107-4.温かい(カイルキア視点)






 *・*・*(カイルキア視点)








 受け止めたきっかけは偶然だ。


 姫がつまずいて転びかけただけに過ぎない。


 だが……だが、受け止めた時の、彼女の体の線の細さと柔らかさを実感すると。


『あの時』をふいに、思い出してしまった。


 姫の母君……伯母上を目の前で失った時。あの時の俺は何も出来ない子供で、姫をただ抱いていることしか出来なかった。


 その時の、切羽詰まった状況下であったのに、赤児だった姫の温もりは未だに覚えていたはずが。


 一人の女性にまで成長した、今の姫の温もりは全然違ったことに今更ながら気づいた。幾度か抱き上げてはいたのに、前に寝ぼけていたとはいえ抱きつかれたりもしたのに。



(……こんなにも、温かいのか)



 思わず、姫の背に回した腕の力を強めてしまうほどだった。


 温かくて、柔らかい。


 少し前に、おそらく最高神の計らいで告白をなかったことにされて眠ってしまった時に、いつの間にか手を握っていたらしいが。


 あの手も、俺よりは断然小さくて、だがパンを作る力強いものだった。


 それが今、姫を真正面から抱きしめてしまっている。


 儚くて、けど、たしかな存在感があって。


 もう二度と、この人を失いたくないと思ってしまうくらい、俺はこの人を好いてしまっている。



(……だが、いつ。いつ告げれるのだ?)



 神はいつだったら、俺と姫を結ばせてくれるのだ?


 正直言うと、限界だ。


 シュラ達のことも告げたいし、何より、姫に聞かれた冒険者だった時の理由も話したい。あれは、伯父上からの勅命であなたを探し出すためだったと。


 そして、今もだが。あなたは俺の婚約者だったから、探していたのだと。


 すべて告げたいが、また記憶を封じられるのであれば、ここは我慢するしかないのか。……酷く、哀しいことだ。



「か、カイル、様! あ、あの!!」



 そうして、姫の温もりを実感している間に。


 姫の方が羞恥心で耐えきれなかったのか、俺の腹辺りを軽く小突いて限界を教えてきた。


 俺としては、もう少し堪能していたかったが。出来るだけ姫の嫌がることはしたくないので、仕方なく腕を緩めた。



「ど、どうかしたのですか?」



 顔を上げた姫の顔は、この上なく、俺にとっては毒でしかないものだった。


 泣く寸前だったのか、大きなクリスタルの瞳は潤んでいて、頬や耳は赤一色に染まっていた。


 力を込め過ぎたつもりはなかったが、いささか苦しかったのか少しばかり息が乱れていて。


 女に縁がなかった、朴念仁と言われていた俺でもわかる。想いを寄せている相手の扇情的な表情には、堪えそうだった!


 また抱きしめたくなる気持ちに駆られたが、今は耐えろ、と自分に言い聞かせて大きく息を吐いた。



「……いや、すまない」


「どこかお怪我でも?」


「大丈夫だ。驚かせるような真似をしてすまなかった」


「い、いえ……」



 複雑だ。


 想いを寄せ合っていても、俺の気持ちを知らない姫には、いきなり抱きつかれて不快な思いをさせたのでは……と思ったが。


 すぐそばで、『自意識過剰になっちゃうダメ!』と小声で聞こえたから嫌ではなかったのだろう。むしろ、恥ずかしいと思っただけか。



(……成人の儀まで、告げられないのだろうか?)



 悔しさはあるが、以前最高神から告げられたのを考えると、やはり今は得策ではないということか。


 仕方がないので、本来の目的を成すべく滝のそばで涼むことにした。



「気持ちいいですね!」


「……足元には気を付けろ」


「は、はい!」



 もしまた転けても受け止め……いやいや、俺はこんなにも好いた相手に貪欲な思いを抱く人間だったか?


 伯母上を失った衝撃が強く、感情の起伏もほとんど無くなってしまったと自負していた、この俺が。


 伯母上の忘れ形見だった、姫と共に過ごしているだけで、こんなにも欲が前に出るとは。


 マックスやレクターもだが、好いた相手には際限なく欲が出てしまうと聞いては、いたが。


 まさか、俺にまで当てはまるとは思ってもみなかった。



「カイル様ー」



 考えにふけっていると、姫が俺に向けて手を差し出してきた。が、手の中には、水で洗ったらしい木苺がいくつかあった。



「おやつ代わりに食べませんか?」


「……いただこう」



 もう先程の羞恥心を取っ払ったのか、至って平常心だった。


 そう言えば、姫は転生者だったな。前世ではひょっとしたら、俺以外の恋人がいたかもしれない……そう思うと、いない者に嫉妬を覚えてしまったが、今の姫は違うと内心首を振った。


 受け取った木苺は、夏には嬉しい冷たさで甘酸っぱくて美味しかった。

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