新しい風 その二

 そんなある日のこと、チェックアウトの宿泊客を送り出して客室が空になり、カフェも臨時休業させて従業員三人仲良く近所の大型スーパーへ買い物に出掛けていた。翌日やって来る団体客を迎え入れる準備を兼ね、傷んできた清掃道具を買い換えるため生活雑貨売り場を物色している。

「スポンジとトイレ用たわし……あと風呂用の洗剤が切れそうだったよね?」

 几帳面な川瀬が買い物リストを記したメモをチェックしながら、カゴの中の商品とを照らし合わせている。堀江と根田はこの手の作業を苦手としており、堀江に至っては買い物自体が不得手だった。根田は目移りしやすい性格で、目的そっちのけであちこちをうろつき回っている。

「これ凄いですよ♪ ホラ」

 彼はテスターを触っては興奮しており、たまの外出が楽しくて仕方がない。ペンション運営は自身の時間を確保しづらい仕事なのだが、逆に堀江は慣れぬ外出の方が落ち着かなかった。

 川瀬にしてみればこのメンツとの買い物は子供連れの母親のような気分になり、自身にくっ付いて離れない堀江が長男、少し目を離すとどこかへ消えてしまう根田が次男と言ったところか。一人黙々と買い物を済ませると、二十三歳児根田を探し始める。迷子ではないので店内を探せば見付かるのだが、大概何かに夢中になっていてこの日はサイクロン型の小型掃除機で“遊んで”いた。

「悌、帰るよ。一時に信君来るんだから」

 川瀬に呼ばれた根田は、はぁいと名残惜しそうに小型掃除機とお別れすると、二人に付いて売り場を後にした。目的を終えた三人はスーパーを出て商店街を歩いていると、少し離れた所で一人の女子高生が三人の若い男に囲まれている現場を目撃する。男たちは困っている女子高生の体を触り、逃げようとすると道を塞いだりしていた。

「随分としつこいナンパですね」

 根田は何気にその現場を見つめている。

「ちょっと質悪過ぎない? 仁君、どこ行くの?」

 川瀬も同じ光景を見て嫌悪感むき出しの表情をしていると、堀江は何も言わずその現場に近付き、ナンパな男の一人の肩を叩く。

「嫌がってんじゃない、それくらいにしてあげたら?」

「あ"ぁ? 邪魔すんなワレェ!」

 チンピラ風情の男たちは気に入らなさげに関西弁で声を荒げる。しかし堀江は全く怯まず、顔色一つ変えなかった。

「邪魔するつもりは無いけど、完全に嫌われてるよ」

 その言葉を合図に男たちはいきなり堀江に殴り掛かる。しかし涼しい顔で軽くかわし、当たった? と思えばあっさりと払いのけていた。川瀬と根田は初めて見る堀江の立ち回りに驚いた表情を見せる。

 そんな中で正攻法では無理と思ったのか、最初に肩を叩かれた男がポケットから刃物を取り出した。周囲は一時騒然となるが当の堀江は至って普通にしており、ナイフを振り回されてもまるで慣れているかのように軽くあしらって全く相手にならなかった。

 彼は一瞬の隙にナイフを持つ男の手首を掴むと、相手はひどく痛がってそれをポロリと地面に落とす。三人は勝ち目が無いと見て逃げ出してしまい、ナイフは地面に置き去りとなる。そのままにしていても危険なので、堀江は仕方なくそれを拾い上げた。

「仁君、怪我は?」

 川瀬と根田が慌ててオーナーの元へと駆け寄ると、堀江はふっと表情を緩めて笑顔を見せる。

「大丈夫、無傷だよ。それよりこれどうしようか?」

 手にしているナイフの扱いに困っているところに、騒ぎを聞き付けてやって来た警察官が三人と女子高生に声を掛けた。

「私がお預かりします。署までご同行頂けますか?」

 彼らは四人を伴って近くの交番に連れて行き、早速調書を取り始める。見た目年長の警察官がまずは女子高生の顔を見た。

「まずはアンタから、お名前は?」

「ヤマバヤシミサです。山に林でヤマバヤシ、ミサんミは実る、サは糸偏に少ないって書きます」

 彼女はハキハキとした口調で受け答えをする。北海道とは違う訛りがあり、印象としては四国西部か九州のイントネーションのように聞き取れた。川瀬は四国東部に住んでいた時期があったので、直接使用はしていなかったが方言そのものは聞き馴染みがあった。

