかった。これからもドキンちゃん目指してがんばろうな」

 チーちゃんが話を終わらせにかかっていた。幼稚園の頃からの付き合いらしいから、暴走したときの扱い方もよくわかっているのかもしれない。

「でもさあ、正直わたしはメロンパンナちゃんのほうがいいんだけど」

 なのにナギがまた話を蒸し返す。

「わたしは鉄火のマキちゃんがいいな」

「あ、確かにチーちゃんに合ってるね。じゃあ、わたしはサラダ姫」

 ちょっと待って、みんなアンパンマンに詳しすぎない? うちではディズニーとかルーニー・テューンズとかを見ていたから、話が合わなかったらちょっと気まずい。みんなが盛り上がる前に話を戻すことにする。

「じゃあ、最後にナギ」

「え?」

「え? じゃなくて。ナギは将来どうするの?」

「ああ、そうだった。その話だった。完全にアンパンマンのことしか考えてなかった」

 ははは、と笑ってからバニラシェイクを飲んだ。

「お嫁さん」

 小声で呟かれたので何かの聞き間違いかと思った。

「今なんて?」

「だから、お嫁さん」

 みんなしばらく無言になった後で、チーちゃんが溜息をついた。

「ナギ。受け狙いは別に構わないんだけどさ、エノのドキンちゃんの後にそれは正直厳しいというか」

「受けなんか狙ってないって。本当のことを言ってるんだって」

 日頃ふざけてばかりいるから今度もそうに決まっていると思っていたら、どうも話が違うみたいだった。ガッキーがナギに真面目に訊いてきた。

「じゃあ、本当にお嫁さんになりたいの?」

「なりたい、じゃなくて、なる、ってもう決まってるんだよ」

「それじゃまるで、いいなずけみたいじゃないか」

「そうそう。わたし、いいなずけがいるんだ」

 冗談で言ったつもりなのに真実を衝いてしまって、チーちゃんも驚いて言葉が出ない。

「生まれたときから、じゃなくて、生まれる前からだな。“もし女の子だったらお嫁に行かせます”って、そういう決まりになっていたんだよ」

「ナギちゃんのおうちってすごいうちなんだ」

 エノがもともとまんまるな目をさらに丸くしている。

「別にすごくないよ。やたら昔から続いてるだけで、お金持ちでも何でもないし」

「相手はどんな人なの?」

 さすがにわたしも気になりすぎて質問してしまった。

「さあ。会ったことないから」

「はあ?」

 今度はナギ以外の全員がはもってしまった。

「いや、名前とか何歳くらいとかは知ってるよ。顔も写真で見たから知ってる。ただ会ったことがないってだけ」

「でも、もしこれから他に誰か好きな人ができたらどうするの?」

「できないよ。子供の頃からずっと、大人になったらそうするんだって言われてきたし、わたしもそういうものなんだって思っているから。もう決まっていることなんだよ」

 そう答えるナギの声がひどく落ち着いていたから、エノも何も言い返せなかったし、他の3人もそれ以上何も聞けない。それどころか話がすごすぎて理解がまるで追いついていない。江戸時代とかそんな昔の話じゃなくて、いつも一緒にいる友達にそんな事情があったなんて。しかも、いつもばかみたいにふざけているナギにだ。

「ナギ、ごめんね」

「え? どうしたの、いきなり」

「だって、そんな大事な話、あまり言いたくなかったんじゃないの? なのに、わたしが聞いたから」

「いいっていいって。気にしなくていいって。別に秘密でもなんでもないからさ。ヒカルのせいじゃないよ」

 ふふっと微笑まれた。この数分ですぐ目の前のナギに対する印象がすっかり変わってしまったような気がする。

「あ、でも、学校では話してほしくないかな。なんか面倒なことになるかもだし」

「そんなドラマみたいな話、言ったって誰も信じないよ」

 チーちゃんがコーラのストローを噛み潰しながら答える。

「なら大丈夫かな」

「うん」

 みんなで頷き合う。なんとか明るい雰囲気になったので安心した。それからしばらくは、ナギに優しくしようと考えていたけれど、あの子はわたしの気も知らないでばかなことばかり言ってくるので、嫌になってすぐにやめてしまった。でも、ナギはばかでちょうどいいのかもしれない。

 

 ベッドに横になりながら、そんなことを思い出していた。晩ごはんにチーズフォンデュが出てハイになって食べすぎて、動けなくなってしまったのだ。でも外食でやらかさなくてよかった。気をつけよう。30分近く寝転がって、やっとお腹が楽になってきたので起き上がって窓の外を見る。街灯がひとつだけぽつんとあって、そのせいで余計に夜の闇が濃く感じられる。もう一度ベッドに横たわる。

 あのとき、もののはずみで将来の話なんかしてしまったけれど、わたしはひとつウソをついていた。まだちゃんと考えていないというのはウソで、本当はなりたいものがあったのだ。

 スーパーモデル。わたしはそれになりたかった。でも、とてもなれはしない、というのもよくわかっていた。なにしろ圧倒的に身長が足りない。外国のモデルさんは180㎝もざらだという。うちのパパよりも大きい。わたしも身長を伸ばすためにがんばってバスケ部に入ったり牛乳を飲んだりしているけれど、それでも全然届きそうにない。どこかの博士が今すぐすごい発明をしてくれない限りとても無理な話だった。エノがドキンちゃんになるほうがまだ可能性があるのかもしれない。

