ライフ・アフター・デス

 鼓膜を舐るような雨の音でフランは目を覚ました。


 雇ったキラーズの監督役という名目で、ひと晩村長の家に泊まることになったが、疲れ果てていたはずなのに神経が昂ぶって眠れない。

 しばらくシーツの下の藁が頬を刺す感覚に身を預けていたが、闇の中を這うように細い煙が漂ってきたのに気づき、フランは寝台から起き上がった。



 煙を辿ると、蝋燭の明かりだけが虚しく光る客間の机の上で、カザンが紙巻を手に座っていた。

 もう片方の手にはナイフが握られ、紙巻を持った腕の上部を削るように動かしている。自分の肉を削いでいる。


 思わずフランが息を飲むと、カザンは顔を上げた。

「起きてたのか」

「ごめんなさい….…」

「いいえ、嫌なとこを見せましたね」

 カザンは傷口に布を押し当てて止血すると、ナイフを鞘にしまった。


「あの、何をしていたんですか」

「傷口を整えてたんです。無理やり再生すると、肉がささくれたり、木屑を巻き込んだりして後が厄介なんですよ」

 ほら、と彼は小指の爪ほどの金属片を見せた。

「あの野郎。王都から高級品をもらってるくせに雑に使うもんだから破片だらけだ」

 カザンは苦笑して、テーブルにサーベルの欠片を投げた。森でもうひとりのキラーズに切り刻まれたときのものだ。


 早くも傷の消えた手で座るよう促され、フランは椅子を引き、机を挟んで向かい合った。

「キラーズというのは、」

 カザンが新しい紙巻に火をつけて言う。

「その世界での危機が消えれば、また別の世界に転生させられます。終わらせ方は何でもいい。例えば、革命が起こったとしますよね。反乱軍が鎮圧されて元通りになるか、逆に権力者が倒され、国が生まれ変わるか。共倒れで世界が破滅するのだけ防げれば、後はどちらでもいい」


 カザンは煙を吐いた。

「だから、王都と公国の戦争が終わったなら俺が呼ばれるはずがないんだ。でも、呼ばれた。あのキラーズもまだいる。だから、事態は収束してない……」

「終戦ではなく、休戦なんです」

 フランの言葉にカザンが片方の眉を吊り上げる。


「王都の方が圧倒的に強いんですが、公国にもキラーズがいて、戦争が長引いて……王都の兵士が小隊丸ごと逃げ出したんです」

「兵士が、逃亡?」

「はい……それで王都も参って、休戦になったんです」

 カザンは逡巡するように目を細めた。暗い目が闇の中で薄く浮かび上がり、視線から逃れるようにフランは俯いた。



 沈黙の重みに耐えかねたように、煙が上へと逃げていく。フランは机の木目を見つめたまま言った。


「あの、王都のキラーズって」

「会うのは初めてでも知ってはいます。最高の機動力を誇るキラーズ。“血濡れの兎”レッド・ラビット。兎はこの世界にもいるのかな。耳が長くて、赤い目で、動きが素早くて、穴を掘る生き物ですが……」

 フランは首を横に振った。

「目が赤くて素早いから、“兎”なんですか」

「ええ、穴も掘った。たくさんの墓穴を」

 不穏な言葉にフランは身を竦めた。


「彼は生前軍人だったそうです。一部隊を率いる隊長だったが、ある戦場で重傷を負った。あの目は頭に榴散弾を叩き込まれた名残だそうです––––、意識不明の間に部隊は捕虜になり、虐殺され、彼だけが生き残った。

