昔話 その三
「ここって結構長いことあるしたっけ、宿泊するんは初めてでも懐かしさが残ってんべ」
初めのうちは標準語で話していた里見だったが、故郷の空気に触れていくうちにこの街にいた頃の感覚が徐々に取り戻され、時々方言混じりで話すようになっている。
「そうなんですか? 内装も従業員も代わってしまってますよ」
里見の話し相手となっている根田がまだ一年も経っていない真新しい内装を見回しながら返事する。
「外装は変わってないしたからさ、外出から戻る度昔を思い出すんだ」
「へぇ~。建物はかなり古いと思いましたが……」
そうは言っても一度くらいは改築しているだろう、根田はそう思っていた。
「ん、半世紀くらいあんべ。物心付いた頃からペンションとして存在しとったさ、金碗さん仰る方がごきょうだい八人で始められたって聞いてるべ」
「はい、確か一番上のお兄様が……」
「んだ、道夫さんだな」
道夫さん……根田にはあまり聞き馴染みの無い名前だった。
「初代のオーナーさんだよ。お待たせしました、今日はきのこ雑炊にしました」
厨房で雑炊を作り終えた小野坂が土鍋と小鉢、レンゲを乗せたトレーを里見の前に置く。
「そこの本棚にアルバムがあるはずだけど……見てみるか?」
小野坂はフロントを出て本棚の前に立つと、慣れた手つきでひょいっと一冊のアルバムを引き出した。根田はその姿を興味深げに見つめており、雑炊を小鉢に入れていた里見と隣に座っている治部もそれにつられて手を止める。
「悌はバタバタしてる時期に入ったから知らなくても無理ないよ、金碗八きょうだいが揃ってる写真が何枚か残ってるはず」
一冊の古びたアルバムを持ってフロントに戻ってきた小野坂はおもむろにそれをめくり始める。
「智君結構詳しいんだね、ここのこと」
里見は雑炊を冷ますついでに手元のアルバムを覗き込む。
「最初にここに来たのが九年前だったんで。二代目と三代目もご存命でしたし、ほぼ毎年のように従業員全員で記念写真的なものを撮ってたんです」
「あ~っ、オープン初日に皆で写真撮りましたぁ」
根田は春先にオーナーである堀江、川瀬、村木、鵜飼、大悟、旦子と共に入り口前で写真を撮った事を思い出していた。
「そっか、仁も先代から聞いてたんだな」
小野坂は更に二枚ほどページをめくったところで手を止めて里見にも見えるようアルバムを動かす。
「確かこの方が道夫さんです」
小野坂は前列中央でにこやかに笑っている三十代後半くらいのほっそりとした男性を指差すと、里見も肯定を意味するかのように頷いてみせた。この頃の写真は今ほど鮮明ではないものの、モノクロ写真の中にカラー写真も混じっていた。
「あまり似てらっしゃいませんね、先代と」
先代オーナーである衞はどちらかと言えばガッチリとした体型で、上背がある方ではなかった。
「けど旦子さんとはそっくりだろ?」
「ホントだ」
今でも細身である旦子は、年齢こそ重ねているもののひと目で見つけられるほど大きく変わっていなかった。
「んでこの方が二代目のしのぶさん、先代のお姉様だよ」
と、小野坂は初代オーナーの隣で満面の笑顔を見せている色白でふくよかな女性を指差した。その隣には三十代前半当時の衛の姿もあった。
「この方が三代目の衛さんです、三月に亡くなられました」
「そうかい……ご存命でも恐らく八十代だろうなとは思ってたけど」
里見は笑みを浮かべつつも寂しそうな表情を見せる。
「この方はご存命……どころか八十五歳で俺らよかピンピンしてらっしゃいます。『DAIGO』ってレストランの看板ばあさまです」
小野坂はついでとばかり前列左端でおしゃれをしている若かりし旦子を指差して苦笑いした。
「この前の結婚パーティーにいらしたオーナーさんのお母様だべさね? 大悟さんとは歳が近くて少しお話させて頂いたんだ」
