第56話 舞い降りる伝説

「あれが、『黄天』……!?」


 リリアンの言葉にユウは驚いた表情を浮かべる。

『六天』とは魔法少女の頂点に立つ者であり、彼女らにとって師範となる存在である。故に人格者たるものが選ばているとユウは信じていただけに、目の前の傲岸不遜な女がその一人だということがショックであった。

 

「豚共、よく聞け。この妾が作戦に加わるのだ。光栄に思うが良い。妾の足を引っ張らず、妾の手助けをし、作戦を成功させるのだ」


「うええ……そんな上から目線で言われるとやる気なくすんですけど……」


「まぁまぁ、彼女はああ言いますけど根は良い人なのよぉ? 大人しく従いましょう」


 背後でおっとりとリリアンがアリソンをそう評価する。どうやら彼女はアリソンと過去に仕事を一緒にしたことがあるらしく、言葉遣いと態度は悪いが、人を見る目と優しさは確かに持ち合わせているのだそうだ。

 そう言われても目の前のアリソンを見ていると、とてもそんな人物には見えないがひとまずリリアンの言葉を信じ、ユウは気分を落ち着かせる。


「そして、もう一つ。防衛装置とは別に急ごしらえですが、攻撃用の装置が当日に置かれます。入ってよろしいですよ」


「?」


 宇積の言葉に疑問を覚えるユウたちだが、すぐさま扉が開き一人の女性が入ってくる。

 ……その顔はユウたちにとってあまりにも見知った顔だった。


「咲良さん!?」


 唐突に現れた咲良の姿に思わずユウ、ヒスイ、ヒメコの三人が驚く。

 久しぶりに目にした彼女は酷い有様だった。髪はボサボサで目の下には濃い隈が出来ている。にへら、とだらしなく口元を開かせて笑っていた。


「ははは、ついに完成したわぁ……。対竜迎撃兵器『カドモス』が完成したのよ……ふふ、ふふふふふふ!!」


「すまない、こいつ研究にのめり込みすぎるとラリっちゃうんだ」


 咲良の背後にミズキが現れ、彼女の肩をぽんと叩く。

 どうやら今まで咲良が姿を見せず連絡も取れなかったのは、このドラゴンに対する兵器の開発に明け暮れていたからだそうだ。ようやく咲良が姿を現したことにユウは安堵するも、明らかに様子のおかしい彼女に心底心配してしまう。

 宇積も困惑した表情を浮かべるが、眼鏡をクイッと上げ咳払いして続けた。


「では、咲良さん。『カドモス』の説明をどうぞ」


「はいぃ。『カドモス』っていうのはぁ、ギリシャ神話に伝わる竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤーの名前よぉ。彼は軍神アレスの泉の番をしていたドラゴンを槍で殺した伝説があるのぉ。それを名付けたのがこの兵器なのだけれどぉ、各地に伝わる竜殺しの伝説を寄せ集めてぇ、槍に術式を構築させてぇ、巨大化させたの! だぁかぁらぁ、これをドラゴンの弱点にどーん!ってぶつければたちまちぼかーん! よぉ……うふふふふふふふ!!!!」


(やばい、完全に咲良さんが壊れてる!)


明らかに目が逝かれてしまわれてる咲良を見てユウはドン引きする。宇積も青い顔をしながら咲良を見つめ返し、再び咳払いをして「ともかく」と続けた。切り替わりの早い優秀な上司だ。


「先程咲良さんがお伝えした通り、この兵器はドラゴンの弱点に当てなければ効果を発揮できません。確かにドラゴンは天災級の魔獣ですが、生物である以上どこかに急所は必ずあるはずです。奴の生態を見抜き、この兵器を当てられれば戦況は大きく変えられるでしょう。咲良の努力を無駄にしないためにも、是非ともこの兵器を有効活用してください。作戦は以上です。では解散!」


 ようやく作戦の伝令が終わり、一通り聞き終えたユウは「はあ」と長い溜息をついて机に突っ伏す。

 本当にかの竜と戦うのか、とユウは作戦に思いを馳せるが正直な所、実感はまだなかった。あまりにも戦う相手が規格外すぎて感覚が麻痺しているのだろうか。昼間の戦いで疲れているということもあるのかもしれない。