山林実紗ヤマバヤシミサさんね。ご住所は?」

 山林実紗と名乗った女子高生は、福岡県と言い出してその場にいた全員の注目を一斉に浴びる。

「福岡? 修学旅行生かい?」

「はい。仲間っちはぐれて探しとる途中で、チンピラ風ん人たちに絡まれてしもうたんです」

「そうかい、災難だったべな。地元民としては申し訳ないことだべ」

 警察官は旅先で怖い目に遭わせてしまったことに責任を感じたのか彼女に頭を下げる。もう一人のやや若めの警察官も頭を下げてからメモを取った。

「よかよかです、怪我もしてまっせんし。ちょっと気の緩んでたんだっち思います」

 実紗は警察官二人に可愛い笑顔を見せると、抱えているショルダーバッグの中からバイブレーションの音が聞こえてくる。彼女は中に手を入れてゴソゴソと漁りケータイを取り出した。

「すみまっせん、同級生からなんです。出てもよかですか?」

 年長の警察官はええよと頷いて、今度は堀江の方を見た。

「じゃあその間にアンタの方も、名前聞いていいかい?」

「堀江仁です」

 若い警察官は調書にカタカナで表記する。そして住所を尋ねられ、ペンションの住所を伝える。

「あぁ、金碗衛さんがおらさったペンション『オクトゴーヌ』しょ? 最近亡くなられて代替わりしたとは聞かさってたけど、アンタのことだったんかい」

 ペンションの住所を書きながら、あの人孫おったんかぁと意外そうにこそっと呟いていた。堀江は正直に話そうかと迷いながらも、無断に時間を費やしたくなくて聞かれた時に答えれば良いとここでは何も言わなかった。

「因みに今身分を証明できる物は持ってるっしょか?」

「いえ、そこのお店に行ってただけなので」

「そうかい」

 若い警察官は、買い物途中とでも書いたのか何かを記入していた。それから程なく通話が終わり、実紗はケータイを机の上に置いて元いた椅子に座り直した。

「すんまっせん、先生と同級生がここに向かっちるんです。お邪魔でなければ待たしぇてもろうても良かとですか?」

「その方が安心だべ。もうちょびっと詳しく聞かしてちょうだい」

「はい」

 その言葉に促されてここからはほぼ実紗が話した。

 修学旅行の自由行動中に商店街で買い物をしていて同級生とはぐれ、連絡を取り合って落ち合う途中でチンピラ風の男たちに絡まれた。断っても付け回されて、逃げるに逃げられなくなってしまったところを堀江に助けてもらった。男たちは関西弁を使っていて面識は無い。概要としてはそんな内容だった。

「そん時にこいん方が助けてくだしゃったんです。あんの……」

 彼女は堀江の方を向くと、年長の警察官が彼の名前を教える。

「堀江さん、助けて頂いてありがとうございました」

 座ったままではあったが深々と頭を下げる実紗に、堀江は慣れない状況にこっ恥ずかしくなってあっ、いやと慌てている。

「頭、上げてください」

 実紗はその言葉に従ってゆっくりと頭を上げ、顔にかかった艶やかな長い髪を軽く直した。その時初めて女子高生の顔をまともに見た、ような気がした堀江の表情が途端に変わる。彼は目を見開き、可愛らしい顔をじっと見つめている。彼女も不思議そうに見つめ返し、その間だけ時間が止まったかのように空気も止まる。川瀬はそんなオーナーの変化を察知し、どうかした? と声を掛ける。

「何でもない」

 堀江ははっと我に返り、首を横に振った。

 それからしばらくそのまま待っていると、担任と思しき男性と実紗と同じ制服を着た女の子三人が彼女を迎えにやって来た。堀江たちもようやく解放され、集められた全員が交番を出る。

「本当にありがとうございました。お陰様で皆と合流できたとです」

 実紗は改めて堀江に頭を下げるが、当人はもう良いですよと恐縮している。

「彼照れ屋なんです、もうそれくらいで」

 川瀬は女子高生の可愛さに照れているのかと思い二人を仲裁する。担任の男性にも感謝され、何もしていない川瀬と根田まで恐縮していた。

「道中お気を付けて」

 堀江は一行に一礼して早々に立ち去ってしまう。

「すみません、この後待ち合わせをしていますのでこれで失礼致します。それでは良い旅を」

「ありがとうございます」

 男性は二人に一礼すると、生徒たちを連れて駅方向へと歩き出した。女子高生たちが手を振ってきたので、川瀬と根田がそれに応じる。

 そんな中、実紗だけは先に行ってしまった堀江のことを気にしていた。こん辺りん人かいな? 彼女は仲間たちと戯れる隙に彼の姿を探す。少し先に別れたのでかなり小さくなっており、その直後に交差点を曲がって行ったので、どこへ向かったまでは分からなかった。

 また会えるかいな? 彼女は胸の中にときめきを仕舞い込み、一人再来を誓った。

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