黒島萌花の暗黒微笑

蔵入ミキサ

前編


 「お先に失礼します」

 「お疲れ様。シフトの確認をしておいてね、黒島さん」

 「はい……」


 「黒島さん」と呼ばれた女は、深緑色のコートを羽織り、安物のビニール傘を広げ、雨降る街へと歩き出した。

 黒島(クロシマ)萌花(モエカ)。年齢は27歳で、性別は女。職業はドーナツ屋の店員。わざわざ雨の降る街へと繰り出した理由は、バイト先のドーナツ屋から自宅のボロアパートに帰るため。


 「……」


 店から数歩進んだところで、萌花は立ち止まり、振り返った。

 声が聞こえる。女と男が会話する声。萌花がいなくなった後のドーナツ屋で、先輩店員:里帆(リホ)と後輩店員:達也(タツヤ)が何やら話しているようだ。


 「あの子、もう少し愛想良く接客できないのかしら」

 「黒島さん、相変わらず暗いっスよね。いつもブスーっとした顔で」

 「うふふっ、ブスは言い過ぎよ。達也くん」

 「えぇっ!? 俺、ブスとは言ってないっスよ! ブスーっとした顔で……って、あまり変わらないか。あはは」

 

 いつものこと。そう思い、萌花は表情一つ変えずに、再び前を向いて歩き出した。これまでずっと、後ろ指さされて生きてきた萌花にとって、そのような会話は聞き慣れたものなのだ。


 「……」


 萌花という人間を一言で言い表すと、「根暗」である。真っ黒で長い髪、ニキビの目立つ頬、瞳はあまり大きくなく、顔は地味。上は灰色のパーカーに下はジーンズと、とてもシティガールとは言い難い服装。女性らしい派手さや愛嬌は欠片もなく、一緒にいると気分まで落ち込んでしまうような、そんな女が黒島萌花だった。

 言うまでもなく独身で、彼氏ができたことはない。美術部だった学生時代に友達は少しいたが、もう疎遠になった。第一印象で言うとまずマイナスなので、良い噂を囁かれるより、陰口を叩かれることの方が圧倒的に多かった。


 「あ、通知……」


 ピコン。白いスマホが通知を知らせる。

 萌花はポケットからスマホを取り出し、画面を二度三度ほどタップした。


 「昨日アップした絵に、感想が来てる……!」


 画面に映る「もっとROSETTA(萌花のネット上での名前)さんの描く絵が見たいです!」の文字を見て、萌花は静かに微笑んだ。バイト先では死んでいた感情が、やっと生き返ってくる。

 自宅のパソコンで絵や漫画を描き、SNSにアップしてフォロワーや同クラスタから褒めてもらう……これこそが、まさに現在の萌花の“生きがい”だった。漫画の専門学校に通いながら、読み切りを描いては出版社に投稿していた、あの情熱的な日々を数年前に置き去りにして……。


 「はぁ……。コンビニ寄って帰ろう……」


 暗雲に覆われる空。萌花が行く道の先はとても暗かった。


 *


 ガサガサとビニール袋の音を立てながら、萌花は玄関のカギを開け、自宅であるボロアパートの102号室に帰還した。雨傘は水気を切ってから閉じ、ドアノブに引っ掛けておいた。


 「……」


 コートと靴を脱ぎ、キッチンを通り過ぎると、奥の部屋に着く。そこはテレビやパソコンなどがある萌花の生活スペースだ。

 パチンと電気をつけ、曇天のせいで真っ暗だった部屋を明るくする。すると、その突然の光に反応したのか、萌花のペットが目を覚ました。


 「ーーーーーーー!!」


 萌花のペットは、部屋の主の帰宅を知るなり、早速吠えかかった。やはりまだ懐いてはいないようで、萌花を主人ではなく外界からの敵だと認識しているようだ。しかし、特殊な首輪を付けているおかげで、声は出せないようになっている。


 「……」

 「ーーーーーーーー!!」


 萌花は金網のケージ(犬や猫を閉じ込めておくオリ)の前に立ち、中にいる生き物をじっと見つめた。ペットは吠え続けるのに疲れたようで、今度は体を捩ってガシャンガシャンと暴れ出した。


 「だめ」

 

