心の涙 その三
外に居た小野坂は、取り込み中に客が入って来ないよう掃除がてら見張っていた。すると案の定郵便局員塚原が私服姿でやって来る。彼はすっと立ち塞がり、あいにくまだと入店を制す言い方をする。
「じゃあ待たせもらって良いかい?」
「どうぞ」
小野坂は塚原を置いて店内を様子を覗きに中に入る。ちょうど堀江と川瀬が朝食の片付けに追われており、例の人来てるよと声を掛けて手伝いを始める。
あの客何者なんだ? 彼は毎日のようにやって来る塚原にちょっとした嫌悪感を抱いていた。郵便局員とは聞いているが、やたらと眼光が鋭くて異常なまでの堀江に対する興味の示し方が気になるところだ。小野坂が全てのテーブルを拭き終えると、いつの間にやら入口を開けて待ち構えていた。
「あの、一応こちらにも都合があるのですが」
「あぁゴメンゴメン、ちょびっとせっかちなとこあって。ブレンド頂けるかい?」
「はい」
小野坂は冷たく言うと厨房に入る。川瀬は予測していたでで既に支度を始めており、ブレンドでしょ? と言った。
「あぁ。義完徹なんだから休んだら? ブレンドなら俺が淹れるよ」
「大丈夫だよ、それはお互い様でしょ」
川瀬は平然とコーヒーの支度を続ける。根田はカフェの奥の角の席でジュンとお絵描きをして遊んでおり、本当なら休ませてやりたいところだが、あの子の子守りには適任だなと思い声を掛けなかった。堀江はせっせと食器を洗い、もうじき終わりそうだ。
「ちょっと抜けていい?」
食器洗いを終えた堀江がカフェに戻ろうとする小野坂に声を掛けてくる。この時間だとアレか……彼は柱時計に視線をやった。
「あぁ、行ってらっしゃい」
「うん、行ってくる」
二人のやり取りを聞いていた根田がミサですか? と声を掛けると、ジュンがぼくもつれてって! と立ち上がった。
「ジュン君、クリスチャンなの?」
根田の言葉にジュンはズボンのポケットからロザリオを出してうんと頷いた。
「じゃ一緒に行こう、悌君は休憩ね」
堀江はそう言い残してジュンと共に教会へと出掛けて行った。小野坂はそろそろかな? と厨房に入ると、ちょうど良いタイミングでコーヒーは出来上がっていた。
「あとは俺が」
「じゃ、お言葉に甘えて」
川瀬も休憩を取るために外に出る。小野坂は根田にも休憩を促すも、一人にさせるのは気が引けるらしい。
「でも……」
「今のうちに休んどけ、今日は子守りなんだから」
そして根田もいなくなり、ペンション内は客である塚原と小野坂の二人きりになった。
「お待たせ致しました」
客の前に出来立てのコーヒーを出すと、極力話をしないよう小さな用事をこなしていた。そんな様子を見ていた塚原は、君よく働くよね? と話し掛けてきた。
「普通です、仕事しに来てるんですから」
涼しげに答える小野坂に多少の興味を示した塚原は、その姿を面白そうに眺めていた。
「君、小野坂君だっけ?」
いきなり名前を呼ばれた小野坂は、一体どこで聞いたのだろう? と言う疑問が湧き上がってくる。
「名札がある訳でもないのによくご存知ですね、名前」
嫌味を言ったつもりだったのだが、客は気にする風でもない。
「まぁ記憶力と耳はやたらと良くてね。君人と話すの苦手だったりするかい?」
「得意ではありません」
小野坂は雑用の手を休めず、塚原の顔を見ようとしない。と言うより表情を見せないようにしていた。
「それとも僕、警戒されてるかい?」
「なぜそのように思われたんです?」
「君には壁を感じるからね、今もそうやって距離を取ってるし」
「お客様と仲良くするつもりは無いだけです。おかわりいかが致しますか?」
「今日はいいよ、ご馳走さま」
塚原は代金を払って店を出て行く。
「ありがとうございました」
小野坂は淡々と接客をこなして使用済みの食器を片付けに一旦厨房に入ったが、ふと外が気になって入口の横にある小窓から覗いてみる。塚原はペンション前の道路を渡ってスーツ姿の男性二人と合流した。Tシャツにデニムパンツ姿の彼との組み合わせは違和感があったのだが、三人の持っている雰囲気はどこか似通っていて鋭さを醸し出している。すると背の高いスーツ姿の男性がこちらを見たので、小野坂は窓から離れて厨房に入る。見張られてる気がする……一人そんな事を考えながら、ちょっとした胸騒ぎを覚えた。
それから一時間ほどで堀江がジュンと共に教会から戻ってくる。根田の休憩が終わるまで彼が相手をしていたのだが、何気に年齢を訊ねたところ、四歳と言う返事が返ってきた。体格も良くてとてもしっかりとした子だったので、小学校低学年くらいだと思い込んでいた一同は驚いていた。
夕方になり、山に登って絶景を満喫した父親とヒナコが戻ってきた。
「お帰りなさいませ」
フロントから声を掛けた小野坂に父親は一礼する。
「ジュンのこと、ありがとうございました」
「楽しかったですよ。近くの教会へ連れ出しましたが、ご覧の通り体調も戻られたみたいです」
「あっ、私の方がすっかり忘れておりました。そんなことまでして頂いて」
「いえ。ウチにもいるんです、クリスチャン」
父親は面目無さそうに頭を掻いている。そんな彼の傍らにいたヒナコは、厨房から川瀬が出てくるのを見掛けて嬉しそうに駆け寄った。
「はい、きのうのおれい」
彼女は小さな紙の袋を差し出してニッコリと言う微笑んだ。原則客からの頂き物は断っていたので、川瀬はどうしようか戸惑っている。
「受け取ってやんなよ」
小野坂は断る方が失礼だと言わんばかりの口調で言う。ジュンと一緒にいる根田にもいいじゃないですかと促され、それを丁寧に受け取った。
「どうもありがとう」
ヒナコは飛びっきりの笑顔を見せてから兄のジュンにもお土産を渡して、ロープウェイに乗った感想や展望台から見た景色を嬉しそうに話し始めた。船曳父子はドリンク無料チケットでティータイムを楽しんでおり、これで根田は子守りから解放された。
「お帰りなさいませ」
しばらくして戻ってきた母親は小野坂の挨拶にこれまでと違って笑顔を見せ、テーブルを囲んでいる家族の輪の中に入る。
「お帰り、どこ行ってたの?」
父親は今朝の出来事を一切咎めること無く普通に接している。子供たちも根に持っていないようだ。
「国立公園。動画撮ってきたから一緒に見ない?」
「「みるー!」」
子供たちの元気いっぱいの反応に促され、一家は仲良く階段を上がる。その際に事務所から出てきた堀江にあのと声を掛けた。
「主人から聞きました。ジュンのこと、看てくださったんですってね」
彼女はこれまでと全く違う優しい表情をしていた。根田は安堵したようにその姿を眺めており、堀江は楽しかったですよと微笑み返した。
「昨日から色々と失礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
母親は深々と頭を下げ、堀江とフロント業務中の小野坂も恐縮してしまう。
「そのことはもう良いんです、ご家族様がお待ちですよ」
思った事をすぐ口に出す小野坂の言葉に、そうでしたと動画のことを思い出して笑う。彼女は二人に一礼して部屋に戻ると、それを境に船曳家はすっかり仲良し家族になっていた。彼らは翌朝チェックアウトし、晴れやかな表情で長旅を締めくくったようだった。
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