死紙

東雲 彼方

消えた記憶

松風まつかぜ 秋穂あきほ


                                長谷川はせがわ とおる


 松風、元気にしていますか。突然こんな手紙を大量に寄越して大変申し訳なく思う。勿論手紙を寄越すからにはキチンとした理由が在るのだが。それは後々明らかになっていくから、取り敢えず読んでもらいたい。黙って誰も居ないヒッソリとした処で読んで欲しいと願おう。余り人通りの多くない場所で読んでくれ。数多の目にはどうか触れぬよう。


 松風はさかい 苑子そのこのことを覚えていますか。学生時代仲がそれなりに良かっただろうから多少は覚えているだろう。少しの記憶は失っても境のことは覚えている筈だ。確かアノ事件の前後の事が抜けているだけだったろう。私は君が彼女のことを覚えているという前提でこの話を告げようと思う。


 単刀直入に言う、境 苑子が自殺した。それはそれは長い遺書を遺して。何故この事を知ったかも踏まえてゆっくりと話しても良いだろうか。


 私の教え子の一人に保科ほしな 水速みはやという男がいる。彼は君たちが入学する前の年に卒業していったから、君たちと四歳差になるのだろうか。彼は私の最初の教え子でね。偶々この前同窓会だかなんだかで会う機会があったんだ。余り保科との関わりは君達程は無かったし、そこまで親しい間柄でも無かったから話しかけられたときはビックリしたよ。

「長谷川センセー」

 ってな具合で掠れ声を絞り出して話しかけてくるんだ。「何だ、どうしたのか」と尋ねれば、長い前髪の隙間からギョロリと眼を覗かせて言う。

「境 苑子ってご存知ですか、ホラ、高校の後輩で。俺たちの四つ下の。多分長谷川センセーにもお世話になってると思うんですけど」

 正直この時何故保科の口から境の話が出てくるのか私は分からなかった。だからまぁ、当たり障りなく答えたさ。

「ああ。お前達の四つ下の女子だよな。彼女らも数年前まで教えていたよ、懐かしい」

 こんな感じでね。すると保科はニヤリ、と片側の口の端だけを持ち上げて言うんだ。大分飲んでいたみたいで顔は林檎の様で、息も顔を背けたくなる位には酒臭くて。元教え子にこんな感情を抱くなんて教師失格だろうとは思うが、正直、気持ちが悪かった。

「俺今境と付き合ってるんですよ。同窓会で長谷川センセーに会うかも、って言ったら『よろしくお伝えください』だとさ。……てなわけで、俺は伝言しましたよっと」

 そしてフラフラと千鳥足でまた仲間達の元へと戻っていったんだ。

 ……とまぁ、保科との会話は此れ切りだった。本当に此れ以外会話はしていない。何となく、モヤモヤとした何とも形容し難い不快感を抱えてその日は帰宅した。

 私はその不快感はただ酔いが回っただけと錯覚をしていたようだ。次の日まで続く不愉快に、明らかに二日酔いとも違う其れが何なのか判然とせず、数日間に渡りまたモヤモヤを抱えて過ごしていた。

 そして彼の夜から一週間程が経過した頃、私の元にひとつ封筒が届いた。私に手紙を寄越してくるような相手なんて居なかったから少し怪しいな、きっと何かがあるぞ。そう疑っていたら案の定――何かはあった。

 その手紙は、あの日君たちが卒業して以来交流も何も無かった人物、そう、境からの手紙であった。外から見てもかなりの枚数が入っている事が分かる。それくらいにはドスッとした重みと厚さがあったし、何よりも貼られた切手の数の多いこと多いこと。そんなお金をかけてまでして、何故この手紙を送ってきたのか……どうにも脳裏にこの前出会った保科の姿がちらついてならない。私は数年ぶりに書斎の机からペーパーナイフを取り出し、中身を傷付けないようにソッと封を切った。

 君への言葉もいくつか見付けられたが、一応私宛ての手紙であるからこの手紙は私が管理しておこうと思う。だから、ここにはその手紙の書き写しをそっくりそのまま置いておく。コピーなんてしていたら文字の量が大変なことになってとてもじゃないが封筒に入りきらない。だから先に断っておくが、境の字ではなく、私の字ですまない。




