28:走れ!!!

 ◆   ◆


「何ですって!? どうしてまだ白雪姫が生きているというのよ! 狩人め、確実に息の根を止めろと言ったのに、裏切ったわね!? ええい、忌々しい! こうなったら私が直接あの娘を葬ってやるわ!」


 元気のない乃亜を連れて視聴覚室から戻った後も、一年一組の教室では引き続き劇の練習が行われていた。


 机を前方に寄せて、空いたスペースに椅子を並べて輪を作り、王妃役の江口さんが輪の中心で大げさなポーズを取っている。


 自分から王妃役に立候補しただけあって、江口さんの熱演ぶりは見事だった。

 ここにハンカチがあったら噛み千切って白雪姫の生存を悔しがっていたかもしれない。


「そうだ、毒りんごを作りましょう! 白雪姫に食べさせてやるの!」

 鏡役の女子生徒の前で、いっひっひ、と江口さんが不気味に笑う。 

 

 江口さんたちと入れ替わりに、今度は白雪姫役の吉住が輪の中心に立ち、小人たちと楽しく暮らしている様子が演じられていく。


 ただし小人E役の幸太はいない。

 彼はまだ視聴覚室から帰ってこない。

 有栖先輩たちと何をしているんだろう。

 結局、有栖先輩におれが呼ばれた理由もよくわからなかった。


「…………」

 王子役として椅子に座り、皆の演技を見守っているものの、正直暇である。


 王子の登場は終盤。

 毒リンゴによって眠ってしまった白雪姫をキスで目覚めさせる役割だ。


 もちろんキスと言っても当然フリだけ。

 乃亜に変なやきもちを焼かれては困る。


 顔の向きは吉住に固定したまま、おれは目だけ動かして乃亜を見た。


 二学期の途中から転入してきた彼女は小道具係となり、教室の一角で、小道具係のメンバーに混ざって毒りんごを作っていた。


 青ざめた、浮かない顔で丸い球体を赤く塗っている。


 さっきから様子がおかしい。

 有栖先輩は違うと否定したが、やっぱり野々原がまた乃亜に何かしたのではないだろうか。


 この一週間、乃亜は陰で野々原に虐められていたという。

 野々原はおれのことが好きで、恋人になった乃亜のことが許せず、酷い嫌がらせをした。


 乃亜は学校でもアパートでも、すれ違う度に嫌味を言われ、小突かれ、別れろと迫られたそうだ。


 許せない。そんな奴だとは思わなかった。


 おれに手料理を振る舞い、共に過ごした日々を思い返すと、果たして本当に野々原はそんな奴だったかと、時折泡に似た疑惑が浮かぶこともあるが、


 乃亜は何よりも大事なおれの恋人だ。疑うなどとんでもない。

 乃亜の言うことだけを素直に信じればいい。


 だから、野々原は敵だ。

 乃亜を虐める最低最悪な、憎むべき敵。それでいい――それでいいって、どういうことだ?


 これではまるで、納得いかないのに必死で言い聞かせているかのようじゃないか?


「…………」

 また思考にノイズが走った。

 野々原のことを考えると、どうも落ち着かない。


 彼女が流した涙を思い出すと苛々する。

 わけのわからない焦燥感に駆られ、大声で喚き散らし、目につくものを手当たり次第に破壊したくなる――


「たーくまっ」

 なんだか妙に浮かれた声で名前を呼ばれ、肩を掴まれた。

 はっとして顔を上げれば、ニコニコしながら幸太がおれの傍に立っている。


 幸太は左手に一冊の本を抱えていた。

 この表紙は、不思議の国のアリス?


 こいつが童話を読むとは。意外だ。


「……何だよ」

 そもそもいつ戻って来たのか。

 思考に没頭しすぎていたらしく、全く気付かなかった。


「いいからちょっとこっち来て。ごめーん、度々王子様を抜けさせて悪いけど、急用でさ! ちょっと借りるなー」

「は? なんで――」


「うん、いいよー」

「いってらー」

 突然の申し出にも関わらず、あっさり他の出演者たちの了承を得られるあたり、社交性の高さが窺える。


 こいつは昔からそういう奴だ。愛嬌と明るい話術で、あっという間に人の心を掴んでしまう。そこら辺は有栖先輩に似ていた。


 幸太はおれの抗議を無視して、おれの手を掴み、開きっぱなしの扉へ向かった。

 教室を出る前、視線を感じて振り返ると、乃亜がこちらを見ていた。


 顔色がますます悪くなっている。青を通り越して白い。

 何かを心配しているらしい彼女に、手を振ってみせる。


 用件は知らないが、幸太がおれを害することはまずありえない。だから心配することはない。その意思を笑顔に込めた。


 幸太はおれの手を引いて、教室の真横で止まった。

 てっきりどこか、屋上か人気のない場所まで連れて行かれると思っていたので拍子抜けした。


 廊下では文化祭準備中の生徒たちが作業していたり、固まって談笑したりしている。

 段ボールを抱えた男子生徒がちょうど前を通り過ぎていった。


「はい。これ読んで」

 教室と廊下を隔てる壁際に寄り、幸太は手に持っていた本を差し出してきた。

 よく見れば、不思議の国のアリスのイラストが描かれているものの、タイトルは『DIARY』――日記帳だった。


「なにこれ。お前の?」

 眉根を寄せる。


「まさか。日記なんて書くかよ、面倒くせえ。これはののっちの日記帳だよ。お前への愛がたっぷり詰まった、な」

 事前に目を通したのか、幸太は笑っているが。

 野々原の名前が出た瞬間、おれは日記帳を押し返した。


「要らねえよ。なんであいつの日記帳なんて読まなきゃならねえんだよ。しかもおれへの愛って、気持ち悪――いてっ!?」

 言い終わる前に、べしっと頭を叩かれた。


「いいからつべこべ言わずに読め。いますぐ。でなきゃ幼稚園からの縁もこれまでだ」

「………………」

 わけがわからない。

 だが、幸太の目は本気だった。


 仕方なくページを開くと、ボールペンで書かれた野々原の文字が目に飛び込んできた。



『6月7日(金)

