14:VSストーカー

 昼休憩こそ笑っていた由香ちゃんだけど、午後の授業が進むにつれてその顔は暗くなっていった。

 口数も少なくなり、返事もどこか上の空。


 拓馬の凄さを思い知る。私は何を言っても、由香ちゃんを大笑いさせることなんてできなかった。


 気を揉んでいる間にも授業は進み、刻一刻と時は流れ、ついに迎えた放課後。

 私たち四人は屋上に続く扉の前にいた。


 今日は一年も二年も同じ七時限で終わる水曜日。

 私のクラスのホームルームが長めだったから、井田先輩は既に待っているはず。

 屋上への呼び出しは昼休憩時に済ませている。


「私と幸太くんはここで見守ってるから。何かあったらすぐ助けに行くからね」

「うん。心強いよ、ありがとう」

 由香ちゃんは笑ったけれど、私が握るその両手は震えていた。

 胸の中は対決への不安でいっぱいだろう。

 これまで受けたストーカー被害の数々を思い出しているのかもしれない。


 生徒手帳を拾った日から、井田先輩は毎朝駅で由香ちゃんを待ち伏せし、話しかけてきたそうだ。

 酷いときは登校中ずっと、昇降口で別れるまで離れない。


 それが嫌で親に頼み込み、この数日車で送ってもらえば下駄箱への手紙攻撃。

 好きでもない相手につきまとわれるなんて、相当に怖かったはずだ。


「……拓馬さあ」

「もう決めたんだから何も言うな」

 幸太くんが何か言いかけたのを、拓馬は一瞥もせずに封じた。

 幸太くんは黙ったものの、不満がありありと見て取れる。


「?」

 いまのやり取りはどういう意味だと問いただす前に、

「行こう、由香」

 拓馬が笑顔で由香ちゃんに手を差し伸べた。

 登場時から恋人になりきるつもりらしい。


「う、うん……拓馬?」

 名前で呼んでいいのかなあ、という顔で由香ちゃんが私を見る。

 私が頷くと、由香ちゃんは拓馬の手を取り、二人は扉を開けて屋上へ踏み出した。


 疑問を飲み込んで、私は開け放たれたままの扉の陰に幸太くんと隠れ、様子を窺った。


「中村さ……」

 向かって左手。

 給水塔から二メートルほどの場所に立ち、嬉しそうな声を発したのは、小太りで丸顔の男子だった。


 それなりの時間を日の照る夏の屋上で過ごしていたらしく、額には大粒の滴が浮かび、首筋まで濡れている。


「……誰だ? 貴様。何でボクの中村さんと手を繋いでいる」

 井田先輩は拓馬を見るなり表情を一変させ、鼻息荒く詰め寄った。


「初めまして、井田先輩。由香と同じクラスの黒瀬といいます。お会いできて光栄です」

 拓馬は慇懃無礼に頭を下げる。


「由香からあなたの話を聞いて、これ以上彼女に付きまとうのを止めて欲しいとお願いしに来ました。はっきり言って迷惑です。ご覧の通り、由香はおれの彼女なので。今後『ボクの中村さん』なんて言葉はたとえ寝てても言わないでくださいね」

 拓馬は繋いでいた手を離し、由香ちゃんの肩を引き寄せ、爽やかに笑った。


「か、か、彼女だとっ!? どういうことだ、貴様! ボクの女神を誑かしたのか!」

 井田先輩は口角から唾を飛ばして拓馬の胸倉を掴み上げた。

 由香ちゃんが小さな悲鳴をあげ、私も息を呑む。

 拓馬は動じず、手の動作で由香ちゃんに下がるよう指示した。


「誑かすなんて人聞きの悪い。想いが通じ合った結果、自然と付き合うようになっただけですよ。由香は女神でも何でもない。ごく普通の人間です。勝手なイメージを押しつけられる由香の身にも――」

 がつんっ、という鈍い音。

 井田先輩が問答無用とばかりに拓馬の右頬を殴りつけたのだ。


 拓馬はその場から一歩も動かず、衝撃のまま左を向き、再び前を向いた。

 右の下唇に赤いものが滲んでいる。

 話す途中で殴られたから唇を切ったのだろう。


 ――なんてことを!