 長谷川先生


 お久しぶりです、境です。突然こんな手紙を送ってしまい申し訳ございません。今、時間が限られている中でこれを書いています故、乱筆、乱文ですがご了承下さいませ。

 この前保科に会ったそうですね。彼奴が何と言っていたのか知りませんが、私は今彼奴に囚われています。

 現在の私の状況は鳥籠の中の文鳥、いえ、檻の中の死刑囚といったところでしょうか。彼奴の家に閉じ込められて、毎日蹴られ殴られ、髪は千切られ歯は折られ。彼奴の残した残飯しか与えられず、手足は拘束されています。今、彼奴は酒に酔い潰れていい気になって、私の枷を外し、一人で外出しています。バレたらこの手紙も焼かれるのが目に見えている。帰宅するまでに書き上げなければなりません。

 さて、何故これを先生へと送ったのか。それは私の最期の言葉を秋穂……松風 秋穂に届けて欲しいのです。今まで何度も送ろうと試みましたが、彼女宛ての手紙と分かった瞬間、彼奴はライターでそれを焼くのです。先生宛てであれば疑われないのではないかと考えた次第であります。どうか、宜しくお願い致します。


 まず、彼女へと言葉を送るよりも前に、先生。貴方に秋穂の消えた――いえ、彼女がについて話さねばならないと思っています。あまり気持ちの良い内容ではありませんが、読んでくださると有り難いです。


 高二の夏、秋穂の記憶が抜け落ちましたね。当時困惑していた私はその原因を語ることも出来ず、ただ涙を流すばかりでした。しかしこの過ちを繰り返してはならない。私で最後にしたいのです。だからこうして手紙で語ろうと思います。そして彼奴がどんなに非道で残虐な男であるか、知っていて欲しいのです。

 消えた記憶の直前――夏休みのことです。秋穂は保科に呼び出され、会っていました。秋穂のお兄さんと保科が友達だったそうで、度々彼女の家に訪れては兄の方と遊ばず、秋穂にちょっかいを出していたそうです。お兄さんが居たのもあって、それまでは軽くからかう程度でした。秋穂のお兄さんが良い意味でのストッパーであったのです。

 でも、呼び出された日、そこに秋穂のお兄さんはいませんでした。何故なら、その日秋穂のお兄さんはバイトで不在。秋穂は私と一緒に夏祭りに来ていて、神社の周辺を巡っていたからでした。当時秋穂からは保科のことは「お兄さんの友達」としか聞いていなかった私は、偶々神社の境内で出会ったこの男に警戒心などというものは抱いてすらいなかったのです。

 保科と出会ったのは、私たちが夜店の方へ向かって歩いていた時でした。脱色した髪と左右に数多く開けられたピアスの穴が印象的でした。最初の印象はなんだかチャラチャラした男だな、というくらいでした。今考えればその時点で危機感を抱いて近付かなければ良かったのですが、私もまだ若かったのでしょう。私たちはそれがオトナっぽいのであろうと勘違いしてしまったのですから。お兄さんのお友達ということで少し会話した後、一緒に回らないかと誘われた私たちは、保科とその友達と名乗る男性と一緒に行動することにしたのです。秋穂は保科と、私はそのお友達という方(ここではAさんということにしておきましょうか)と話しながら歩いて回りました。Aさんとの会話は楽しく、ここで少し羽目を外した私は秋穂から目を離してしまったのです。気付いたときには前を歩いていたはずの秋穂と保科はいませんでした。焦った私はAさんに「二人を探してくる」と言ってAさんを置き去り、一人で境内を走って探し回りました。

 けれども二人は神社の中にはどこにも居らず、最後に思い当たるのは神社の近所の竹林のみ。心霊スポットとしても当時有名であったが故に避けていた近所の竹林。その中へと私は足を踏み入れました。既に午後九時を過ぎており、辺りは真っ暗。当時スマホなんてものもありませんでしたので、手元にあるのは幾つかの手荷物と数百円のお金だけ。しかし秋穂を見付けなければならない、ということで私は意を決して竹林の中に入っていったのです。薄暗い獣道。足元を照らすのは竹の間から差す僅かな月光だけ。不安を煽られますが探さない訳にはいきませんので足早に竹林を抜けていったのです。

