三回忌 その五

 それから数日後、東京にいる治部から里見の連泊延長手続きの電話が掛かる。

『今里見を東京に戻すのは危険ですから』

 このところ全国版のニュースで、東京を始めとした首都圏を中心に新型感染症が流行していると報道していた。治療薬が開発されていないため、重篤化する患者も出始めて死亡者が出るのも時間の問題であろうと予測されるほどになっている。東京在住の治部もその影響で北海道に入るのを自粛しているようだった。

「ニュースで見ました。東京ですと智君と悌君は郷が近いですからやっぱり気になりますね」

 電話を取った堀江はカフェに設置しているテレビをちらと見やると、ちょうどニュースでその話題に触れているところであった。

『取り敢えず八月末まで延長させてください、その先については後日ご連絡致します』

「分かりました」

『この騒ぎが収まったらまた伺いますよ、娘が『アウローラ』さんのパンを恋しがってますんで』

「その時は是非。店舗も元あった場所で新装オープンしてますので」

 治部からの通話はそれで切れたが、彼もまた北海道出身であるため事ある毎にこの地に足を運んでいた。しかし出世したことで里見との接点が減り、ここ最近は電話でのやり取りに留まっている。代わったマネージャーは一度もここへ来ていないが、活動再開を接突いて難とか東京に引き戻そうと画策しているようで、ごく稀にではあるがそれを嫌っているのが顔に出る時があった。

「おはようさん」

 この後病院に行く里見はかなりの厚着でカフェに降りてくる。三月も下旬が見えてきていても北海道では氷点下、という日はさほど珍しくない。

「おはようございます、悌君呼んできますね」

「ん」

 そのやり取りが聞こえていたであろう根田は、車のキーを手に事務所から出てきた。

「おはようございます里見さん、そろそろ参りましょうか」

 根田はこの一年ですっかり運転にも慣れ、今や里見の専属運転手状態である。

「ん、したら今日も宜しく頼むべ」

「ハイ」

 二人が連れ立ってペンションを出て行くと、入れ替わりで鵜飼がこんちわ〜と裏口から入ってきた。

「今日はテーブルクロスん替えたないできたさ」

「うん、ありがとう。もう取り替えとくわ」

 堀江は柱時計を見る。

「おはようございますっ」

 出勤時間に合わせた佐孝が杏色のエプロンを着けて事務所から飛び出てきた。

「おはよう、テーブルクロス取り替えるから手伝って」

「はいっ」

 彼女はにこやかに頷き、ふわふわな頬からえくぼが姿を見せていた。鵜飼は客室へ上がってこの日掃除を担当している石牟礼と合流し、厨房ではカケハシと国忠がカフェ営業用の料理を作っている。この光景が徐々に日常化していく中、配送業者の男性が小包を持って『オクトゴーヌ』を訪ねてきた。

「ごめんください」

「はい」

 ひょっとすると金碗家関連のものかもと思った堀江は一旦手を止めてはいと応対する。

「こちら『オクトゴーヌ』さんでお間違いないですかい? 奈良からお届けもんだべ」

「奈良?」

 身に覚えのない届け先を聞いて一瞬驚いたが、かつての宿泊客からの何かかもと思い取り敢えず受け取ることにした。見ると宛名は衛氏になっており、手間をかけさせるがここは旦子と大儀にも立ち合ってもらおうとこのことをメールで知らせた。

 それから二人共ものの十分で『離れ』に到着し、堀江は小包を連れて『離れ』の鍵を開ける。夜勤を勤めた小野坂は自宅へ戻っており、義藤は入学説明会のため藤川と共に高校へ行っていて無人状態であった。

「お呼び立てしてすみません、俺じゃ分からんかもと思いまして」

「なんもなんも、年寄りは暇したからさ」

「したって奈良かい?」

 生き字引きょうだいである二人は差出人住所に首を傾げる。

「妙子さん筋かい?」

「可能性はあらさるけどこん名前は知らんわぁ」

 大儀も差出人の名に覚えは無いようだ。

「取り敢えず開けらさらんことには始まらんべ」

 旦子のひと声で開封を決め、堀江がカッターナイフを使って箱を閉じていたガムテープを切る。中にはアルバム二冊と封筒が入っており、二人の顔色を伺ってから大儀が封筒に手を伸ばした。

