初恋 その二
昼、堀江と鵜飼は港近くのファーストフード店に居た。全国や世界レベルの展開をしている訳ではないのだが、地元中心に展開をしつつも観光客にも有名な店で、人混みの苦手な堀江は何となく落ち着かない風だった。鵜飼にとっては馴染み深い地元の味、子供の頃からここのバーガーが大好物である。
「落ち着かないかい? これでも空いてるべ」
「そうなん? 凄い人気やな」
堀江は注文の列に並んで辺りをキョロキョロしている。普段年齢以上に落ち着いていてめちゃめちゃ喧嘩強いのに……外に出ると迷子のようになる大男の姿が鵜飼には何となく可笑しかった。二人はイートインで注文してテーブル席に着くと、さっきの話なんだけどと早速鵜飼が話を切り出した。
「誰かに聞かれへん?」
「大丈夫だべ、ここはむしろ今の時期はほとんどが観光客したから。地元民はテイクアウトすんだ」
「なるほど」
堀江はそうと分かると少し安心した気分になる。
「ゴメン、話の腰折ってもて」
「なんもなんも。それで智さんさ、物心付いてからずっと好きだった女性がいたらしくてさ。中学入ってからここに来るちょびっと前したから……二十歳位まで付き合ってたんだって」
「結構長う付き合ってたんやな……それ、いつ聞いた話なん?」
「一昨年くらいだべ、礼君酔っ払って智さんが居なくなったショックをぶちまけたことがあったのさ。そん流れで『もう時効じゃあ~!』って秘密の話までしちまって、そん時一回きり」
「へぇ」
そう言っていると、二人が注文していた料理が運ばれてきた。堀江はカレー、鵜飼はバーガーランチを早速頂くことにする。
「その後礼君に一回問い質したんだけどさ、『覚えてね』ってはぐらかされちった。わちが聞いたんは、その女の子が『ユメちゃん』って名前なんと、そん子と智さんのご実家が隣同士だったんと……あと何だったけか?」
鵜飼はバーガーを頬張りながらその時の会話を思い出そうとしている。堀江も小野坂の元恋人の名前が『ユメちゃん』であることが引っ掛かっていた。
「その『ユメちゃん』が結婚してるとか?」
「それはこかんかったべ。ただお互いのご両親は二人を結婚させる用意はあったみたいだって。それと、彼女のお父ちゃんが借金こさえて、ぜんこ稼ぎで水商売に足突っ込んじまったって……それで物理的なすれ違いとかも出てきて、最終的には別れたそうだべ」
そぉかぁ……堀江は鵜飼の話を頭の中で整理する。小野坂にはかつて恋人がいた。彼女の名前は『ユメちゃん』、訳あって水商売……恐らくサルビアルームに宿泊中の調布夢子のことで間違い無いだろう。彼の今朝の態度、川瀬から聞いた話、夫と名乗る“小宮山”とのやり取りを考えると、鵜飼が言っていた話は小野坂の中で今尚取り残されたまま昇華され切っていないようだ。
堀江は最後の一口を口に入れてスプーンを置き、ごちそうさまでしたと手を合わせる。ものの五分で平らげてしまった食事の跡を見た鵜飼は、早っ! と驚いた表情を見せた。
「結構な量あったしょ? わちでも早い方なのに」
「ん、俺にはちょうど良かった。美味かったわ」
堀江はたまの外食も良いものだ、と満足げな表情を見せる。それを見た鵜飼も、連れてきて良かったと嬉しそうに残りのバーガーを頬張った。
夜になり、夕食を断って部屋に籠っていた調布だったが、空腹に負けてしまい外食しようと部屋を出る。ところが食べたい物が思い浮かばず、どうしようか迷いながら一階に降りると、店番をしている川瀬に声を掛けた。
「すみません、軽食的な物って頂けますでしょうか?」
半ば無理を承知での注文だったので断られても仕方が無いと思っていたのだが、川瀬は良いですよと返答した。
「鮭が少し余っているんです、お茶漬けでもいかがでしょうか?」
「えぇ、お願いします」
調布は外出せずに済むとホッとした表情でテーブル席に落ち着く。川瀬はかしこまりましたと笑顔で応対し、厨房へ入った。
