逆行 その二

 「国忠さん、一つ試験を受けてみませんか?」

「試験、ですかい?」

「はい。今日ここの冷蔵庫にマグロが入ってるんです、あなたの知ってる『オクトゴーヌ』の“ヅケカツ”を作って頂きたいんです」

「分かりました、洗面所お借りします」

 国忠はあっさり了承し、案内した洗面所で念入りに手を洗う。それを見計らって自室から出てきた小野坂は、“ヅケカツ”の材料をダイニングテーブルに揃え置いていた。堀江は歴代オーナーの遺影が飾られているタンスの一番下の引き出しから水色のエプロンを取り出し、戻ってきた国忠に手渡した。

「服が汚れるといけませんので」

「遠慮ねくお借りします。エプロンなんか久し振りだべ」

 『DAIGO』のキッチンスタッフの制服にエプロンは無いのだが、案外慣れた手つきでささっと身に着けて早速ダイニングテーブルの前に立つ。

「足りないものはありますか?」

「はちみつあらさりますかい?」

 小野坂はそれがどこにあるのかも把握しているが、根田の私物であるため許可がいると言った。

「隣行ってくる」

 彼は長窓からペンションへ走る。

「何か無理こいてすんません」

「いえ。『あなたの知ってるここの“ヅケカツ”』をお願いしてるんですからそこはこだわってください」

 それから待つこと数分、小野坂は根田を連れて『離れ』に戻ってきた。

「あの、どちらが宜しいでしょうか?」

 根田は調理棚から二種類のはちみつを出した。瓶詰めのものとプラスチック容器のものとあるのだが、両方とも高級感たっぷりの代物で国忠の表情が一瞬ひきつる。

「どっちも高級すぎるべ……」

「せいぜい大さじ一程度でしょう、全然構いませんよ」

「そったら量使わさらんべよ」

 国忠は迷いながらもプラスチック容器の方を選んだ。

「味見はなさらなくて大丈夫ですか?」

 とはちみつをティースプーンにすくい取ってどうぞと手渡す。その瞬間プロの顔になった彼は、二種類のはちみつを舐めてからまぐろを見つめていた。

「ありがとうございます、やっぱしこっちで」

 結果変更せずにプラスチック容器のはちみつを選ぶ。

「好きなだけお使いください、何でしたら使い切られても構いませんよ」

 根田は気前の良い言葉を残してペンションに戻っていった。

「どうけっぱらさっても使い切らんべ」

 国忠ははちみつを見ながら失笑するも、材料が揃うと真剣な表情で“ヅケカツ”を作り始めた。


 現在午後二時前のカフェではランチライムの客が引き、忙しくなるのがカケハシから根田に代わるところであった。彼は石牟礼の指導を仰ぎ、今ではエスプレッソも淹れられるようになっている。彼女は根田の才能に教え甲斐を感じており、時間の許す限り営業の傍らで自身の持っている技の伝授に勤しんでいた。

『そこいらのバリスタよりも良い腕してますよ』

 川瀬がカフェ営業に立たなくなってから、元はパティシエである日高お手製のスイーツがカフェタイムのテーブルを彩るようになっている。カケハシがカフェ営業を任されるようになってから、このスイーツ創作に忙しくなって掛け持ちのアルバイトは既に辞めていた。

「こんにちは」

 この日も彼が作った可愛らしいスイーツが『オクトゴーヌ』に届けられる。『アウローラ』の間借り営業で使用していたショーケースにそれらを綺麗に陳列し、テイクアウトも受け付けていた。ここで使用しているパンとスイーツは全て『アウローラ』で作られているので、共同営業は終了しても相互協力は惜しまないと当初予定していた店内レイアウトの変更を取りやめて今に至る。

「そう言えば面接に来られてる方、『DAIGO』の夜営業の方ですよ」

「えっ? そうなの?」

 今や配膳業務も難なくこなせるようになっている義藤は、ショーケースに陳列するケーキを専用トレイに乗せていく。掃除を得意としているだけあって、定規を使ったかのようにまっすぐ綺麗に並べられていた。

「ってことはノッポの二人どっちかですか」

 カケハシは他店研究と称し、休日を利用して市内にある飲食店を巡って食べ歩きしている。近所にある『DAIGO』にも当然のように足を運んでおり、従業員の顔はほぼ頭に入っていた。

「メガネをかけてらっしゃる方です」

「ほな道産子弁使う方の人ですね、ってことはあんま歳変わらんと思います」

「ですね。確か国忠さんってお名前の方です、去年まではよく手伝いに来て頂いてたので」

「『DAIGO』って時点で実力はかなりのもんと見ていいと思います」

 カケハシは味の記憶を辿りながら言う。求人範囲が全国に及んでいるためか、一見曲者揃い感がありながらもキッチンスタッフにハズレ無しと見ていた。あの人ようこれまで通用してたな……その考えが脳裏に浮かんだが口に出すのは止めておく。