 体育祭で拓馬がレモンのハチミツ漬けを食べてくれましたー!

 超嬉しい♪ 作って良かった!

 実はお弁当も作ってたんだけど、食べてもらえず仕舞いに終わった。

 残念。またいつかリベンジしたい。

 朝は体育祭なんて、と思ってたけど、今日は素晴らしい日になった!

 拓馬が私を一位にしてくれた! 一位だよ快挙だよ信じられない!

 もはや人生で最高の日と言っても過言じゃない。

 私はきっとこの日を一生忘れない。

 拓馬、ありがとう。

 前世から好きだったけど、今日もっと好きになりました』


(中略)


『7月3日(水)

 期末テスト終了記念ということで、夕食は拓馬の好きなオムライスを作った。

 ケチャップでハートを描こうかと思ったけど我慢(笑)

 から揚げも大好評だった♪

 から揚げって油の処理が面倒だから嫌なんだよね。

 でも拓馬が美味しいって笑ってくれるんなら何でも頑張るよ。張り切るよ!

 ねえ拓馬、なんで美味しいかわかる?

 私の愛がたっぷり入ってるからだよ、なーんて。

 いつかこの気持ちに気づいてくれると嬉しいな。

 でも私はモブだからな。

 ヒロインみたいに可愛くないし、やっぱり無理かな。

 大福はいつも意地悪なことを言う。何をしても無駄だって。

 でも好きだもん。拓馬のこと、誰よりも好きだよ! 愛してる!』


(中略)


『8月13日(火)

 アパートの屋上で天体観測をした。

 なんと拓馬から誘われました♪

 ラムネで拓馬と乾杯した。びっくりするほど美味しかった。

 星を見上げる拓馬の横顔もびっくりするほど綺麗だった。

 ドラマでよく見る「星よりも君のほうが綺麗だよ」ってやつ、あれって対象が男性でもありなのよ。勉強になるね!

 なんなの拓馬って天然記念物なの? 絶滅危惧種なの? いやこれは違うか。

 流れ星が流れてる間に三回も唱えられないって拓馬は文句を言ってたけど、何を願ってたんだろう。気になる。

 私の願いはずっと拓馬と一緒にいること。それだけ。

 でも拓馬は乃亜のことが好きなのかな。

 やっぱり私じゃダメなのかな』


(中略)


『9月10日(火)

 拓馬にフラれた。気持ち悪いと言われました。

 もう日記を書くのはこれで終わりにする。

 さよなら。大好きでした』



 9月10日の日記は泣きながら書いていたらしく、文字がところどころ滲んでいた。

 どんなにめくっても、それ以降のページは白紙だ。


 おれは無言で日記帳を閉じた。


「感想は?」

 表情の変化から何かを察したらしく、幸太は不敵に笑った。


「……思い出した」

 大福とか、モブとかヒロインとか、ところどころよくわからない単語が出てきたが、そんなの些末事だ。


 日記帳から伝わって来たのは、痛いくらいにストレートな、悠理の気持ち。


 ――ねえ拓馬。好きだよ。


 これまで何度も見てきたあいつの笑顔が、鮮やかに脳裏に浮かんだ。


 ――大好き。愛してるの。


 いつだって手の込んだ料理を作り、態度や言動で好意を示してくれた少女が、文章を通して、強く強く、おれの心に訴えかけてきた。


 ――ずっと傍にいたい。誰よりも、あなたの傍にいたいの。


 悠理の真心はおれに流れ込み、呼応するように、おれの真心が――押し潰されていた感情の芽が次々と芽吹いていった。


 それらはたちまち花開き、おれの心を埋め尽くして、嘘に塗れた現実を塗り替えていった。


 まさに夢から覚めた気分だ。何故こんな夢を見ていたのだろう。

 いまならはっきりわかる。断言できる。


「おれが好きなのは悠理だ。乃亜じゃない」

「よっしゃあ!!」

 幸太が満面の笑みでガッツポーズを決めた。


「ののっちは視聴覚室だ、行ってこい!!」

 幸太に思いっきり背中を押されて、おれは全速力で走り出した。


 ――あなたのことがずっと好きだった。アパートで初めて出会ったときから、ずっと……ずっと好きでした。


 悠理はそう言ってくれたのに、おれは酷い言葉を返した。

 呼び捨てにするなと怒り、気持ち悪いと詰って、悠理を泣かせた。

 さっきも疑って、冷たくして、また傷つけた。


 手を強く握る。爪が皮膚を突き破るほど強く。

 何故あんなことを言ってしまったのだろう。自己嫌悪で死にたくなる。


 謝れば許してくれるだろうか。


 あいつはまだ、おれを待っていてくれるだろうか。

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