 彼は中から便箋を取り出して黙読し始める。旦子は重厚感のあるアルバムを両手で引っ張り出し、手紙を読み終えるのを待たず表紙を広げた。そこには小さめの命名色紙が貼り付けられており、見事な筆跡で【仁】と書かれてある。

「どうも沼井さんの親戚の方みたいやなぁ」

 大儀は差出人となっている【那須親子ナスチカコ】という名前と手紙を照合する。

「九十歳超えたいう割には字が若い気もするけどな」

「そうかい、ご家族が代筆しささってんのかも知んないべさ」

 旦子は大儀にもアルバムを見せ、二人は頭を付き合わせて唸り声を上げている。堀江は一旦席を立ち、衛氏の遺品であるタンスから一通の封書を取り出した。それは昨年差出人名与田静で届けられた小包に入っていたものであり、当時の旦子の証言で実娘沼井妙子からであることは承知済みだ。

 堀江はそれにまだきちんと目を通していなかった。当時はまだ“自分を産み捨てただけの母親”という認識でしかなく、嫌悪というよりは戸惑いの方が大きかった。彼は開封済みの封筒に指を入れて便箋を引き出し、やや癖のある文字を視線でなぞっていく。

【拝啓 金碗衛様

 

 このような形で小包を送りつけましたこと、どうぞお赦しください。本来であれば気の利いた時候文の一つでも記すべきではございますが、都合上あまり猶予がございません。


 昨年三月に母与田静が他界し、無事一周忌を終えて喪が明けました。それを機に遺品整理を始めましたところ、貴方様に所持して頂きたいものがございましたので不躾ながら送付させて頂きました。


 差出人宛に返却願われましても、受取人がおりませんので不要とお感じであれば破棄して頂いて構いません。半世紀も昔の女の遺品を押し付けられてもご迷惑とは存じますが、母が最も信頼を寄せる貴方様のご決断であれば母も納得すると思います。


 最後と致しまして、北海道の三月はまだまだ寒さが残るでしょうが、どうかお体をご自愛なさってください。遠方からではございますが、今後とも『オクトゴーヌ』の繁栄をお祈り申し上げます。


                 沼井妙子】

「なしたんだ? 仁君」

 たんすの前でぴくりとも動かなくなった堀江に旦子が声を掛ける。それに反応した堀江は、手紙を手にしたままリビングテーブルに戻った。

「いえ、ちょっと気になったんですが……」

 堀江は便箋を広げて宛名と並べ置く。大儀はそれをじっと見つめ、なるほどなと呟いた。

「なしたぁ?」

 旦子は頭を持ち上げてテーブルと距離を取る。

「ん、筆跡が似とるな。同一人物の可能性あんで」

 大儀の推察に堀江は頷く。文字のはね方がダイナミックでそれが何故か強烈な印象を残していた。

「ってことはこれも妙子さんなんかい?」

「多分断定して大丈夫やろ。玉緒の言い分が正しかったら奈良にもおらんかもなぁ」

「けどささ、なして小分けにしささってんだ? まとめらさった方がいくないかい?」

「う〜ん、それはワシにも分からん。ただこんアルバムは仁君に渡したかったいう意図やとは思う」

 大儀は旦子が広げたアルバムを堀江にも見えるよう位置をずらす。命名用紙が貼り付けてある見開きページの次は、手紙と同じ筆跡で堀江と全く同じ生年月日が記されていた。

【一九九X年一月十一日 十九時四十八分 長男仁 (めぐむ)生誕】

 初めて見る自身の写真たちに堀江の視線は奪われる。堀江家には一枚も無かった乳幼児期の記録に、これまで聞かされてきた言葉が堀江家の都合で作られた虚偽であったことを思い知った。写真に収まっている赤子の堀江は自身でも信じられないほどの笑顔を振りまき、時々一緒に写っている母、祖父母、親戚にあたる老夫婦たちと共に幸せそうな生活をしていたことが垣間見えた。

「何かまだ他所事な感じしますけど、俺ちゃんと愛されてた時期があったんですね」

「ん。少なくとも産んで捨てらさったお母ちゃんの顔でねえさ」

「せやな。あとこれ手紙、那須親子さんになりすましとるけど仁君は衛兄の孫やってちゃんと書いてあるで」

 大儀は堀江に同包されていた封書を手渡した。

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