 萌花はそう言うと、ポケットから白いスマホを取り出した。

 声は消せるが、物音は消せないのだ。あまりうるさくしては大家さんに怒られてしまうので、萌花はペットにしつけをすることにした。


 「ーーーー!? ーーーー!!!」


 特殊な首輪。ペットが言うことを聞かない場合、スマホアプリで電気ショックを送ることもできる。首輪から放たれる強烈な一撃に身悶え、ペットは悲痛の表情を浮かべた。


 「もう、暴れない?」

 「ーーーー……!」

 「うるさくしない?」

 「ーーーー……」

 

 萌花の問いかけに、ペットはこくこくと何度もうなずいた。


 「約束やぶったら、今度こそ殺すからね」

 

 萌花はまたスマホアプリを開き、『ボイス』の項目をオフからオンに切り替えた。こうすると、ペットは声を出せるようになる。

 

 「はぁ、はぁ……」

 「わたし、帰ってきたんだけど? 何か言うことは?」

 「う、うるさいっ! 早くここから出してよ!!」


 萌花がケージの中で飼っている生き物とは、一人の少年だった。正真正銘、日本人の男の子。年齢は10歳くらいで、少し痩せてはいるがまだまだ元気な健康体だ。


 「出さないよ。わたしのペットだもん」


 萌花はケージを軽く蹴り、吠えかかってくる少年を黙らせた。


 * * *


 数日前。ドーナツ屋でバイトの帰り道。

 それはほんの偶然だった。


 「子どもの人身売買……?」

 「率直に言えば、ですがね。できれば『児童保護の観点に基づく家庭の斡旋』だと呼んでいただきたい」


 街中でたまたま謎の男に声をかけられ、路地裏にある店へとついていくと、そこが子どもの人身売買所だった。男が言うには、1〜10歳ほどの子たちをメインに取引している場所らしい。


 「親のいない赤ん坊、親に捨てられた少年、借金のカタに売られた少女。他には誘拐された子や、災害や事故で行方不明扱いになった子どもですね。ここにいるのは」


 いわゆる、裏の世界というヤツだ。企業の社長クラスや有名芸能人、政界の大物など、金も力もある人間が、道楽としてここで子どもを買っていくそうだ。一応、萌花のような金も力もない一般人もいるにはいるとか。


 「特製首輪と、ケージと、監視カメラ……?」

 「ただいまキャンペーン中でして。子どもを飼育するために必須のセットですが、それ全部タダでお付けしてるんです。どうです? 一人買ってみませんか? 黒島萌花さん」

 「あ、アパートでも飼えますか……?」

 「飼ってる方もいらっしゃいますね。特製首輪のおかげで、子どもの騒音問題もありません」

 「あのっ……! そ、相場は……!?」

 「基本的に、幼い子ほど高いですよ。あと、男の子より女の子の方が人気ではありますね。奴隷ではなく愛玩動物ですから。男の10歳くらいの子だと、手頃な値段ではないでしょうか」

 「男の、10歳くらい……!」


 裏の世界で生きる大人たちが、子どもたちを品評する会場。そこで萌花は、10歳くらいの男の子を探した。できればかっこよくて、性格が良さそうな子を。


 「ふえぇーん! お兄ちゃん、怖いよぅ!」

 「あたしたち、どうなっちゃうの……?」

 

 見知らぬ大人を怖がる子どもたちの中心に、その少年はいた。

 

 「大丈夫。みんなのお母さんやお父さんが、もうすぐ迎えに来てくれるよ。信じて待とう。ぼくもついてるからさ」


 今から売られる。そんな希望の見えない状況で、少年は不安になっている周りの子たちを明るく励ましていた。ムリヤリにでも笑顔を作って自分を奮い立たせるその様は、とても勇敢で健気だった。周りの子たちは、赤の他人であるハズのその少年を「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と頼り、全員で身を寄せ合いながら恐怖と戦っていた。

 

 「あっ……! あの子、ほしい……!」


 萌花は「みんなのお兄ちゃん」を自分の物にしたくなり、思わず手を上げた。

 

 * * *


 ――――――――

 ――――

 ――


 いつものようにテレビをつけ、たいして見たくもないバラエティ番組を映す。これはただのBGMのようなもので、作業中の賑やかしにすぎない。

 デスクの上のパソコンの電源を入れ、絵を描くためのツールであるペンタブを用意する。パソコンが立ち上がるにはまだ時間があるので、今日はどんなキャラクターを描こうかと考えながら、ついでに晩御飯を食べることにした。晩御飯と言っても、コンビニで買ったカップ麺とヤキトリ一本というメニューで、調理の手間などは全くないものである。


