木製の自尊心-4
***
なんだって上手くやってきた。だから、今回だって大丈夫。
「今回の人事異動、発表されたみたいだな」
「そうなんですか」
上司の言葉に、ピクリと反応する。
「あぁ。今回は」
つらつらと並べられる人名。聞き覚えのある名前と無い名前が混在することから、どちらの方向の異動も混ざっていることが分かる。それじゃ発表の意味がないんじゃないかと思いつつ、黙って耳を傾けた。
「……知紗、萩原千夏、……」
捉えた響きに、そっとため息を零す。
本人から聞いてはいたが、本当だったのか。こめかみを押さえて軽く叩いていると、女子社員たちの会話が耳に入ってきた。
「あーやっぱり異動になったね」
「異動っていうか、飛ばされた?」
「まぁ仕方ないよね」
「あんな噂が立っちゃぁね」
チラリ。視線を感じる。内心面倒だと思いながらも首を傾け、女子社員たちに笑いかける。
「どうしたの?」
問いかければ、お互いの顔色を伺い、一人が応えてくれた。
「葉月くん、あの噂本当?」
「噂?何のこと?」
「あの子が異動になるの、葉月くんとのことがあったからじゃないかって、みんな噂してる」
やはりそうか。心の中でため息を吐きつつ、どう誤魔化そうか考える。頭で答えが出る前に、表情が勝手に動いた。
「あ、そうなの?全然心当たりないけど」
笑顔を浮かべ、首を振ってみせる。
これで、僕自身の評価は下がらない。後は、笹本の誤解を解けばいいだけだ。
大丈夫。今までだって全部上手くやってきた。今回だって大丈夫だ。大丈夫、大丈夫。笹本に殴られた頬は、かなり前に完治した。会社の人にはかなり心配されたが、上手く誤魔化した。その頃に出てきたちょっとした噂だって、すぐに収束した。人事異動の件も噂と結びつける人はいたけれど、それ以上に発展させる人はいなかった。
大丈夫、大丈夫。
大丈夫、のはずだったのに。
それでも、元に戻らないものもあって。
「葉月くん、携帯鳴ってる」
「あぁ、ありがとう」
「今回黙ってるけど、次仕事中に鳴らしたら上司に言いつけるよ」
「ごめんごめん。ちょっと出てくる」
忘れていた。そうだった。僕は笹本に勝てない。笹本と同じ位置に立てない。僕のなけなしの自尊心は笹本の前ではあまりに小さくて、一瞬で朽ちてしまうようなもので。
だからまた。
「もしもし千夏さん?どうしたの、珍しいね」
向かい合わなくて済むように、上手く誤魔化して逃げられるように。僕は、僕の自尊心に気付いていても受け入れてくれる方へと。楽な方へと。
逃げ込んでゆく。
From zero to first cut. 木製の自尊心
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