プランナイン・フロム・アウターヘル(下)
地獄の門の番人のように、男は静かに一歩前に進み出た。
「あれが
カザンが呟くと、男は静かな微笑みを浮かべた。
色素の薄い髪と瞳、学者然とした出で立ちから、狂気は読み取れない。
ナインは視線だけを動かし、ふたりのキラーズを見比べた。
「アルバか。そちらは?」
「
ナインは表情を変えず、小さく溜息をついた。
「ウッド村か……まさに死人の村だ。死人を食い物にしているという点じゃない。とっくのとうに村として限界を迎えているのに、それに気づいていないように振舞っていることが、だ。」
カザンが斧の柄を握る手に力を込め、アルバが視線でそれを制する。
ナインが一歩前に進み出し、扉がいななくような音を立てて閉まる。
「キラーズが戦場から解放される条件は、問題に決着がつくことだ。その形は問わない。私がこうして残っているということは、私のやり方で決着をつけることも世界が容認していることの証明だ」
庭の死人たちが虚ろな目でナインを仰ぎ見る。
アルバが囁いた。
「あいつを殺れば死人たちは動かなくなる。俺が合図したら、畳み掛けるぞ」
カザンはわずかに顎を引いて頷いた。
「死人たちは悍ましかっただろう。永遠の眠りを夢見て葬った隣人たちが、牙を剥いて襲いかかってくると思えば、誰もが恐れる。無闇に死者を生み出す戦争は起こさない。そういう平和もあると思わないか?」
「なぁにが平和だ、変態軍医。俺の部下皆殺しにしやがって。自分の趣味だろうが」
アルバは、墓土で汚れた軍服の切れ端を掲げた。
ナインは一瞬首をかしげると、凶暴な笑みを浮かべた。
「部下の名前はちゃんと覚えていたらしい。では、髪の色は? 瞳の色は? 胸に剣の刺青を入れていたのは誰だか覚えているか?」
背後で轟音が響いた。
地面が揺れ、アルバとカザンは後ろに飛び退った。
大地が震え、割れて隆起した土が膨れ上がり、形を作る。
「くそったれ……」
アルバが唇を噛み締めて呟いた。
巨人がそこに立っていた。
無惨に縫い合わされた傷口から血と膿を滴らせ、体表から無数の目と腕と足が突き出した歪な巨人が、蒸気を吹き上げてゆっくりと起き上がる。
「感動の再会だな」
ナインが呟いた。
アルバがサーベルに手をかけるより早く、巨人が拳を振り下ろした。
地面を転がって回避したカザンが先ほどまでいた場所を巨大な腕が貫き、地面が陥没する。
カザンは斧を拾って、何とか立ち上がった。
巨人が、土も地に伏していた死者たちも見境なく叩き潰していく。
アルバは未だにサーベルの柄に手をかけたまま、呆然と立ち尽くしていた。
「アルバ! 聞こえるか! こっちは俺がやる!お前はナインを殺れ!」
アルバはその声に目を見開くと、抜刀した。
土煙が巻き上がり、突風が駆け抜ける。
軍服の裾を翻し、振り抜いた剣先は、ナインの前に立ちはだかった死人たちの肉に食い込んだ。
「くそっ……」
襲いかかる手をすり抜け、アルバは洋館の壁を蹴ると、回転する勢いで死人の首を一閃した。
「アルバ、後ろだ!」
着地の瞬間、背後から巨大な影が迫る。
巨人が腐臭を撒き散らしながら、アルバの影を押し潰した。
凄まじい音と黒煙と共に、洋館の壁が砕け散る。
衝撃で縫い目が破れ、崩れた巨人の身体の一部から、腐った内臓と毛髪の束が零れ落ちた。
瓦礫の中から身を起こしたアルバが、血を吐いて膝をつく。
巨人の無数の目が、自分の腕に剥がれた壁が手枷のようにはまっているのを眺め、次にアルバに焦点を見下ろした。
巨人が瓦礫ごと腕を振り下ろす。
アルバに衝突する前に、割って入った影を、拳が吹き飛ばした。
腹が抉れ、赤い肉と肋骨が剥き出しになったカザンが、斧に縋るように立っていた。
「お前の相手は俺だろ……」
カザンの腹の肉が形を戻そうと蠢き、石の破片と腸が零れ落ちた。
アルバも唇の端を拭って立ち上がる。
ふたりのキラーズは獲物を携え、背中合わせに構えた。
死人たちが、腐りかけた身体を引きずりながら、ゆっくりと迫っていた。
ナインが指先で合図をしたと同時に、死者が襲いかかった。
アルバが無数の死人たちを薙ぎ払い、カザンが巨人の攻撃を防ぐ。
「埒が開かねえ!」
忌々しげに吐き捨てるアルバが、口を開けて飛びかかった死者の上顎を切り飛ばし、歯と血膿がどろりと糸を引く。
膠着した戦場を見下ろしながら、ナインは言った。
「降伏するか? お前たちが正式に公国への敗北を認めれば……」
言葉の代わりに、くぐもった呻きが続いた。
死人たちが動きを止める。
ナインの脇腹に、細いナイフの柄が突き刺さっていた。
当惑した表情で傷口を抑えながら、ナインは顔を上げた。
視線の先には、血で手を濡らしたフランが蒼白な顔で立っていた。
ふらつく足取りで一歩後退り、彼女は言った。
「何が平和よ、何が死人の村よ……貧しかったけれど、外のひとに言えないこともしていたけど、お前が来るまでは、みんな……生きていたのに……」
ナインが口元を抑え、その指の間から血が滴る。乾いた音を立ててナイフが落ちた。
片手で傷口を塞いだまま、ナインが震える手をかざすと、死人たちが一斉にフランに向かって歩み出した。
「アルバ、彼女を!」
亡者たちの手がフランを捕らえるより早く、アルバが彼女を抱えて後方へ跳ぶ。
それと同時にカザンが駆け出した。
カザンの腕が、ナインの襟首を掴む。
振りかぶった斧の先を死人が抑えた。
死者がふたりを搔き消すように群がった。
斧と共に引き抜かれたカザンの左手が飛ぶ。
アルバの腕の中でフランが目を覆った。
死人たちはカザンを貪りながら、館の奥の墓穴へ歩みを進めていく。
それに抗いながら徐々に肉を引きちぎられるカザンに、ナインは口の端から血を流して言った。
「死者は私を襲わないぞ。お前がすり潰されるのが早い」
死人の指がカザンの眼窩に伸び、眼球を潰す。
「アルバ!」
カザンが叫んだ。
「銃を寄越せ!」
言い終わる前にカザンの下顎を死人が毟り取る。
アルバがベルトから銃を引き抜き、真っ直ぐに放った。
亡者の背の間から突き出されたカザンの腕が、それを掴んだ。
カザンは銃床で死者たちを殴りつけ、筒を咥えると、残った腕でナインを掴み、墓穴に飛んだ。
落下したふたりを追うように、死人たちが雪崩れ込む。
土と屍肉が降り注ぐ穴底で、カザンは火薬の袋を破り、片手で筒に込めた。
眼窩から血を流し、無理やり笑みを作って言う。
「死霊術師と不死王、どっちが固いか勝負だ」
カザンは引き金を引いた。
死人たちのガスに引火した火薬が炸裂する。
轟音と爆炎が穴から噴出し、すべてを焼き尽くした。
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