 もっと正直に言えば、別にモデルになってランウェイをかっこよく歩きたい、というわけでもなくて、ただ単に大きくなりたかった。180㎝はもちろん、2mでも3mでも10mでも大きくなれるならそれでもよかった。大きくなって街を好きに歩いて自動車くるまを踏みつぶしたりしたらどんなに気分がいいだろう、とときどき思う。わたしは意外と危険思想の人なのかもしれない。もちろん、いくら仲のいい友達でもそんなばかげた願い事は話せなかった。実現する見込みのない夢を抱えたまま、第二志望か第三志望の実現できそうな夢をなんとかかなえて、やっていくしかないのだろうか。どんよりした気分になっているところにチーちゃんからメッセージが来た。

「ヒカル、楽しんでる?」

 そこまで楽しいわけでもなかったけれど、そう聞かれれば「楽しい」と答えるしかない。

「帰るのいつだったっけ?」

 あさって、と返す。

「じゃあ、急で悪いんだけどさ、帰った次の日にエノに会いに行かない?」

 本当に急な話だった。どうもチーちゃんは一人でエノの家まで出かけて行ったものの、みんな留守にしていて会えなかったらしい。

「アポを取らなかったわたしが悪いんだけど。でも、連絡してたら、どうせあいつ逃げちゃうし」

 文面からもいらいらしているのがわかる。心配しすぎて怒りに変わってしまったようだ。

「だから、もう一度行こうと思って。今度はヒカルもナギもアオイもみんなで一緒にさ」

 チーちゃんは何故かひとりだけガッキーを「アオイ」と下の名前で呼ぶ。もっとも、ナギもひとりだけチーちゃんを「チヒロ」とちゃんと名前で呼んでいたから、みんなにはそれぞれ自分なりのこだわりがあるようで、そして、それはわたしがとやかく言うべきことでもなさそうだった。ガッキーがチーちゃんに「アオイ」と呼ばれるといつも、「そうだった、わたしはそういう名前だった」という風に一瞬きょとんとするのがわたしは好きだしね。

「これ以上待っててもらちがあかないからさ。ここで解決しておきたいんだよ」

 それはわたしもまったく同感だった。だから、急な話ではあったけれどみんなで一緒にエノの家まで出かけることにした。エノ、あの子、本当にどうするつもりなんだろう。

「ありがとう。あ、そういえば今日ラジオあるよ。そっちで聴けるかな? じゃあ、おやすみ」

 おやすみ、とこっちからも返して、ラジオのことをすっかり忘れていたのに気づいた。スマホにアプリを入れてあるから聴こうと思えば聴けるはずだけれど、こんな山奥まで電波が飛んでいるかはわからないし、それ以前に眠気が少しずつやってきていて、0時まで起きていられる自信はとてもなかった。

 ラジオは最初チーちゃんとエノが聴いていたのをすすめられて、友達付き合いで聴くことになったのだけれど、きっかけはどうあれ今ではわたしもすっかりはまっていた。パーソナリティーをやっているのは、お笑い芸人のコンビで、わたしたちだけでなく日本中の女の子にかなり人気があるらしい。わたしはラジオを聴くまで彼らの存在を知らなかったし、聴いてからもこの2人がどんなお笑いをするのか知らなかった。漫才をしているのもコントをしているのも見たことがない。だったら、そんな人たちのラジオを何故聴いているのかと言うと、なんとなく面白いから、としか言いようがなかった。聴いていて邪魔にならない、というのがもっと正確な説明になるだろうか。それから、この2人が芸人にしてはわりとかっこいい、というのもあるかもしれない。そんなのラジオと関係ない、と思われるかもしれないけれど、かっこいい人が話すのとそうでない人が話すのとでは、たとえ顔が見えなくても何かが確実に違っている。ただ、わたしのはまり方は他のみんなとはちょっと違っていた。みんなはボケの人を「かっこいい」と褒めるのだけれど、わたしはツッコミの人のほうが好きだった。確かにボケの人と比べると顔つきはぼやっとしているし、頭の回転も実はあまりよくなくて、ラジオでもときどき言葉につまったり言い間違いをしてからかわれている。じゃあ、どうしてそんな人のほうがいいのかというと、彼は自分がそんなにかっこよくないことに、そんなに頭がよくないことに気づいていて、それを恥ずかしく感じているのを、なんとなくかわいいと思ってしまうのだ。30代の男の人が女子中学生にかわいいと思われてもうれしくはないだろうし、それをはっきり言ってしまうと、「趣味悪くない?」と言われそうなので、仲間内ではボケの人のほうが好きなふりをしている。でも、確かに自分でもあまり趣味はよくない気はする。どこかの軟式テニス部員が一瞬思い浮かんで、ばかばかしくなって寝返りを打ってあおむけになった。

 白い天井がだんだん高くなっていくように見える。わたしは空のガラスの器で、それに青く冷たい液体が少しずつ溜まり出している。なぜかそんなことを考えてしまう。液体がちょうど半分溜まったところで、急に眠気が押し寄せてきた。明かりを消さなきゃ、と思ったけれど、それは実行できなかった。

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