 ヤキトリを早々に食べ終え、萌花はカップ麺にお湯を淹れるため、キッチンに向かおうとした。しかし、物欲しそうな瞳に気付き、萌花は先にケージの中のペットの相手をしてやろうと考えた。


 「うぅ……」

 「どうしたの? さっきからわたしの方を見て」

 「べ、別にっ! なんでもない! こっちに来るなよ!」

 「ふーん。それならいいけど」

 「……」


 ぐぎゅるる……。少年の腹の音が鳴る。あからさまに、カップ麺やヤキトリの串をじっと見つめている。


 「お腹、空いてるんでしょ?」

 「空いてないっ!」

 「カップ麺はあげないけど、ヤキトリはあげてもいいよ。って言っても、わたしが食べ終わった後の、だけど」

 「いらないよ! そんなのゴミじゃないか!」

 「へぇ〜。じゃあ捨てちゃおう。タレはまだべっとり残ってるのにねぇ」

 「えっ……!? ま、待って……!」


 萌花が食べた後の、ヤキトリの串。よく見ると串にはまだヤキトリのタレがついている。もちろん普通の人なら迷わず捨ててしまうゴミだが……。


 「なぁに? どうかした?」

 「そ、それ……! それは、その……ゴミじゃない……」

 「うん? どういう意味?」

 「だから、その……! 捨てないで……ほしい……」


 少年の無様に頼み込む姿を見て、萌花はニヤリと笑った。


 「あーあ。手が滑っちゃった〜」

 「あぁっ……!」


 わざとらしい演技と共に、ヤキトリの串はケージの中へと落下した。少年はすぐに、落ちたそのゴミの近くへと這い寄った。


 「どうする? いらないなら捨てるけど」

 「こ、こんなの……。ううぅ……」


 少年は悩んだ。いくら腹が減っているとは言え、この女が食べた後のゴミに口をつけるなんて……と。しかし悩んだ末、少年はゴミに顔を近づけ、ゆっくりと舌を出した。そして……。


 「んっ……。じゅるっ……! んっ、んむっ……」


 ペロペロと、萌花が食べたヤキトリの串を、犬のように卑しくしゃぶった。タレが残ってる箇所を執拗に、激しく舐め取った。生きるためにはこうするしかないと、悲しい決心をしてしまったのだ。


 「きゃははっ! あとで、カップ麺の残り汁も飲ませてあげる。わたしに感謝してね」


 萌花は高笑いしながら、キッチンへと向かった。


 *


 「蓮一(レンイチ)くん、だっけ? 君の名前」

 「うん……」

 「そこに座って。蓮一くん」

 

 萌花は少年をケージから出し、自分のベッドのふちに座らせた。電気ショックのスイッチを萌花が握っているため、逃げ出したり暴れだしたりはできない。

 少年の名前は、篠橋(シノハシ)蓮一(レンイチ)。小学五年生。家族構成は、父、母、妹の、四人家族。本人の話によると、ある日の学校からの帰り道、友達と別れて一人になったところを、謎の覆面集団に捕まってしまったのだという。


 「お父さんとお母さんのところに、帰りたい?」

 「あ、当たり前だろっ!? こんな首輪さえなければ、ぼくはうちに帰れるんだ! お前の言うことなんか、聞かずに済むんだ!」


 蓮一はまた吠えた。すかさず、萌花はスマホの画面をタップし、電気ショックのボタンを軽く押した。


 「うわあああぁーーーっ!!? い、痛いっ……!!」

 

 蓮一は自分の首を掴みながら悶え苦しみ、ベッドの上でのたうち回った。ほどよく体に理解させてあげたところで、萌花はスマホから指を離した。


 「……? わたしのペットのくせに?」

 「はぁっ、はぁっ……!」

 「昨日言ったよね? わたしのことは『お姉ちゃん』って、呼びなさいって」

 「だっ、誰が……! お前みたいな女に、そんな呼び方……!」

 「そう。じゃあ死ぬことになるけど」

 「待って……! わ、分かった。ちゃんとお姉ちゃんって呼ぶよ……! だから、もう電気はやめてっ!」

 「ふふっ、それでいいの」


 萌花のこれまでの人生の中で、誰かに『お姉ちゃん』と呼ばれるようなことは一度もなかった。だから、それは上下関係を示すと同時に憧れの言葉でもあった。歪んだ形ではあるが、夢を一つ実現できたことに、萌花はおおいに喜んだ。


 「お、お姉ちゃん……。ぼくはどうすればいい……?」

 