その頃『離れ』では堀江と小野坂が夕食を摂っていた。堀江は昼間の出来事もあり、小野坂の動向が気にな掛かっていた。かと言って詮索する訳にもいかんしなぁ……と一人気まずくなりそうな状況を打破したくて、ここは敢えて一か八か恋の話を振ってみる事にした。
「智君、初恋って何歳やった?」
「は? 何だよいきなり」
急に話を振られた小野坂は驚いた表情で堀江を見る。
「そない驚かんでも、単なる興味本位やって」
「あっそう……まぁ、子供の頃ので良いんなら四~五歳ぐらいかな? 仁にだってあったろ?」
小野坂は幼い年齢を言って質問返しでかわす。堀江は今更恋愛話で困ることなど無いので、ごく普通に受け答えする。
「うん、ホンマに最初のやと幼稚園年長組の時やったかな? 福岡から転校してきた女の子で、博多弁が可愛かってん。智君の相手はどんな子やった?」
その時彼の脳裏には山林実紗という女子高生を思い出していたが、今はもうかつての恋人尼崎ミサと同じ顔でももう動揺しなかった。尼崎夫妻との交流が再開されたことで、堀江の気持ちに余裕が出てきているのかも知れない。しかし一方の小野坂はなかなか答えようとせず、そうだなぁと焦らす。
「もしかして複数おったとか?」
「んな訳無ぇだろ、当時近所に住んでた幼馴染みだよ。強烈に顔が可愛かった訳でもねぇし十年以上会ってないから、今となっては顔も思い出せねぇけどな」
「へぇ、じゃ進展せんかったんや」
「あぁ、初恋なんてそんなもんだろ。そっちこそどうなんだよ?」
小野坂は当たり障りのない返答しかせず、堀江の話にすり替えようとする。
「まぁなぁ……その子三年ほどでまた転校してしもたから。それで俺直前にプレゼント用意して告白したよ、振られたけど」
「マジかよ? 結構勇気あるな」
堀江の初恋話に小野坂の表情が少し緩んだ。これはもしかしたら……そう思ったところで来客があり、インターフォンが鳴り響く。
「はい」
堀江が玄関に出ると、盆踊り大会実行委員の男性二人が立っていた。
「おばんです、出店のレシピの件で伺いました。川瀬さんはいらっしゃいますか?」
「今ペンションで店番してます。呼んできますので中でお待ちください」
堀江は二人を招き入れると、食事を済ませて後片付けをしている小野坂を呼びつけた。
「智君、義君と業務代わってくれへん? 出店のレシピの話やって」
「うん、分かった」
小野坂は食器をキッチンの流し台に置いてペンションへ向かう。ついでだから悌も休ませとくかな……そんな事を考えながら事務所に繋がる従業員入口から中に入ると、根田はソファーの上で仮眠を取っていた。そのまま起こさずにフロントに入ろうとするが、女性の声が聞こえてきて一旦足を止める。彼は口頭ではなく筆談に切り替え、テーブルに置いてあったメモ用紙にペンで走り書きする。
【出店に出品する料理のレシピの事で実行委員の人が『離れ』に来てる】
そう書いたメモをこっそり手渡すと、川瀬は客に気付かれないようそっと事務所に入った。
「分かった、今一名お客様いらっしゃるから」
うん。小野坂は川瀬と入れ代わってそっとフロントに入る。声でしか分からなかったが、根田にも一声掛けてから『離れ』へ向かったようだ。
この時間だと宿泊客だろうな……フロント業務に入ってすぐ館内の匂いがいつもと違う事に気付く。普段ならコーヒーの香りが多いのだが、この時は焼き魚に磯の香りが充満している。もしかしておにぎりがお茶漬けでも作ったか?
小野坂はそんなことを考えていると、先程からうっすらと聞こえてくる女性客の声で、実は私今でも引きずっているんですと勝手に話が始まってしまっていた。その客の姿はフロントから見えず、死角にあたる奥の角のテーブル席にいるのだろう。
えっ? その声はかれにとって馴染みのありすぎる声だった。当然なのだろうが川瀬と入れ替わっている事に気付いていないようで、それをどう伝えようか迷っていた。しかし彼女の話は終わらない、結局それを止める事も出来ずに川瀬に成りすまして話を聞くことにしたのだが……。
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