第6話 少女は帰宅する


 賑やかな王都から少し離れた郊外にある緑の豊かな広い草原。そこの敷地に建っている控えめだが立派といえる屋敷。そこが今のミリエルが暮らしている自宅だ。

 聞くところに寄れば、親は勇者としての功績を称えられて王様からこの土地を戴いたらしい。ミリエルは物心ついた頃からここで暮らしているので、ここに来る以前の両親の暮らしがどうだったかは知らないが。

 勝手知ったる自分の家。着いた頃には太陽が山に掛かって日が沈もうとしていた。いつもより遅い帰宅になってしまった。

 玄関の前で立ち止まってミリエルは一呼吸する。いるのかと思ったが、ドアに手をやろうしたところでもうすでに聞き慣れた声がしたのでミリエルはその手を止めた。

 家の者の声じゃない。最近知り合ったばかりの不躾な他人の声だ。


『ここがお前の家か?』

「そうよ、悪い?」

『いや、こういうのも悪くないな』

「そう」


 声が何を考えているのか分からない。どこまでついて来るつもりなのかも分からない。だが、もう今日は余計なことを考えるのはよそうと決めたのだ。

 もうすぐ夜になる。これ以上部室を荒らされた時のような被害を撒き散らしたくはなかった。

 ついてきたければくればいい。そんな覚悟で臨む。


「来てもいいけど、おとなしくしててよね」

『ふむ、了解した。客人としての礼儀ぐらいは俺も心得ている』


 誰が客か。招いた覚えはないぞ。不満に思うが、いつまでも変な奴に構っていてもしょうがない。構うと余計に調子に乗ることもある。

 ミリエルは歩みを進めてドアを開けることにした。玄関を通り抜けて家に入るなり、手厚い歓迎で出迎えられた。


「ミリエルちゃん、お帰りー」

「パパ、どうして」


 にこやかでだらしない顔をしてミリエルを抱き上げたのは父だ。かつては魔王を倒した勇者だったと聞くが、やはりミリエルの目にはそんな凄い英雄のようには見えない。

 どこにでもいる普通のおっさんだ。

 今は戦いからは身を退いて勇者の役目を弟子にしていた少年に譲り、普通の一般的な仕事をしている。


『この男、クレイブなのか? あの勇者の』

「そうよ」


 ミリエルの中の声は父が勇者だったことを知っているらしい。もっとも学園や王都でも父のことを知っている人は大勢いるので謎の声の人物の正体を突き止める役には立たないが。

 謎の声が学園や教室のことを知っている確証はすでに取れているので、今更王都のみんなが知っていることを彼が知っていたとして、ミリエルにとっては何の手がかりの足しにもならなかった。

 そんなことよりも父の腕に抱き上げられながらミリエルは考えていた。今日は父より帰宅が後になるほど帰るのが遅かっただろうかと。

 ちょっと考えていると、台所から母のソフィーがやってきて声を掛けてきた。


「明日はパパと一緒に狩りに行く約束をしていたでしょ? それでパパったら楽しみで早く帰ってきちゃったのよ」

「うむ、明日は休みだからな。今日のところは英気を養って明日はたっぷり遊ぼうなあ、ミリエル」

「うん、楽しみー」


 抱き上げられてクルクル回されながらミリエルは思い出していた。

 そうだった。すっかり忘れていた。明日は父と一緒に近所の森に狩りに行く約束をしていたのだ。

 モンスターの減った昨今ではあるが、まだ町の外では弱いモンスターが出現している。一般の町の人は危険には近づかないようにしているが、腕に覚えのある者は依頼を受けて討伐に向かったり、狩りとしてレジャーにしていたりする。

 近所の森は本当に弱い初心者向けなので、10歳になったミリエルは連れていってもらえることになったのだ。

 楽しみにしていたのに忘れていた。変な声のせいで。


『あの女も知っているぞ。俺の攻撃をバリアで防いだ神官だ』

「そりゃ知ってるでしょうね」


 有名人を知っているからと言ってそれが何だと言うのだろうか。

 子供の年代ならともかく、大人の年代で勇者の一行を知らない者はいないだろうと思う、多分。

 もしかして、声の主もミリエルより年上の大人なのかもしれないが、そんな大人は王都には五万といるし学園にも大人は大勢いる。正体を掴む手がかりの足しにはならない。

 ミリエルはそれ以上余計なことを考えるのは止めておいた。


 父と母と一言二言喋り、手を洗ってから自分の部屋に向かう。

 ドアを開けて部屋に入ってしっかりと入ってきたドアを閉めて、鞄を置いた。


「ふう…………」

『あのクレイブがああなるとはな。人は変わるものだな』


 案の定というか、声はやっぱりついてきていた。


「あんた、いつまでわたしについてくるの?」

『さあな』

「さあなって……ここわたしの部屋なんだけど」

『ここがお前の部屋か。悪くはないと思うぞ』

「あっそう」


 どうやら気にするだけ無駄のようだ。ミリエルはあきらめてため息を吐いた。


「どうでもいけど面倒は起こさないでよね」

『ああ、俺としても今のあいつらに興味がある。しばらく様子を見させてもらうことにしよう』

「まったく…………」


 本当なら両親に頼んでこの悪魔を祓ってもらった方がいいのかもしれないが、もう今日はいろいろあって疲れていたし、余計な藪を突いて蛇が出ても困る。

 また部室であったような騒ぎをこの家で起こしたくはない。

 シズカ先輩の言った魔女裁判の話も気になっていたし、これからの予定を覆されたくもない。

 おとなしくしてくれるなら今日はそれでいい。魔術を勉強しているネネの言ったように悪魔なら浄化されるかもしれないし、そのうち飽きてどこかへ行ってくれるかもしれない。

 ミリエルは諦めて着替えようと制服の胸元のボタンを外しかけて気が付いた。


「見ないでよね」

『は? 何をだ?』

「…………」


 声が本当に気が付いていないように聞こえてミリエルは少しムッとする。

 急ぎ足でカーテンをしっかりと閉めて、ドアもしっかりと閉まっていることを確認し、部屋のランプの方を見た。まだ付けていないので消す必要は無かった。

 声が訝し気に訊いてくる。


『お前、何かするつもりなのか? 魔術の儀式か? お前が見るなと言うなら目をつぶって完成を楽しみにしてやるぞ』

「これから着替えるから見るなと言ってるの」

『なんだそんなことか』


 そんなこととは何だーーーー!

