整理 その三
「はぁ……」
鵜飼家の居間でお気に入りの一眼レフカメラをいじっていた泰介は、これまで撮り溜めていたデータ画像を見てため息を漏らしていた。そろそろ雪解け時期となり、春に入る直前の風景を新たに撮影しようとSDカードのデータ量をチェックしていたところだ。
「まさかこったら早う離婚しささるとは……」
その中には昨年執り行われた小野坂と調布との結婚式の画像が混じっており、取り扱いに困って手を止めてしまっている。そのこと自体は誰の責任でもなく、まして調布は川瀬と不倫し更には離婚直後に犯罪まで犯している。そう考えると離婚は当然と思えるのだが、当時の晴れやかな雰囲気もパックされている画像を見てしまうとどうしても寂しさが先に立ってしまう。
「なしたぁ?」
そこに妻八重が入ってきて、背中を丸めている夫に声を掛けた。
「ん、こんデータどったら風に取り扱わさったらいいんか持て余らさってんだ」
「あぁ、整理しささってんのかい?」
彼女は泰介の隣に座って画面を覗き込んだ。
「モノ自体は良く撮れてんべ、それ一旦脇に投げらさって新しいん買わされ」
「ん。たださ、コレ見ささるたんびにしょっぱい思いしささるんがさ」
「なしてアンタがしょっぱくなさらんのさ? 当事者でねえのにささ」
八重は夫の性分を知り尽くしているため、こういった言動は想定範囲内である。
「したってさぁ」
「それが嫌こかさるんなら消ささりゃいいべ」
「う〜ん、そこまで割り切れんべさ」
泰介は過去の撮り溜めてきた写真はほぼどこかしらに保存しており、中にはアマチュアコンテストで入選した写真のネガやデータも大切に取り扱っている。今となっては近所の人たちに知れ渡っているため、近隣で執り行われる結婚式の撮影依頼を理由に招待される機会もそれなりにあった。
彼自身人の集まる場が好きなので喜んで出向いており、二十年近くかけて百件以上撮影している。そうして多くのカップルのために独自でアルバムを作り、プレゼントとして会費の代わりに贈っていた。それが案外喜ばれ、いつしか泰介に撮影してもらったカップルは生涯幸せになれるというジンクスまで生まれている状態だ。
時としてそれが重荷に感じることはあるものの、彼の元には数多くの吉報が寄せられている。初期の頃に撮影したカップルからは、子供が大学入試センター試験を無事合格したという頼りが届いたばかりであった。それに倣うかのように、昨年初夏小野坂から子供を授かったという報告もペンションメンバーとほぼ同じタイミングで受け取っている。
「何やらさってんのさ?」
仕事を終えた鵜飼が自宅に戻り、頭を並べてカメラを見つめている両親に声を掛けた。
「ん? データの取り扱いに困らさってんのさ」
泰介の代わりに八重が答える。
「そうかい、したら仁に預けらさったらは?」
「「へっ?」」
両親はその提案に変な顔をしたが、鵜飼は構わず話を続ける。
「したっけ見ささるんはしょっぱい、消ささるんは忍びないってとこなんでないかい?」
「まぁそったら感じだけどささ」
「したからSDカードだけ仁に渡しとくのさ、多分引き受けらさってくれんべ」
「したってさ、智君の目に留まらさるんでないかい?」
泰介は小野坂を気遣って渋い表情を見せた。
「そこは仁も分からさってんべ、個人部屋に仕舞わさるべさ。それにささ、智さんなら『離れ』出ささってるしたからさ、部屋に入らさることはあらさっても私物を触らさりはしささらんと思うべ」
「う〜ん、仁君さえいけりゃわちとしちゃありがたいべ」
「したらくっちゃってみんべ」
「ん、そうしささってけれ」
泰介はSDカードを抜き取って鵜飼に手渡した。
翌朝、少し早めに『オクトゴーヌ』に入った鵜飼は早速堀江にSDカードの預かりを打診してみる。
「俺で良ければ個人部屋に
「助からさんべ。父ちゃんミジンコメンタルしたからさ、手元にあらさる限りいつまでもグズグズ悩まらさんべ。何かさ、ジンクスこかさるんが崩れるん気にしささってんのさ」
「ジンクス?」
「ん、父ちゃん結婚式で撮らさった写真をアルバムにしささって新婚カップルに贈らさるのさ。したらさ、そんカップルは生涯幸せにならさるって言われてんだべ」
それを聞いた堀江はなるほどと尖ったあごを触った。
「まぁ離婚はしたけども、智君の場合つばさちゃんを授かれたんは幸せやと思ってるんちゃうかな?」
「へっ?」
「だって父子家庭になった今の方が活き活きしとるもん。せやから泰介さんのジンクスはある意味途切れてないで」
その言葉に鵜飼は目を丸くした。
「したってシングルでこっこ育てらさるんはゆるくないべ」
「そうなんやけどな。夫婦二人おって全部を一人でこなすんと、初めから一人で全部を一人でこなすんとは心持ちが全然違うと思うねん。ネグレスト状態の母親が視界の範囲内におったらかえってかえってしんどない?」
「ん。したら仁は離婚は失敗でも不幸でもないって考えなんかい?」
「俺はそう考えてる。少なくとも智君と元嫁さんの間で相互協力はできてる風には見えんかったから」
堀江は離婚直前の調布の姿を思い出していた。つばさに対し無関心で、我が子の命を直接体感した母親特有の慈愛が全く感じられなかった。一方の鵜飼も石牟礼の面接以降顔を合わせていないが、どことなくヒステリックで来た当初よりもメス感が強まったように映っていた。
「ここ一年くらい、そこいらで川瀬と元嫁さんが二人でおらさるん目撃されてるらしいのさ」
「らしいな。ただなんぼ職場では上司いうても、プライベートにまで介入できひん思って静観決めこむしかできんかったわ」
「ん、それでいかったのさ。仮に耳に入らさってたところで事態はそったら変わらんかったべ」
「せやな。ここも何とか機能しとるし、俺らにできる協力は惜しまんとこって思ってる。それとな信、来月入ってから泰介さんの予定聞いといてもらえる?」
堀江は思い出したように話題を変える。鵜飼もこれ以上小野坂の元妻の話を掘り下げるのも……と考えていたのでなした? と応じた。
「人数増えたしもう時期二周年になるから、正面入口で記念写真撮ってもらいたいねん」
「ん、くっちゃっとくべ。多分大張り切りで引き受けらさる思わさるべ」
「そん時は信も一緒に来てな」
「ん、分かった」
その後鵜飼は通常通りの仕事をこなしてから帰路に着いた。堀江は預かったSDカードを手に個人部屋に入り、鍵付きのボックスに入れてクローゼットの奥に仕舞い込んだ。
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