 私は口を手で覆った。


「彼氏ヅラして偉そうに説教するなっ!」

「いや、だから彼氏なんですって」

 殴られたことなどなかったように、拓馬がきっぱり言い返す。

 その落ち着いた態度が癇に障ったらしく、井田先輩は激高した。


「うるさああいっ! ちょっと顔がいいからって調子に乗るなっ! ボクから彼女を奪うなんて許さないぞ! 純粋無垢で清らかな女神を惑わせる悪魔め、ボクがこの手で粛清してくれる――!」

 目を血走らせ、井田先輩は拓馬の首を両手で鷲掴みにした。

 さすがにこれには拓馬も抵抗を示し、井田先輩の腕を掴んで引きはがそうとする。


「止めて!!」

 由香ちゃんが必死の形相で井田先輩の腕にむしゃぶりつき、私も幸太くんも堪らず屋上へ飛び出した。


「邪魔するな!!」

「あっ」

 井田先輩は由香ちゃんの手を乱暴に振りほどき、尻餅をつかせた。


 再び井田先輩が拓馬にその魔手を伸ばそうとした刹那。


 給水塔の方角から目に止まらぬ速さで人影が走ってきて、井田先輩を蹴り飛ばした。


 えっ?


 井田先輩は吹っ飛び、もんどりうって倒れた。


 唖然として見れば、井田先輩がいた場所に陸先輩が立っている。

 陸先輩はゴミでも見るような目で悶絶している井田先輩を見た後、拓馬に顔を向けた。


「拓馬」

「大丈夫です。唇を切っただけ」

 拓馬は頬を隠すように押さえ、ひらひらと手を振った。


「……無茶をする」

 陸先輩がため息をつく。

 その頃には私も現場に着いていた。


「大丈夫!?」

 私は拓馬を案じながらも、由香ちゃんに手を貸し、立たせた。


「私は大丈夫……それより、黒瀬くんが」

 潤んだ目で由香ちゃんが拓馬を見る。


「平気平気。むしろ殴られることまで含めて作戦通り。こんなにうまくいくとは思わなかったな」

「オレは反対したぞ。陸先輩も」

 あくまで余裕の態度を崩さない拓馬に、幸太くんは不機嫌そうだ。


「知ってるよ。でもこれが一番手っ取り早い」

 拓馬が宥めるように幸太くんの肩を叩き、給水塔のほうを見る。


「有栖先輩。良い画は撮れましたか?」


「うん、ばっちり。拓馬が身体を張ってくれたおかげでね」

 給水塔の陰から有栖先輩が現れ、自身のスマホを掲げてみせた。


「……有栖先輩……」

 私は眩暈を覚えた。

 拓馬が殴られることまで含めて、最初から全部計算のうちだったのだ。


「どうして赤嶺先輩がここに……白石先輩まで……」

 由香ちゃんは困惑している。

 有栖先輩は学校の王子様、超がつくほどの有名人。

 彼を崇拝する生徒は多く、校内にはファンクラブまである。


 ちなみに陸先輩も相当にモテる。あまりに有栖先輩のファンが多すぎて影に隠れてしまっているだけで。


「やあ、はじめまして中村さん」

 由香ちゃんの呟きが耳に届いたらしく、有栖先輩は友好的に笑った。


「可愛い後輩たちから協力要請を受けてね。まあ僕がここにいる理由なんてどうでもいいでしょう? いま問題にすべきはそこで無様に這い蹲ってる豚だよ」

 豚っ!?

 ナチュラルな毒舌に仰天した。

 有栖先輩は笑顔の裏で激怒しているらしい。


「部外者が出しゃばって申し訳ないけれど、後は僕に任せてもらえないかな? 決して悪いようにはしないから」

「も、もちろんです」


 品行方正で、どんな時も優等生の仮面を崩さない学園の絶対的アイドルが同級生を豚呼ばわりしたことに恐怖を覚えたらしく、由香ちゃんは青い顔で何度も首を縦に振った。


「ありがとう」

「保健室行かなくて大丈夫?」

 有栖先輩が微笑む一方、私は拓馬に尋ねた。


「後で行く。どうなるのか見届けたいし」

「そう」

 頬の具合は心配だったけれど、拓馬の気持ちもわかる。

 私はおとなしく引き下がり、口をつぐんで成り行きを見守ることにした。

 もう私の出る幕はない。

 これからは有栖先輩の独擅場どくせんじょうだ。

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