里帰り その四

「失敗してからじゃ遅いぞ、やり直しの利く今のうちにペンションは辞めた方が良い」

「職種が何であれ一年で退職は面接官の印象が悪いと思います、忍耐力不足が問われませんか?」

 たったの三年がなぜ待てないのか? 世間で言うところの一流企業ではないが、彼自身は社会人として充実した生活を送っているという自負がある。仮に期限である二年後になっても『オクトゴーヌ』を辞めるつもりはない、そもそも『三年は働け』と言ってきたのは父の方だ。

「その点は心配しなくていい、縁故で口利きはしておくから」

「その方が安心だわ。そうなさいよ悌ちゃん」

「それじゃボクが成長できないんです、就活に失敗したのも自分自身ときちんと向き合わなかったからなんですよ」

 半年前小野坂に言われた『お前はお兄さんの代わりじゃない』という言葉が今になって脳内で反芻している。

「それは違うわ、面接官の見る目が無かっただけよ」

「いえ、ボクの心を見透かされていたんです。正直に言えば『これが自分にとって正しい道なのか?』と悩んでいましたから」

「どうしてよ? 世間的に名の通った一流企業だったじゃない。ペンションなんか・・・よりもよっぽど良いに決まってるでしょ」

 なんかって何? 母が世間知らずなお嬢様気質なのは分かっていても、結局は肩書重視の生き方を今なお望んでいることに怒りにも似た息苦しさを感じていた。

「職種に優劣は無いでしょう?」

「優劣は無い。だが育った環境によって相応しい職種は変わってくる、そういうものだ」

「それでも一年では職務経験が十分とは言えません。自分にとってどういった生き方が向いているのか、本当にやりたいことは何なのか、それが見つけられていないうちに転職しても続けられないと思います。それこそお父さんの顔に泥を塗ることにならないでしょうか?」

 屁理屈を言っているような気もしたが、両親の言い分に納得がいかないので何とか仕事を続けられるために足掻いてみせる。

「お父さんなら悌ちゃんに合った所を見つけてくれるに決まっているじゃないの」

「それじゃ……」

 駄目なんです。そう言おうとしたところで父が言葉を挟む。

「分かった、あと二年待とう」

「ありがとうございます」

 当面は『オクトゴーヌ』を続けられるとほっとした根田だったが、但し! と話はまだ終わらなかった。

「それが終わったらこっちに戻って転職すること、それが条件だ」

 結局はそうなるのか……根田家では世帯主である父の言葉は絶対であった。これまで大人しく言うことを聞いていても実害が無かっただけに、成人した今になって親からの縛りに失望感を覚えていた。

「……」

「二年も待たなきゃいけないの?」

 そんな思いも知らず母は不満を漏らしている。文句を言いたいのはこっちだよ……これ以上この場にいたくなくなった根田は、ごちそうさまでしたと箸を置いた。

「あら、もういいの? せっかく悌ちゃんの好物ばかりを揃えたのに……」

「えぇ、もうお腹いっぱいですので」

 根田は使用した食器をまとめて立とうとすると、母に今日は泊まるんでしょ? と当然のように訊ねられた。

「いえ、この後約束があるんです。遅くなると思いますのでホテルを予約しています」

 というのは嘘っぱちだが、もうこの場にはいたくなかった。

「そうなのか? なら運転手を寄越すが」

「いえ大丈夫です、ではボクはこれで」

「悌?」

「悌ちゃん?」

 彼は両親の引き留める声も聞かず、そのまま荷物を持って実家を出て行った。


 タイムリミットは二年……それが重くのしかかって外の空気に触れても全く気が晴れない。説得しきれなかった自身の不甲斐なさにも腹が立っていた。二年かけて説得を繰り返すか、いっそ勘当覚悟で己を貫き通すか……そのことに頭が支配されている間に順が眠る霊園が見えてきた。そのために帰省したのだからとすぐそこのスーパーに立ち寄って花、線香、ロウソク、ライターを購入してから墓地に入って墓の掃除を始める。

 箱館でも衛氏の墓参りの際『オクトゴーヌ』メンバーが交代制で掃除をしており、それそのものは多少慣れてきていた。しかし何故か積雪のある箱館よりも、水道の凍結も滅多に起こらない横濱の水の方が冷たく感じられた。

 帰りたい……兄の墓前にも関わらず脳内はその思いに支配されていた。里見さん大丈夫かなぁ? 今朝出てきてくれたけど無理してなかったかなぁ? このところ顔色が良いと言えなかった宿泊客に思いを馳せながら墓を拭き、花を飾って線香に火を点ける。

 箱館では何故かこのタイミングになると強風に煽られてなかなか点火しないのだが、この時は風も穏やかですんなりと点火できた。ロウソクも立ててから手を合わせ、来年はどうなるか分からないと脳内で話しかけていた。

『悌の人生だから思った通りに生きればいい』

 と兄の声が根田の耳の中で木霊し、次の瞬間強風に煽られてロウソクの火がすぅっと消えた。線香は信じられない速さで燃えていき、一気に半分ほどの長さになって上部の灰がぱらぱらと落ちていく。

「お兄ちゃん?」

 とおにこの世にいない兄の気配を感じて周囲を見回したが、当然誰もいるはずがなかった。空耳だったのかな? そう割り切るには生々しく感じた順の気配をもう一度探すかのようにそっと目を閉じてみた。その後声は聞こえてこなかったが、寒々しく吹く風の中でも彼の周囲だけは温かなヴェールに包まれているようでさほどの寒さを感じなかった。

 墓参りを済ませた根田は、霊園を出てからこの日の宿を探しケータイをいじる。この時期は観光シーズンではないので空室のあるホテルも散見し、新幹線駅にほど近いビジネスホテルを押さえることができた。それに安堵した根田は取り敢えず移動し、どこにも立ち寄らずさっさとチェックインを済ませてそのまま眠りに着いた。

 途中目が覚めることなく朝まで眠っていた根田は、持参していた着替えを持ってシャワールームに入る。昨日の疲れをさっぱり落として身なりを整えてからからチェックアウトを済ませる。駅に向かう道すがらで適当に見つけたカフェに入ってパンと紅茶を腹に入れ、駅ビルで箱館で待つ仲間たちへの土産を物色していた時、彼のケータイが動きを見せた。

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