ペンション『オクトゴーヌ』再生計画
谷内 朋
第一章
めぐり逢わせ その一
北海道のとある山の麓、観光名所である坂の程近くにペンション『オクトゴーヌ』という宿泊施設がひっそりと存在する。
そこは約五十年前、
きょうだいの中には早くに亡くなったり別れがあったりしながらも、二代目オーナーは長姉であるしのぶが、現在は三代目オーナーとして三男の
閉館間近となった十月末、最後の客として一人の若い男性が宿泊した。彼の名前は
二日分ほどの着替えと僅かな金しか持ち合わせておらず、それらを入れていた鞄も使い古されたクタクタな代物で着ている服もみすぼらしかった。ほんの数日の滞在期間に毎日二回教会へ足を運び、花を片手に墓地へと出掛けている様だった。
衛はそんな男性客に興味を持ち、彼がフロントに立ち寄った際に声を掛ける。
「どういった御用向きでこの街へ?」
突然声を掛けられた宿泊客は、どう返答しようか迷っている風だった。しかし怯えている様子ではなく、強い光の宿る瞳で衛を見つめている。
「いやいや、答えたくなければそれで結構。観光をなさらん方は珍しいもんでさ、野暮な事を伺いましたな」
衛は面目無さそうに頭を掻く。
「いえ、そうやないんです。大切な方の墓参りをする為にここに来ました。その方が亡くなられてから六年掛かってしまいましたが」
「そうでしたかい。これは立ち入った事でしたな、大変失礼致しました」
堀江は衛にうっすらと笑みを浮かべ、いえと答えた。たったそれだけの会話だったが、衛はその時に見た綺麗な瞳が印象に残っていた。それが三十歳の若さで亡くなった末弟
彼は十五歳年上の長兄道夫を誰よりも尊敬し、いつか兄のように人に喜んでもらえる仕事がしたいと目を輝かせて話していたのを思い出す。ところがある夏の日の夜、バイクで遊びに出掛けていた帰りに居眠り運転の暴走に巻き込まれ、バイクごと吹っ飛ばされてほぼ即死状態だった。
荘介も確か背が高かったな……衛は亡き弟へ思いを馳せ、フロントでぼんやりとしていたところにこんばんはと背後から声が掛かる。彼はハッとして振り返ると、近所のレストランシェフとして働いている
「
川瀬は衛に包みを渡し、食事の間代わりますと言った。彼は三年程前からここで時々厨房の手伝いをしており、本来は次姉旦子の息子
衛は受け取った包みを開けると、野菜中心の料理が綺麗に盛り付けられていた。ペンションの運営当初は彼女が厨房を切り盛りしており、息子にもそのDNAはしっかりと受け継がれている。彼は姉の手料理を美味しそうに頬張り、病人とは思えぬ食欲であっという間に平らげた。
「ごちそうさまでした」
衛は満足げに手を合わせてからお茶を飲もうと席を立つと、たまたまふと視界に入ったフォトスタンドに気持ちを奪われる。その写真は八年前に当時の従業員全員と、既に死んでしまっている愛犬と共に取った集合写真だった。
その中でもひときわ若い、当時二十歳前後の男の子の姿をじっと見つめていた。彼は当時夏休みを利用して東京から季節バイトとしてやって来た大学生で、翌年の春から大学を辞めて正式な従業員として働いていた。しかし三年半前に客に暴言を吐いてしまった事を悔やみ、黙って姿を消してしまった。恐らく故郷に戻っていると思われるのだが、手紙を送っても戻される状態で今は音信不通となっている。
あの子は元気にしてるべか? 八十一歳となった今、我が人生に悔い無し!と言いたいところだが、彼が今どこで何をしているのか?衛にとっては気掛かりの種となっていた。
それから二日が経ち、最後の客がチェックアウトする日となった。この日を以てペンション『オクトゴーヌ』は閉館する事になるのだが。
「つかぬ事を伺いますが、お仕事は何を?」
衛は彼に突発的な質問をする。しかし内心そんな事訊ねるつもり無かったのにと思い少し慌てる。
「今は無職です」
しかし堀江は嫌な顔ひとつせず、正直にそう返答した。
「ここを出たところでやる事は無え訳ですな」
「えぇ、まぁ」
彼は不思議そうな表情で衛を見る。すると過去に付けていた運営日誌や宿泊客の住所録が記されているファイルをカウンターの上に並べ始めた
「したらここの四代目になって頂けませんか?」
ペンションオーナーからの突然の申し出に堀江は目を丸くする。たかだか四~五日宿泊しただけの自分にここを継げと?彼はにわかにパニック状態になっていた。
「あの、仰っている事がよく分かりませんが」
「突然の申し出にお困りなんは無理もございません。ただ五十年前にきょうだい八人で始めたここを無くしてしまうのがどうしても忍びなくなりましてさ、私自身所帯を持ちませんでしたので子や孫はおりません。姉の子が一人おりますが、彼は現在レストランを経営しおりてます」
衛は堀江から視線を外さない。
「今や八十歳を超え、病気が見つかりやむなくたたむ決意は致しましたが、血縁にこだわりさえしなければここの経営は可能なのではないか。と思い直す事にしたのです」
衛はそこまで一気に話すと、長身の堀江を見上げてにっこりと微笑んだ。
「そんな事仰いましても、俺には荷が重すぎます。まともに社会に出た事も無いのに五十年の歴史は背負えません」
堀江は首を振って辞退する。
「アンタくれえの年頃で社会を知らんのは当然、これから覚えていけばいいさ」
「ですがいきなり経営だなんて」
「なぁに、ノウハウならワシが教えてやる、目の黒い今のうちにさ」
戸惑う堀江に衛は楽観的な口調で答える。現在先行きの見えない彼にはある意味ありがたい話ではあったのだか、それを受け入れられない事情があった。
「やっぱり出来ません、こんな大切な事を俺に託しては駄目なんです」
堀江は何とか諦めさせようと必死に断るが、衛はなして?と食い下がる。
「なして? と仰いましても……」
「断るなら断るで、ワシが納得出来る理由でねえと取り下げる気なんぞ無えべ」
経営者後継の話であるはずなのに、主導権は完全に衛が握っていた。堀江は流れに沿ってしか話を進められず、事情を話さなければならない状況に追い込まれる。
「でしたらお話しします。十七の時に人を殺して先週まで服役していました」
その告白に衛の表情が少し変わる。さすがに取り下げるだろう。そう思った堀江は荷物を持って一礼する。
「何だそったら事かい」
衛は肩をすくめてみせる。堀江は相手の思わぬ反応に、えっ?と間の抜けた声を出してしまう。
「近くに大切な方の墓があんだろ? したらここで働きながら弔えばいいさ。教会だって目と鼻の先にある、空いてる時間に罪を償う事だって出来っペ。生き方の選択肢として、アリだとは思わんかい?」
衛はフロントから出て堀江の前に立つと、すらっとした手を握る。堀江は荷物を置き、年季の入った手に綺麗な手をそっと被せた。
「そうと決まれば早速始めるか、『離れ』に案内するべ」
衛は彼の決断に満足したかのように肩をポンポンと叩く。堀江は長い体を折り曲げ、宜しくお願いしますと頭を下げた。
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