「うん、昼のチーフの人が並だっつってっけどオレは美味いと思うぞぉ」

「そうですよね。ボクたちが考えるよりも上のレベルのお話なんじゃないでしょうか」

「あの人の料理にはブレが無いんです、常に一定のクオリティーを保ってられるメンタルが強みなんやと思います」

 三人は川瀬ほど野上を下に見ておらず、カケハシは毎日変わらぬクオリティーを保つ難しさを身をもって知っている。その点で言っても、彼自身の中では初めから川瀬よりも野上の方が料理人としての評価が高い。

「ところで、はちみつをお貸ししたということは技能試験もされてるいうことですよね?」

「えぇ、“ヅケカツ”を作られているはずですよ」

 その言葉にピクリと反応したが、話は広げず業務に戻っている。義藤もケーキを並べ終えたトレイを持ち出して、ショーケースへの陳列を始めていた。


 「お待たせ致しました、“ヅケカツ”です」

 国忠はある分のマグロで“ヅケカツ”を作り上げた。その場でその時を待っていた堀江と小野坂は、出来上がったそれを見つめている。

「洗い物、しておきます」

 彼は初めて使うキッチンでも臆することなく手際よく洗い物をこなしており、小野坂は隣で勤務中の三人の分を取り分けるとトレイに乗せて長窓から移動した。この日休日となっている石牟礼と川瀬に、堀江は【もし暇なら“ヅケカツ”を食べないか?】とメールで誘ってみる。石牟礼からはものの数分で返信があり、【少し後になるが寄らせてもらう】という内容であった。

「あっちの三人には渡してきた。そっちは?」

 小野坂はトレイだけを持って戻ってくる。

「霞さんからは返信があったで、ちょっと時間開くかもっぽいけど来てくれるって」

「なら先に頂こう、せっかくだから熱々の方がいいだろ」

 二人は国忠がダイニングに戻るのを待ってから、彼の知る『オクトゴーヌ』の“ヅケカツ”を試食した。

 一方勤務組の三人は、まず手空きとなった根田が“ヅケカツ”を上品にかじる。

「美味しいです。わさびのピリッと感とはちみつって合うんですね」

「なるほど、ヅケ汁に入れてるんか」

 カケハシも興味を示してそれを口に入れた。

「揚げ色も火の通りも完璧や。俺のとは確実に違うな」

 彼はプロの顔になって丁寧に咀嚼しながらじっくりと味わっている。

「荘君と交代してきます」

 “ヅケカツ”を完食した根田は、義藤を呼びに店に出た。

「おっ♪ 美味そ〜」

 根田と交代で戻ってきた義藤は、目ざとく“ヅケカツ”を見て嬉しそうにしている。

「美味いぞ、冷めんうちに食うとけ」

「おうっ! この人の料理智っちの結婚式で食ったぞ」

「結婚式?」

 カケハシは小野坂夫妻の結婚式についての詳細をよく知らない。夢子に興味がないというのもあったが、小野坂自身が結婚生活そのものに疲弊感を出しているためこれまで敢えて触れずにいた。

「まぁ『DAIGO』とは交流あるやろけど、お前そんなこと憶えてんのか?」

「うん。オレ記憶の持続が普通より長くてさ、ある程度の年数は脳ミソに留めてられんだよ」

「便利な五感しとるな」

「まぁな、不味いのも憶えてるからそれはヤなんだけど。取り敢えずいっただっきま〜す♪」

 義藤は最後のに残っている“ヅケカツ”をざくっとかぶり、もぐもぐと口を動かしている。

「うん、やっぱりこの人の料理結婚式で食ってる。油っぽさがほとんど無くてサクサクしててさ」

「そうか」

「“ヅケカツ”に限って言えばボスのより美味ぇ、オレ未成年だからはちみつのまろっとした甘さが丁度いいんだよ」

 試験ということもあり、義藤は真剣そのものといった感じで思ったことを正直に口にした。しかし事もあろうに本人の前で失礼発言をしたことで、後になってヤバっという表情で同期入社の料理人を見る。

「なるほどな」

 カケハシは怒るどころか嬉しそうな表情を浮かべていた。それにかえって怖さを感じた義藤は、約二十センチ身長の高い彼を怯えた顔つきで見上げる。

「ボスぅ?」

「こりゃうかうかしてられんな」

「ありゃ?」

 何故か楽しそうにしているカケハシの態度に義藤は拍子抜けしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る