第23話 責務の全う
ようやく夜の闇が薄れ、三番島にも朝が来ようとしていた。
「帰って来ませんね」
荒天の為に先に戻ってきていた二番機の搭乗員たちが呟く。闇夜の荒天を突破できないから還ってきたというのに、今の空は彼らを莫迦にするかのように晴れ渡っていた。
「そろそろ燃料が尽きる頃です」
腕時計を見て整備長が言う。
「帰還は絶望的か……」
空を見上げたまま、司令は独り言のように呟いた。
「機体炎上」という報告を最後に、三○八号からの通信は途絶えている。以前にも翼が炎上しても還ってきた事があったので希望を抱いて待っていたが、どうやらそれも空振りに終わってしまいそうだ。
「まだ何処かに不時着して漂流している可能性があります」
整備長はそう言うが、彼自身も帰還して来るのは絶望的であると思っていた。
もっとも覚悟はしていた事である。何しろたった三機で大艦隊に挑んだのだ。悪天候のせいとはいえ、二番機が還ってきただけでも良しとするべき事なのかもしれない。
それよりもむしろ心配だったのは二番機の搭乗員たちだ。
悪天候のせいとはいえ敵も見ずに引き返して来てしまった上に未帰還が出ているので自己嫌悪が凄まじいらしく、誰も彼もが顔色を真っ青にしている。このままでは誰かが腹を切り出しかねない雰囲気だ。
しかし彼らが引き返してきた……逃げてきたのは事実であるので、整備長も彼らを慰める言葉が見付からなかった。
「こんな事なら、付いていけば良かったですね」
ポツリと一人が呟く。
「莫迦野郎。あの時点で付いて行けなかったからオレたちは還って来たんだ。付いて行った所で途中で迷子になっていたのは目に見えているぞ」
機長が言い返したが、言い出しっぺの搭乗員は聞いているのかいないのか、ただ「はぁ」という曖昧な返事をしただけだった。
「もう燃料切れの時間からだいぶ過ぎています。被弾もしていたようですし、帰還はもはや在り得ないかと……」
整備長が言うと、司令は空を見上げたまま「そうか」と頷いた。
「どうやら三○八号は散華したようだな……」
途端に聞いていた二番機の搭乗員たちが泣き始めた。思わず司令も釣られて涙が出そうになった時、監視塔に立っていた兵隊が「南東に双発機確にーん!」と大声を張り上げた。
咄嗟にその場にいた全員が南東を見上げると、なるほど、遠くの方に双発の大型機がフラフラと揺れながら飛んで来ているのが見えた。
「三○八号です!」
双眼鏡を覗いていた副官が歓声を上げる。
途端に今まで泣き顔だった搭乗員たちも顔を明るくして、座り込んでいた者もたちあがった。
だが肝心の三○八号の方はというと、それほど良い状況ではなかった。何しろ燃料はとっくの昔に切れており、今は巧みに操縦して辛うじて滑空しているだけである。飛行場は見えてきたが全くと言って良いほど気は抜けない。
くわえて装置の油圧に異常が生じたらしく、先ほどから操作しているにも関わらず片車輪が出て来なかった。燃料があれば旋回して無理やり車輪を出すのであるが、燃料がないのでそれも出来ない。
出ている方の車輪を撃ってパンクさせるという方法もあったが、燃料切れが起きそうになった際に少しでも軽くしようと重量物は全部投棄してしまったのでそれすらも不可能だ。
このままでは胴体着陸をするしか他にないが、問題なのは燃料切れと片車輪が出ないだけではない。左エンジンが被弾して炎上し、なんとか消す事には成功したが今や炭の塊のようになっているのだ。これでは真っ直ぐに滑走路に入る事すら難しいが、しかしミスをすれば胴体着陸の際にバランスを崩して滑走路に体当たりするか、あるいは一回転して粉々に吹き飛ぶかしてしまう。
ミスは出来ない。しかし燃料がないのでやり直しも出来ない。
そんな極めて劣悪かつ困難な状況であった。
しかし糖子に絶望感はない。
何しろ操縦しているのは華香である。彼女だからあの荒天を突破して、闇夜を低空飛行し、爆撃を行ってここまで還って来られたのだ。
既に疑いはない。あとは彼女の事を信じるだけである。
