メイド達の苦労、親子は知らず(※ただし、本望)
オスカーがお風呂場へ向かった後、一室は戦場と化していた。クロエの姿は見えない。席を外しているようだ。
「ドレス、ドレスは何処っ! この前、上位五着は決めたでしょう!? 急いでっ!! あれなら、クロエ御嬢様も着てくださる筈……多分、ええ、きっと、おそらくはっ!」
「ネックレスは……そうね、王家と、この前教会から下賜されたものでいいわ。ドレスの色に合わせて準備!」
「御嬢様はヒールを御嫌いよっ! 他のにしなさいっ!!」
「香水は、極々控え目!」
「メイド長っ! リボン、どうしますかっ! 御嬢様は、普段、嫌われているので、屋敷内には……」
「――――駆けなさい。一心不乱に。ただただ、店まで駆けなさい。そして、御嬢様が御戻りになる前に戻り、候補を選定せよっ!」
「い、い、幾ら何でも無理ですよぉ。王宮からの緊急電話ですし、通例を考えればそこまでの時間は……」
「いい?」
メイド長――レミは、狼狽えるメイドの両肩を掴んだ。
その目には、緊張と歓喜が混在。
「これは……これは千載一遇、否っ! 私達がこの三年近くお仕えして、初めて訪れた好機なのっ!! あの、普段はいっっさいっ、身なりに気を配って下さらない御嬢様が、御自身から、ドレスを要求されるなんて……嗚呼……こんな日がくるなんて。生きてて良かった……」
「そ、それには、全面的に賛同しますけど、ぶ、物理的に往復出来ないですよぉぉ。使い魔ちゃんでも、無理です……」
「そこを何とかしなさい」
「ええええええ」
「――——メイド長、一つ、妙案が」
腕組みをし、考え込んでいた眼鏡っ子で三つ編みメイドさんがレミへ声をかけた。喧騒が収まり、視線集中。
「何?」
「現状、ドレスとネックレスはどうにかなります。ですが……他の物はあくまでも間に合わせ。王宮や、舞踏会用に仕方なしに御用意した代物です。これでは。とても、クロエ御嬢様の魅力を最大限に引き出す事、能わず!」
「……それは、分かっているわ。が、既に命は下された。それに応えるはメイドとしての最低限度の務め」
「はい。なのでぇ――こういうのはどうでしょうか?」
片手で眼鏡位置を直しつつ、メイドさんが口を開く。
眼鏡っ子の瞳は妖しく光っていた。
※※※
部屋の扉が開いた。
入って来たのは、先程と変わらない恰好のクロエ。その表情は不機嫌そのもの。室内を見渡し、ますます目が吊り上がる。
――何も準備がされていない。
ただ、メイド達が整列しているだけだ。剣呑な口調でメイド長を呼ぶ。
「レミ」
「はっ」
「……どういう事? ドレスはどうしたの? そろそろ、準備しないと間に合わないわよ?」
「御嬢様、進言を御許し下さい」
「……許すわ」
レミが
目には確信。
「先程、私は御義父様へお見せするのであれば、御綺麗になられた方がよろしいのでは? と提案いたしました」
「……そうね。だから、私は一番可愛いドレスを用意するように、と命じた筈だけれど? 言ってなかったかしら?」
「確かに承っております」
「なら」
「が――御嬢様、本当に、本当にそれでよろしいのでしょうか?」
「……どういう意味よ? だいたい、貴女が言ったんでしょう?」
強大な魔力が周囲に満ち始める。解放されれば屋敷ごと、吹き飛んでしまうだろう。
しかし、レミは動じず。満面の笑みを浮かべ、クロエの耳元へ何事かを囁いた。
――瞬間、林檎の如く真っ赤になった。その場であたふた。「え? ええ!? そ、そんなの……でもでも……せ、折角の機会だし……だけど、だけど……」
待つこと暫し。
どうにか落ち着くと、クロエは取り繕いながら命じた。
「……わ、悪くない案ね。良きに計らって」
「御意!」
※※※
それなりの長風呂を終えた、オスカーが部屋へ戻って来た。
先程まで着ていた、平服ではなく、何故か常備されていた男性用のスーツ姿。白シャツの一番上のボタンは外しているが、控えめに言ってもさまになっている、と言えよう。
紅茶を飲んでいるクロエは努めてお澄まし顔を作った上でチラ見。そのまま固まった。
「おぅ、待たせたな。あーいい湯だったぜ。何せ、三日三晩駆け通しだったからな。ん? うし、それじゃ、髪を結ってやる」
「…………」
「ん? おーい、どうした?? クロエー???」
「(御嬢様)」
「! ……こほん。何かしら? ネクタイも置いてあったでしょう?」
「いやぁ、何せ十年ぶりなんでな。結び方を忘れちまった。お? もしかして、結んでくれるのか?」
「!! し、し、仕方ないわね。と、特別に、わ、私が結んであげても、その、いいわ」
「おーあんがとな」
大きな手がクロエの頭を優しく撫でる。
くすぐったそうにしながらも、心底幸せそうな表情。周囲のメイドさん達の中には恍惚の表情を浮かべ、鼻血を出す者も多数発生中。
――椅子の上に立ちながら、一生懸命、オスカーのネクタイを結ぶクロエ。
「まぁ」
「な、何よ。ち、ちょっと、動かないでっ」
「死にそうじゃなくて良かったわ」
「あ、あれは別に、その、ち、ちょっと書き過ぎたっていうか……は、はいっ! 出来たわよっ。三十にもなって、ネクタイの一つも結べないなんて、この馬鹿オスカー!」
「人間、得手不得手があらーな。うし、それじゃ、今度こそ髪を結って」
「オスカー様」
レミが、絶妙なタイミングで声をかけた。
瞬間、主従の目配せ。失敗は許されない。
「これは偶々なのですが、先日、御嬢様は新しいリボンを注文されまして、それが、本日、御店の方へ届いた、と先程連絡がございました。どうでしょうか? 折角の機会でございます。御嬢様と一緒に外出されては」
「ん? そうなのか? クロエ、どうする?」
「わ、わ、わ、私は……べ、別に行かなく」
「――こほんっ。失礼いたしました」
レミの射るような視線。クロエは動揺。
しかし――意を決したのか、はっきりと口にした。
「か、髪を結うリボンは、ひ、必要よね。し、仕方ないから、馬鹿オスカーを、あ、案内してあげるわっ」
「おーそいつは有難いな。うし、それじゃ、行くかー。ほれ」
「な、何よ?」
「ん? 前は何時も手を繋いでたろ? クロエは甘えただからな」
「~~~~っっ。こ、ここで言う必要ないでしょぉぉぉ。ば、馬鹿オスカーぁぁぁぁ!!」
叫び声をあげつつも、ちらちら、とオスカーの手を見ていたクロエは、小さな手でしっかりと握りしめ、椅子から降り両手で引っ張った。
「ほ、ほらっ。早く行くわよっ!」
「へーへー」
二人が、部屋から出ていき、正面玄関の開く音がした。
―—後日、魔女クロエの屋敷から、突如、地面を揺らすかのような勝鬨があがった、と噂になったとか、ならないとか。
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