 報復として、彼は仇を捕らえた後、穴を掘らせた。自分の墓穴を。そして、全員生き埋めにしたそうです。軍法会議にかけられ、最後は銃殺刑。

 だから、血濡れの兎」


 蝋燭の灯りが揺れる。

「キラーズになってからも、彼は必ず軍に所属しています。仲間への贖罪のつもりか、そうとしか生きられないのか––––」

 そのとき、窓の木枠を叩く軽い音がした。

 カザンは一瞬で椅子を蹴り、窓まで移動し、ナイフを構えた。

 窓の外は無人で、青白い光が差し込むだけだ。

 やがて、先ほどの音とともに針のような無数の雫が降り注いだ。


「雨、か」

 カザンは苦笑してナイフを収めたが、しばらく窓の外を眺めていた。

 フランも立ち上がり、その隣に佇むと、夜の雨で白く烟る森が見えた。あの針葉樹の間で、死人たちが蠢いているのだろうか。自分が置き去りにしてきた同じ村の仲間たちが。



「ここの使用人が言っていた、死人の村というのは……」

 墓標のようにそびえる木々の影を眺めながら、カザンが呟いた。

「ウッド村の主な産業はお墓を作ることなんです」

「それで、死人を食い物にする村と?」

「不吉な仕事ですから……周りの村もこの村には敬遠して近づきません」

 そう言って、フランは目を逸らした。

 カザンの白く筋張った首筋を、夜光が照らす。髪と同じ黒の上着の肩が、今日一日の戦闘で無惨に裂けていた。



「縫いましょうか。それ」

 カザンは少し驚いたように、指さされた服の裾を見た。

「構いませんよ、どうせまた裂けますから」

「いいんです」

 フランはスカートのポケットから裁縫道具を取り出した。

「こんなことになる前は針子だったんです。孤児なので、仕立て屋の女将さんが親代わりで。十二のときから働いていました。その女将さんも今回の騒動で……」


 カザンは少し迷うように俯いてから、上着を脱いで差し出した。

「汚いですが。鉄臭いでしょう」

 布は重く、砂と血潮の匂いがした。

「いえ、海みたいな匂いですね。子どもの頃一度見ただけですけれど……」

「そんないいものじゃないですよ」

 カザンは眉をひそめて苦笑した。

 内気な少年のような笑い方だった。

 この男が、本当に何人ものひとを殺したのだろうか。


「カザンさんは、おいくつなんですか」

 夜露の明かりを頼りに針に糸を通しながら、フランは言った。

「キラーズに年齢は関係ありませんよ。いくつで死のうと、体力が全盛期の青年の姿になる。でも、自分は二十三、四だったかな。五まではいってなかったはずですが」

 自分の享年を忘れるほど転生を繰り返したのだろうか。疑念を感じ取ったように、彼は続けた。


「二十過ぎたからずっと病院にいたんです。だんだんひどくなって、最期は寝たきり。病床で何年経ったかよく覚えてないんです」

「そんなにひどい病気だったんですか」

「ええ、病名は……自分の名前がついてます。生前のね」

 フランは驚いて顔を上げた。


「世界で前例のない病でした。治療方もなし。気づいた頃にはもう遅くて、感染だけが広がっていた。俺がばら撒いたんです」

「それじゃあ……」

「そう。パンデミッックを起こして何人もの人間を死に至らせた。それが、俺の殺人の罪だ」


「あなたは何も悪くないじゃないですか」

 声を張り上げたフランに、カザンは首を振った。


「重視されるのは意思です。自分の手を汚さず虐殺を命じた将軍と、仕方なく従った兵士じゃ、前者がキラーズになる。俺が気づいたときにひとりで死んでいれば、そこまで拡大しなかった。でも、できなかった。

 死から逃げるために他のひとを犠牲にし続けて、だから、こうなった。死なないだけの身体に」

「そんなことって……」


 静まり返った部屋に雨の音だけが激しくなる。

「キラーズは、」

 カザンは俯いて呟いた。

「償いを終えた後、最後に自分のいた世界に戻ってもう一度罪と向き合う機会が与えられると言います。真偽のわからないお伽話みたいな話ですが。俺は元の世界がどうなったか見に行きたい。家族や友人がどうなったかも。だから、戦っています」


 フランは何も言えず、縫い終えた布地に留めた糸を切った。

「ありがとうごさいました」

 カザンは上着を受け取って、肩にかける。

「寝た方がいいですよ。夜が明けたら出発します」

「あなたは?」

「村の様子を見てから戻ります。先に休んでいてください」

 カザンはベルトに斧を挟み直した。


「……村の墓地には行かないでください。あそこは危険すぎますから」

 彼はそう言ったフランを正面から見据えた。

「そんなに危険ですか。キラーズでも?」

 フランはしばらく沈黙してから頷いた。


「フランシーン」

 部屋を出て行く前、カザンは向き直って言った。

「この村が好きですか?」

 質問の意図がわからなかった。答えを待たずに、彼は上着を翻し、闇の中へ消えていった。




 ***


 雨は激しく、礫のように打ち付けた。

 服の裾や袖から死人の手のような冷たい風が入り込んで肌を嬲る。


 カザンは水を吸った上着のフードを被り、村の北方にそびえる墓地の囲いを押した。悲鳴に似た音を立てて、音を立てて扉が開く。


 無数の墓標の間を進み、その奥の、何のしるべもないがわずかに隆起した土の上にひざまづいた。

 髪とフードから雫が滴る。

 土は重いが柔らかい。斧の柄を突き立て、その表面を抉った。


 非難するように雷鳴が響く。手元も見えない闇の中で、息だけが白く濁った。

 柄の先に硬い手応えがあった。

 獣の内臓のような感触の土に手を差し込むと、毛髪と腐肉の先にまだ新しい布に触れた。


 雨に洗われて滲み出たその色は、王都の軍服の、赤だった。

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