 薄暗い竹林の奥深く。そんな場所で聞き慣れた筈の声の主が叫ぶように悲鳴を上げていた。

「いやっ……やめてくださいっ……」

「嫌、と言ったら?」

 手入れの行き届いていない竹たちの隙間から見えたのは脱色済みの荒れた髪。そして辺りに充満する腐臭。それが男と女のものであると知ったのは少し後のこと。私は気取られないようにヒッソリと立ち位置を変え、二人の様子を窺いました。この時点で声をかけていればどんなに良かっただろうか、そう私は後悔しています。もうそこで何が起こったかはお察しでしょう。秋穂の服は乱され、また秋穂自身も目の前の男の手によって乱されてゆくのです。私は恐怖のあまりその場から動けなくなり、尻餅をついて声を上げることも出来ず、ただただ終わるのを待っていたのです。最低です。友人を守らずして何が友人ですか。私は腰抜けです。時々聞こえてくる悲鳴と水音。そして男の呻き声。生々しいソレに怯えた私。

 保科は動けなくなって蹲っていた私に気付いていたようで、事を終えた後意識を失った秋穂を抱えたまま私に声をかけてきたのです。

「見ていたんだろう」

 そう言ってニヤリと口を歪める男に私は心底怯えました。

 その後秋穂は保科が連れて秋穂の家にまで届けたようですが、目を覚ました秋穂からはアノ日の前後の記憶が消えていたのです。


 これが事件の全容です――とでも言いたいところではありますが、実際秋穂の知らないところで事件はまだ続くのでした。秋穂から記憶の消えた事を知った私は、秋穂のお兄さんに頼んで保科を呼び出します。夏休み明けの高校の校舎裏でした。「もうこれ以上秋穂を傷つけないで」と釘を刺すために。そうしてその言葉を告げた時、目の前の男はアノ夜と同じ様に、気味悪くニヤリと口を歪めるのでした。

「じゃあお前が肩代わりにでもなるのか」

 と呻くような声が響く。私は友人を守れなかった罪悪感だとかそういうものが重く伸し掛っていましたから、無言で頷きました。それが地獄の始まりだとは知らずに。高校の間はまだ良かった。軽い暴力だけで済んでいたから。けれど高校を卒業してからは何度も犯され、監禁され、血を噴き出して倒れるまでの暴力を受けることとなったのです。それが友人を守る為だと信じて疑わなかったから。

 けれども先日、どうやら彼奴は秋穂の兄と遊んだ時に秋穂に接触したようなのです。記憶を失って保科のことは綺麗サッパリと忘れていた彼女は、もう一度同じ事件に巻き込まれようとしているとは知らずに。


 だから、私は彼女を守る為に罪を負います。先生、どうか怒らないで。悪いことはするなよ、と散々言われていましたが、私は少し約束を破ります。これは友人を守る為の正当防衛なのですから。私はこれから保科を殺して、その後自殺する所存です。彼奴が帰るまでにこの手紙をどうにか知人の元へと届け、託さなければ。先にそのお金は渡してあるので上手くゆけば先生の元へと届くでしょう。そうしたらこの先にある私からの最後の言葉を彼女に届けていただきたいのです。どうか、宜しくお願い致します。


 秋穂へ

 記憶を失ってしまって私の事を忘れているかもしれませんが、一つ謝罪と忠告です。

 貴女の元へと醜く迫る保科という男、此奴はどうしようもない奴です。どうか気をつけて。近寄らせない方が良いかと思います。けれど数年もの間連絡を絶っていた私から突如こんな事を言われても信じられないでしょう。そうしたら貴女が覚悟を持っているのならば、先生からアノ日の真相を教えてもらってください。もしかしたらこの手紙と同封されているかもしれません。

 そして、これは記憶を失う前の貴女へ。守ってあげられなくてごめんなさい。私は今の貴女を守るために身を滅ぼします。これでも守れなかったのなら死んでも死にきれません。もし彼奴を殺しきれなかった暁には、私の事を恨んでください。

 お気をつけて。お元気で。



 先生もお元気で。保科には十分気をつけてくださいませ。では、私は最後の仕事を全うして参ります。私のことは心配なんかしないでくださいね。大切な友人を守るために、行ってきます。皆さん、サヨナラ。


               境 苑子




 という訳だ。これがどこまで本当のことであるのか私には判断しかねる。然し彼女の言葉を信じるのなら、そしてこの前保科と会った時の私の直感を信じるのならば、あの男には気を付けてほしい。もう教え子が傷つくところなど見たくないのだから。


 私にはこれくらいの事しか出来ないが、私も境も君の身を案じています。どうかお気をつけて。ではまた会う日まで、お元気で。

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