 下に両親がいるのに叫びそうになるのを慌てて堪えた。ミリエルの中で声がする。


『俺を常識知らずと思うのは止めろ。魔族にも女はいるのだぞ。あの時は言い寄られて困ったものだ』

「たとえ魔族でもあんたに言い寄る女がいるのが信じられないよ」

『まったくだ。付き合ってやっても何も楽しいことは無かった。お前の父のクレイブの方がよっぽど俺を楽しませてくれたぞ。付き合うならああいう面白い奴がいいな。ほら、目をつぶったぞ』

「…………」


 つぶったぞと言われてもミリエルに確認する手段は何も無かった。ただ無言で時が過ぎてしまう。もう構うだけ無駄に思えてきてしまった。

 ミリエルは布団から薄い毛布だけを摘まんで取ると、それを肩から羽織って着替えることにした。


『お前、変わったことするな』

「見てるんじゃない!」

『お前が怪しい動きをするからだ。着替えるならこうマントをバサーッとやっただけで着替えられないか? あるいは闇の炎をドバーッと身に纏って。なんなら手伝ってやろうか?』

「結構です」


 ミリエルは素早く着替え終わって、毛布を布団に戻した。


『で、儀式はせぬのか?』

「しません」


 また変に調子に乗らせてこの部屋を部室のように乱されたら困ってしまう。

 あの時はネネと先輩の温情に救われたが、親にまで迷惑を掛けたくない。今日はもう余計な行動は控えることにする。


「明日遊ぶなら今日のうちに宿題をしておかなくちゃいけないしね」


 ミリエルは椅子に座って鞄を開けて気が付いた。シズカ先輩から本を戴いていたことに。

 魔術のことは詳しくないが、せっかくなので読むことにした。目を通しておけば次に学校に行った時にネネとの話の種になるだろう。

 そう軽い気持ちで読み始めたのだが……すぐに参ってしまった。


「何これ、難しい……」

『なかなか興味深いことが載ってるな。人間にも賢い者がいるのだな』

「何が書いてあるのか分かるの?」

『理解は出来る。だが、ここは直した方がいいな。ここをこう……』


 ミリエルは本を閉じた。


『なぜ閉じる。まだ読み始めたばかりだろう?』

「いいの。そんなことより学校の勉強をしなくちゃ。余計なこと教えないでよ」

『ふむ、分かった。お前と歩みを同じくするのもまた一興だろう』


 ミリエルは晩御飯に呼ばれるまで熱心に勉強していった。

 ご飯を食べている間は声のことは気にしないようにして両親といつも通りに過ごした。

 また困ったことになったのは風呂に入る時だった。


「見ないでよ」

『お前はどれだけ自分に自信を持っているのだ。お前の年頃ならまだ親と一緒に入る年齢だろう。自分の年を考えろよ。やれやれ』


 やれやれと言いたいのはこっちの方だった。それにもう親とは一緒に入っていません。


『ほら、目をつぶったぞ』

「…………」


 呆れたように言われてしまう。困っているのはこっちなのに。

 ミリエルは雑念を振り捨て素早く体にタオルを巻いて風呂に入ることにした。


 控えめとは言っても貴族の邸宅。屋敷の風呂はそれなりの広さがある。

 浴室に入ってミリエルは外からの視線を気にしなくていいように、いつもは親が気分で入れている入浴剤を自分で入れることにした。

 お湯が少し白く濁り、湯気が多めに漂った。これでどこかから監視されていたとしてもそうそう見える物では無いだろう。

 ミリエルは風呂でくつろぎながら、今日を一緒に過ごしてきた自分の中の声に話しかけた。


「あんたって何才なの?」


 ちょっと気になっていた疑問だ。父や母のことを知っていることから自分より年上か大人だろうとは思うのだが。

 声は答えてきた。ミリエルの疑問に質問で。


『俺の年齢を訊きたいのか?』

「うん、訊きたい」

『それは秘密だ』

「秘密って、ねえ」


 別に無理に聞き出そうとまでは思っていない。軽い質問だ。お互いに話を終わらせてミリエルが手でお湯を掬っていると声が言葉を続けてきた。


『前に女に訊ねた時に言われたのだ。年齢のことはお互いに言わない方がいいとな』

「ふーん、そういうものか」


 女の知り合いからそう忠告されたのだったらそういうものなのかもしれない。

 それよりもだ。

 前にも小耳に挟んだが、どうやら謎の声の主は女の知り合いがいるらしい。それは新しい収穫だった。ちょっと面白くないことだけど。


「あんたって女の人の知り合いがいるのね」

『ああ、ただの知り合いだけどな。お前だって異性の知り合いぐらいいるだろう』

「ああ、いるね」


 ゆったりした気分でくつろぐ。お湯が気持ちよかった。

 明日は父と一緒に狩りに行く約束がある。

 ミリエルは今日のところは無理をせず、風呂から上がって着替えてから、学校の宿題だけを片付けて休むことにした。

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