「着陸します! 全員、後尾へ!」
華香の号令で操縦員である華香と琴音以外は全員機体の後尾に走る。
焔雲は極めてバランスの悪い機体であり、着陸する時は人間がバラストになって機首を上げなければならない。くわえて今回は片肺が死んでいるので右側によって少しでも左右のバランスを取ろうと搭乗員全員が必死になっていた。おそろしく原始的な方法であるが、それで生還率が上がるのであれば滑稽でもやる他ない。
右エンジンは唸り声を上げたまま、フラップを多めにとり、方向舵で加減を取りながら三○八号は巣である三番島の滑走路に入っていく。
糖子たちのいる機体後尾からでは機体がいまどういう状況なのかは全く解らない。あとは全て華香に委ねられている。
長い、長い時間の後……実際は数秒の時間の後に機全体に凄まじい衝撃が襲い掛かった。悲鳴を上げるよりも前に機体はそのまま滑り始め、機内のあらゆる物が投げ出される。人間も例外ではなく、糖子たちも吹き飛ばされるように壁に激突して呻き声を上げた。
機体後尾なので外がどうなっているのか皆目見当もつかない。というよりも凄まじい衝撃のせいでそんな事を考えている余裕もない。
しかし衝撃は次第に小さくなっていくと、やがてズリズリと収まっていった。
そして停止。
止まってから、全員が呆然とした表情のまま顔を上げる。
多少擦り傷程度を負ってはいるが、しかし全員無事で負傷者はいない。機内はボロボロの荒れ放題であるが、それと同じような状態になっている者もいない。
呆然とした顔で全員顔を見合わせる。
そして二、三秒の時間を置いた後に歓声を上げた。
着陸に成功したのである。
慌てて糖子は操縦席まで走って行くと、華香と琴音が目を丸くして、信じられないというような顔で椅子に寄り掛かっていた。
「少尉! やりました!」
思わず糖子が揺さぶると、華香は二、三回頷いた後にようやく笑顔を見せた。
「……ええ、還ってきましたよ」
三○八号は燃料を喪い、胴体着陸を行った事によって大きく破損、修理は不可能であると判断されて廃棄が決定したが奇跡的な事に搭乗員は全員無事であった。
三枚あるプロペラの羽のうち一本が吹き飛び、残りもノコギリのように欠けだらけになっている。エンジンは片方が完全に燃え尽き、恐ろしい事に翼も先端部分が千切れてなくなっていた。
偵察席のあった機首は完全に潰れ、機体は穴だらけ、搭乗口の脇には人間一人通れるほどの大穴が空いてまるで搭乗口が二つあるかのような有様になっている。
「よくもまぁ、こんな状況で還って来れましたね」
当事者である琴音が他人事のように呟く。
「うん、よく還って来るまで持ってくれたよ」
もはや残骸になった三○八号を撫でながら糖子は頷く。
「搭乗員全員整列!」
唐突に華香が号令を掛けたので、糖子は慌てて他のペアたちと一緒に三○八号の前に整列を行った。
「ここまで運んでくれた三○八号に対して敬礼! 頭ァー中!」
華香の号令で全員三○八号に敬礼をする。
本当に、よくここまで撃墜されないで三番島まで運んでくれた。しかしこれで廃棄になってしまうと思うと、自然と目頭が熱くなってくる。
三○八号の搭乗員にならって基地の全員が三○八号に敬意を称した。装甲が薄く、燃えやすいと揶揄された機体でよくここまで帰ってきてくれた。
「黄里さん」
整列を解いた後もボンヤリと三○八号を眺めていると、華香が肩を叩いたので糖子は我に還った。
「今回はありがとうございました」
「え? 何がです?」
全く心当たりのない感謝の言葉に糖子は思わず聞き返してしまった。
「出撃前、黄里さんと話していたから還って来られたんです」
「そんな事ないですよ。還って来られたのは巖渓少尉の腕のおかげです」
「ええ、部下を連れて還るのは機長の責任ですから」
そう言って華香は悪戯っぽく微笑んだ。
とても清々しくて可愛らしい、何だか嫉妬してしまうような笑顔であった。
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