大悟は現在四十六歳、里見も四十九歳なのでほぼ同世代といえるだろう。
「言わばご近所さんとも言えるのに、これまで面識が無かったのが不思議ですよね?」
「んだな、したって学区が隣で歳も違えばそう顔を合わせることも無いしたから」
「確かにそうですね……ところで智さん、この方はどなたです? めちゃくちゃ似てますけど」
根田は後列に並ぶ当時で小学生くらいの男の子を指差した。
「あぁ、一喜さん……旦子さんのご長男だよ。三十年前くらいに事故で亡くなられてるから俺も詳しいことは……」
「ん? 俺この人どっかで見たことあるな……」
里見は根田が指した一喜という名の小学生を凝視し始めた。
「ん~、初めて智君の顔見た時にも思ったんだけど……どうもイマイチ思い出せなくてさ、ただ俺が見た頃はもっと大人になってたべ。二十代後半くらいとかだったか……」
里見は雑炊の存在をすっかり忘れている様子で、考え込むように尖ったあごを触る。『彩りカツ定食』を食べ終えた治部はいつまでも食事に手を付けない里見を少々呆れた表情で見やった。
「……先に雑炊頂きません? 冷めてしまいますよ」
「んだな、まくろうてるうちに思い出すかも」
里見はちょうどいい塩梅に熱の取れた雑炊を美味しそうに食べ始める。そんな姿を見ていると、本当に重病人なのかと疑ってしまうくらいに幸せそうな表情を浮かべていた。
この出来事がきっかけで、里見はカフェのカウンター席で『オクトゴーヌ』の歴史とも言えるアルバムを頻繁に見るようになっていた。その際に彼自身の思い出話をぽろぽろと話すこともあり、金碗八きょうだいと同じ八人きょうだいの長男であることも判明した。
「高校生くらいの時だったと思うけど、初代オーナーさんとはそれが縁で何度かお話させて頂いたことがあって。大学進学を機に東京に出ちゃったからそれっきりお会いできんかったべ」
「そんなにごきょうだいがいらっしゃるんですか?」
この日は最近『DAIGO』で働き始めた調布が聞き役になっていた。仕事を得てこの街に馴染むきっかけが出来たことで、来たばかりの頃よりも笑顔が増えている。
「賑やかそうでいいですね、私ひとりっ子ですから」
「八人もいると煩いよ~、一番下の弟とは一回り違うしたから面倒看なきゃなんねえのも当時は嫌でさ」
そうは言いながらも里見の表情筋は明らかに緩んでいる。
「そういうものなんですね、ちょっと憧れはあったんですけど……ところで初代オーナーさんとはここで知り合われたんですか?」
「昔山の麓にグランドピアノが置いてあるカフェがあって。高校ん時そこでピアノ弾くバイトしてた時にリクエストしてくださったのがきっかけだったんだ、それからしばらく後になって弟が友達と遊んでた時にここに潜り込んで……あぁ、それで思い出した!」
里見は手元にあったアルバムをパラパラとめくり、小野坂に似た男性が写っている写真を指差した。調布はこれから知る内容よりも、他人の空似の方に興味が向いていたのだが。
「ホントに似てる……」
「ん、旦子さんも最初は驚かれたそうしたから。したっけそれがこの方……一喜さんに見付かって最初は『何してんだ?』ってなったらしいんだけど、それで叱られるでもなく出来立ての手作り菓子を振る舞ってくれて。んで電話までお借りして家に連絡があって、迎えに行った時に彼と対面したんだ」
やっと思い出せた……そう安堵したところで根田がラベンダーティーを二つ持って二人の前にやって来た。
「何を思い出せたんですか?」
「ん、一喜さんとどこで会ったかってこと」
里見は根田にも同じ話を聞かせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます