第56話

 昼休みを迎え、満達は理科室に集まり今日のクラスの有り様について話をしようという事になった。しかし、集まったはいいが皆の口数は少ない。西之原も矢上も、満と同じように「これで良かったのか」という疑問の自問自答に精神的に疲弊していたのだ。特に松村は大島の変貌に責任を感じているのか、いつもの明るい表情を見せてくれる事はなかった。


 やってしまった事は仕方がない。

 満の脳裏にはそんな言葉がここ二日の間に何度も浮かんだ。

 それは主に悪事を働いたりミスを犯した人間が辿り着く思考である。その言葉が浮かんだという事は、それは即ち満達はミスを犯した、あるいは後悔をしているという事に他ならない。


 満達が目指していたのは、里中の撃退ではなくクラス内の平和のはずであった。満達は里中の撃退とクラス内の平和は同義だと思っていたが、結果的にそうではなかったのだ。良かれと思ってやった事が悪い結果を生むことは珍しい事ではない。しかし、まだ幼さの残る四人にとっては、その事実をうまく飲み込む事ができないでいる。


「もう、どうしようもないんじゃないかな。私達には……」

 矢上の呟きが、満達の思考を緩やかに止めた。

 諦めの感情により、オーバーヒートしそうであった満の脳はようやく休息を得ようとしていた。


「でも、俺のせいで大島さん達が……」

 しかし松村が抱いている罪悪感は、まだ松村に休息を与えてはくれないようだ。


「だから、それはまっちゃんだけのせいじゃないって。それも含めて矢上はどうしようもないって言ってるんじゃないか」

 西之原の言葉に矢上は頷くが、松村は更に言葉を続ける。


「今からでも他の先生に相談できないかな?」

 それについては満も松村と同じ事を考えてはいた。

 もし今の現状を満達が他の先生に相談をしたとして、その話を信用して貰えたとしよう。もしうまくいけば大人達の力で里中は学校から追い出され、楠原達から大島達の動画を取り上げる事ができるかもしれない。そして五年一組には新しい担任が割り当てられ、クラス内に秩序が戻る可能性はある。


 しかし、しかしだ。

 それを実行する事によるデメリットもある。

 一つは大島達の裸の動画の存在が大人達に認識される事である。それは大島達にとって良い事ではないだろう。そして楠原達が口裏を合わせれば、動画の件を大人達に隠蔽する事は難しくはない。大島達の口を封じるのも、動画の公開をチラつかせれば容易い事である。共倒れするとしても、より大きなダメージを受けるのは大島達だ。動画の公開は楠原達にとっても諸刃の剣であるし、本気でネットに流すなどという事はしないとは思うが、それでも万が一という事もある。

 そしてもう一つのデメリットは、満達が楠原達を敵に回す事になるという事だ。大人達が動けば、楠原達はそれが満達のせいであるという事に気付くであろう。なぜならクラスの大半は今のクラスの現状を楽しんでいるし、大島達は動画という生命線を握られている以上下手に動くはずはない。であれば、大人達を動かしたのは河野などの現状に割りを食っている生徒か満達という事になる。

 楠原は性格上、自らに敵意を見せた相手に容赦はしないだろう。そうなれば楠原は数にものを言わせて満達に大島達にしたような事を仕掛けてくるかもしれない。


 満がその事を話すと、三人はまた頭を抱えた。


 五里霧中。

 今の満達にはその言葉がぴったりと当てはまっている。


「りゅうちゃんだったら、こんな時どうするかな」

 西之原が呟き、満は一昨日の敷島の言葉を思い出す。敷島は大島達などどうでもいいと言っていた。そして里中への復讐を考えていると。そして満はそれに手を貸すと言ってしまった。西之原達はきっとそれに参加しないだろう。そして敷島はもしかすれば大島達にも危害を加えようとするかもしれない。


 満はクラスメイト達の事も、敷島の事も、そして自分が何をすれば良いのかも、何も分かっていなかった。全てを投げ出して、今はただ本でも読みたいと思った。できる事なら保志香の隣で。


 しかしどれだけ逃げ出したくても、現実は今目の前にある。


 沼だ。

 満は自らが底なし沼に呑まれていくのを確かに感じていた。

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