 電気ショックを怖がるあまり、蓮一は自分で考えて行動することができなくなった。萌花の顔色を伺い、これ以上痛みを感じないための回答を求めた。

 

 「そうね。じゃあ、まずは……ズボンを脱いでくれる?」

 「えっ? ズボンを……?」

 「うん。それから、パンツとTシャツもね」

 「えぇっ!? じゃあ、ぼく……!」

 

 ハダカ。裸体をここに晒せと、萌花は言っている。蓮一は困惑し、平然とする萌花に尋ねた。


 「ど、どうして? ここでハダカに?」

 「資料がほしいの。男の子の裸体」

 「し、資料……!? ぼくを、一体どうする気なの?」

 「モデルにするの。絵を描くためのね」

 

 萌花はパソコンの前のイスに座ると、指でくるんとペンを回した。

 

 「ほら、早く脱いで」

 「わ、分かった……」


 蓮一はTシャツ、短パン、ブリーフの順に自分の服を脱いでいった。男子であるからか、人前でハダカになることに対しては、あまり抵抗はないようだった。しかし、恥じらいがないわけではないようで、両手でしっかりと股間だけは隠していた。

 

 「あれ? どうして隠してるの? 蓮一くん」

 「だって、これは……」

 「おちんちん見せなさい。お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」

 「うぅ……」


 逆らえない。心の中でそう悟った蓮一は、ゆっくりと自分の股間に置いた手を後ろに回した。


 「きゃ、ははっ! これが、子どもの……おちんちん……!」


 静かにどけられた手から、それは現れた。まだ全然成長していない、雛鳥のように小さな男性器。毛すら生えていない精通前のソレは、現在の蓮一の表情と相まって、どこか頼りなさすら感じるものだった。

 

 「んふふっ、本物なんて初めて見た……! ヤバいっ……!」

 「お、お姉ちゃん? もういい……?」

 「だーめ。蓮一くんの体を見ながら絵を描くから、おちんちんはしばらく出したままね」

 「えぇっ……? このままなんて、そんな……」 

 

 絶望に打ちひしがれる蓮一に対し、萌花は自分が少しヨダレを垂らしていることにも気付かないくらいドクンドクンと興奮し、ニヤニヤと笑いながらペンを動かしていた。創作意欲……とは違う、なにか別の物に突き動かされてはいるものの、湧き上がる欲望によりペンは止まらず、萌花の目線で描かれたリアルな少年の裸体は、爆発するかのように激しく表現されていった。


 (なにこれっ、最高っ……! 子ども買って良かった……! これって、もっとヤバいことしてもいいんだよね? この子はわたしのペットだし、いいよね……!? あぁっ、体が火照るっ……!)


 その夜、ROSETTAは一枚の絵をSNSにアップした。性的なコンテンツであるため、限られた人間しかそれを見ることはできなかったが、反響はこれまでにないものになった。


 * *


 チュンチュンと、窓の外でスズメが鳴く。

 朝が来た。昨日とは違い快晴のようで、カーテンの隙間から光が差し込んでいる。


 「ん……」

 

 眩しさに起こされ、萌花は目を覚ました。そして寝ぼけた頭のまま体を起こし、周囲の様子を確認した。昨日、あれから、自分は何をしたのか。


 「あ、蓮一くん……」


 まずは自分がベッドにいることに気付き、隣でハダカの蓮一が寝ていることにも気が付いた。どうやら、昨晩のことで疲れ果てている様子で、あまり気持ち良さそうには眠っていない。


 「うわぁ、そうだ……。わたし、勢いでやっちゃったんだ……」


 そして最後に、萌花は自分も全裸であることに気が付いた。ベッドのそばに昨日着ていた服が、枕元にブラジャーとショーツが散らかっているので、自分で脱いだと見て間違いない。状況を確認し、記憶を辿ってみると、昨晩のことがだんだん頭に浮かんできた。


 「お互いに初めて……かな? 一生忘れられないよね、こんなの」


 下着を拾い、身に着ける。

 続いて、萌花の体は水分を求めた。昨日コンビニで買った水が、たしかキッチンの冷蔵庫の中にあったハズ。未だに重たい寝起きの体を動かし、萌花は冷蔵庫を目指した。


 「あれ? 手紙が来てる……?」


 玄関を通り過ぎようとした時、投函されている封筒に目が止まった。萌花宛に便りなんて送ってくる人はいないので、この家では珍しい物だ。萌花はそれを拾い、中を確認した。


 「『保護者様へ。入れ替わり登校日のご案内』……?」

 

 

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