新しい風 その一
小野坂が去って約二週間が経ち、この頃から葉書の回収で堀江と顔を合わせた郵便局員が『オクトゴーヌ』のカフェに姿を見せるようになっている。
彼の名前は
ほぼ毎日のようにカフェでコーヒーを飲み、あれこれ話題は振りまく割に自身のことはあまり語らず、そのくせ堀江にだけ異常なまでに興味を示していた。
「名前、何て言うの?」
「ホリエメグムです」
「へぇ、どんな字書くの?」
「人偏に漢数字の二、です」
といった具合に年齢、生年月日、出身地、出身小、中、高校から身長、体重、星座、血液型、家族構成、親きょうだいの職業などどうでも良い内容まで訊ねている。
「堀江君、学校の成績はどんなだったの?」
「中の下、位だったと思います」
「じゃあ勉強は好きじゃなかった?」
「勉強というより学校が好きじゃなかったんです」
この日も塚原の尋問の様な会話は延々と続き、昼休憩でここの賄いを食べに来ていた村木は店内の様子を覗き見して嫌そうな顔をする。
「もしかして不登校だったとか?」
「えぇ、まぁ。そんな感じです」
そう。郵便局員は堀江を見ながらコーヒーをすすり、まだ聞き足りないのか、ところでと更なる尋問を展開しようとしてきたところで村木が客の前に立つ。
「いいから」
堀江の窘めを聞き入れる訳が無く、厨房でパウンドケーキを焼いている川瀬は何事? と店内を覗く。
「あの! いくらお客さんでもちょべっとばっかし介入し過ぎでねえですかい?」
見知らぬ男の乱入に塚原はキョトンとしており、川瀬は慌てて村木の腕を掴むと厨房へ引っ張り込もうとする。
「そういう言い方は失礼でしょ。申し訳ございません、盗み聞きしてしまっているようで」
彼は村木を必死に取り押さえながら客に謝罪したが、正直なところ考えは村木寄りで個人的な事を根掘り葉掘り尋ねている郵便局員に対し、少しばかり鬱陶しさを感じていた。
「構わないよ、内緒話してる訳じゃないから。それよりそんなに介入してる様に見えた?」
塚原は取り押さられている村木に声を掛けると、川瀬の腕を振りほどいて再び彼の前に立つ。
「見えましたっ! 学校の成績なんかどうでも良いしょ?」
「そお? 彼の子供の頃のこと、興味無い?」
「学校の成績にまで興味ねえです! その前にもうちょべっとご自身の間口ってやつを開けとくもんだべ」
村木は仁王立ち状態で塚原に物申してやる。
「それもそうだね」
彼はその言葉をあっさりと受け入れて少し考え始める。二人にやり取りを堀江と川瀬は半ば呆れた状態で見つめていた。
「でも広げてみせる程のものが無いんだよ。せいぜいバツイチ子ありってくらいかな? 元配偶者と子供なら札幌にいるよ、彼女の実家があるから」
いきなり離婚歴を語り始めた塚原に三人は返答に困っていた。しかし当人はさほど気にしていない様子で、表情は至って普通である。
店内には焼き菓子の甘い香りが充満し始めていた。それに合わせるかのように厨房からオーブンのアラームが鳴り響き、川瀬はそれを良い事に席を外す。堀江は一緒に逃げようとした村木を捕まえて、責任取ってよねと隣にある椅子に座らせた。
「僕は大学進学で札幌に来て以来ずっと北海道で暮らしてるんだ。この仕事を始めてから道内を転勤で何ヵ所か回って、三月からこの街での勤務になってね」
「そうですか」
堀江は興味が無いながらも話はきちんと聞いている。しかし村木は物申したことなどすっかり忘れ、往生際悪く未だ逃げるタイミングを窺っていた。
「元妻とは八年前に知り合って、一年ほど付き合った後結婚して翌年に子供が産まれたんだ。それから二年後の転勤から単身赴任ですれ違いが多くなって、その一年半後に離婚した。うちの子体が弱くてね、親権は医者である彼女が持ってる。制限されてる訳じゃないけど、会えるのも夏休みくらいで遠出させられないから僕が通ってる」
塚原はそこまで話してから、すっかり冷めているコーヒーを飲み干した。そして村木に笑い掛けるとこんな感じでいい? と評価を求める。
「まぁ、良いんでねえすか?」
村木はぶっきらぼうな返事をすると、厨房から川瀬が三人分のケーキを運び入れた。
「先程焼き上がったんです、お味見がてらいかがですか?」
川瀬はホイップクリームを添えたパウンドケーキを塚原、村木、堀江の順に置いていく。塚原は目の前に置かれた焼きたてのそれを嬉しそうに見つめている。
「良いの? じゃあコーヒーおかわり貰おうかな?」
そんな客の姿を見ながら、嘘か誠かはともかく敢えてこの手の話で黙らせたかな? と郵便局員の動向を注意深く観察する。
「かしこまりました」
川瀬は丁寧に一礼してから空になったコーヒーカップを片付けて厨房に入り、新たにコーヒーを淹れた。
初夏が過ぎた辺りから中心街の治安が急激に悪化していた。近所の幼稚園や小学校から下校時刻には大人たちが家の外へ出るよう促す通達が回っており、この日は川瀬が入口前に立つ。
「「「こんにちはー!」」」
大人たちの心配をよそに元気一杯で、今のところ子供たちの被害報告は聞こえていない。ここでも川瀬の特質はいかんなく発揮されており、彼らががカフェに立ち寄って店内の絵本を読んだり宿題をしたりする“憩いの場”と化している。
ここ『オクトゴーヌ』でも、前日まで宿泊していた三人組の女性客が夜は何だか物々しいと話していた。実際夜の方が被害は深刻で、近所の高校に通っている女子高生が痴漢被害に遭ったり、大人の男性でも深夜になると難癖を付けられるといった話が増えてきて警察も巡回を強化している。そこで自治会の青年たちも連携し合ってパトロールを始めることになり、鵜飼が数人の有志と共に『オクトゴーヌ』を訪ねに来た。彼らは皆商店街の関係者で、中には普段から取引で顔を合わせる者も居る。
「こんちわ~」
相変わらず間の伸びた挨拶をしてくる鵜飼だが、実は幼稚園から剣道を嗜んでおり、高校時代は北海道代表として国体に出場したほどの腕前である。さすがに竹刀は持っていなかったが、一緒にいる全員が棍棒を携帯しており流石に丸腰ではない。
「いよいよ始められたんですね、パトロール」
堀江の言葉に鵜飼ははいと頷く。一緒に居る有志たちも頷いており、それなりの気合いは伝わった。
「したらお願いがあるべさ、たまにで良いんで手伝って頂けませんか?」
「いいですよ。一人ずつ交代で良ければ、川瀬と根田にも手伝わせます」
堀江はその申し出を快諾し、鵜飼はホッとした表情を見せる。
「じゃ早速頼んでも大丈夫かい?」
「ちょっと待ってて」
堀江は業務の引き継ぎのため事務所を覗くと、根田が仮眠から起きて菓子パンをくわえていた。実は小野坂が地元へ帰ってしばらく後『パーネ』の五代目から村木経由で取引の打ち切りを突きつけられ、従業員と相原母子との話し合いの結果『アウローラ』との取引を決断した。
それからも嶺山は事ある毎にパンを差し入れて、最近は村木や鵜飼にもお裾分けするようになったことで彼らも嶺山と交流を持ち始めている。
「悌君、ちょっと出掛けて来るからフロント業務お願いね」
堀江はそう声を掛けてから、鵜飼らパトロール部隊と共に店を出て行った。
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