「なぁーヒスイ。明日、上手くやれるのかな……」


「やるしかないよ。そして絶対に生きて帰る。最初からそのつもりで私達は来ているんでしょ?」


「……そうだな。それとさ、医務室でのことは悪かった。いきなりビンタして怒鳴ったりして」


「ううん、いいの。私も悪かったから」


 ヒスイの言葉にユウは思わず顔を見上げ、彼女と視線が合う。

 ヒスイは、笑顔を浮かべていた。その温かい笑みにユウはようやく昼間からのわだかまりが解けたと思い、笑い返す。


「何か弱気になってた。ありがとう。明日絶対に成功させて帰ろうな」


 じゃ、と言ってユウは会議室を去る。残されたヒスイはユウの背中が見えなくなるまで手を振り続けていたが、立ち去った途端ヒスイは手を振り下ろし、ギュッと唇を噛み締めて低い声で呟く。


「無理するなって、誰のせいだと思ってるの……」


 その呟き声は隣に立つヒメコには聞こえていなかった。






※※※※






「どういうことだ! 今日は晴れていないではないか!」


「落ち着きなさいアリソン。ここはイギリスよ。晴れている日のほうが少ないわ」


 作戦当日。いよいよドラゴンの前に少女たちは集まりこれから決行する所……なのだが。

 アリソンが現場に着くなりいきなり宇積に向かって文句を言い始めたのだ。


「ふざけたことを抜かしおって! 妾の全力が出せぬではないか!」


「仕方ないわ、流石に天候まで操る技術は『連盟』は持ち合わせていないのだし。我慢して戦いなさい」


「むぅ……。妾は太陽の子であるぞ。この妾を前にして晴天の下で戦わせぬとは何たる屈辱……!」


「なにあのお嬢さん、天気にまでケチつけてるんだけど? どこまでワガママなの?」


 思わずユウはその態度を見ていられなくなり、コソコソとリリアンに話しかける。

 話しかけられたリリアンも小言で返した。彼女の囁き声が少しこそばゆくてユウは驚いてしまう。


「アリソンは日光を浴びると魔力が強化される体質を持っているんです。ですから、晴れた日でないと本調子を出せないのですよ」


「なんだそりゃ。アーサー王伝説の円卓の騎士にそういう奴いなかったっけ。ガウェインだがなんだかで」


「あら、よくご存知ですわね。イギリスでは有名な物語なんですけど」


「あいにく、日本ではゲームやアニメでの定番な題材になってる厨二的作品ですよ」


「そうなのですか? ジャパニーズは何でも創作物に取り込みたがるという逸話は本当なのですね。これがヤオヨロズの力……!?」


「いやいや、ただ単に我々が無宗教で中二病なだけですから」


 とはいえ、目に入ったものは神様として祀っちゃえ精神の八百万という文化は流石日本人ならではというべきか、とユウも感心する。

 と、軽口を叩いている彼女だが本心は全く持って余裕ではない。何しろすぐ百メートル離れた先に『奴』が眠っているのだ。


「本当に……でかいな」


 赤い鱗に覆われたトカゲによく似た生物。だが、首は蛇のように長く、巨大な体躯に比べれば小さな頭には四本の角が伸び、背中にはその大きな全長をすっぽりと包めてしまうほどの二対の巨大な翼が生えている。まさしく、その姿は多くの伝承に伝わる典型的な『ドラゴン』をそのまま現実世界に飛び出させたかのようだ。

 ドラゴンは未だ瞳を閉じ、規則正しく深い呼吸をして眠っている。ただ、奴がそこにいるだけでこちらの呼吸が止まってしまいそうなほどの圧倒的な存在感を示していた。

 と、今から戦うのだ。怖気づくのも無理はない。


「どうした、怖気づいたか?」


 背後からアリソンが挑発するように声を掛ける。

 いつの間にか宇積の姿はなかった。今頃、外に出て三重の結界でも張ったのだろう。


「ち、違う。別にビビってなんか……」


 アリソンの言葉をユウは否定しようとしたが、その声音は震えていた。

 声だけじゃない。青い魔石を握る右腕が震えている。

 恐怖の理由は、目の前の竜だけじゃない。否、目の前の竜よりも恐怖を覚えるものがユウにはあった。


「装填・窮奇」「ブロウ・ガブリエル」「リロード・ミカエル」「武装・フィヨルギュン」「武装・スクルド」


 背後から次々に少女たちが変身の呪文を唱えるのがユウの耳に届く。今、変身していないのは自分だけ。


「どうした、変身しないのか?」


「はぁ……はぁ……!」


 何故、こんなにも全身が震えているのか。

 何故、こんなにも冷や汗が垂れてくるのか。

 何故、こんなにも怖いのか。

 理由は思い当たっている。



 ────もし、変身したらまた魔獣化するのではないか。



(知ったことか……!)


「抜刀・りん────」


「待たれよ」


 思考を振り払うかのように魔石を胸に突き立てようとした所で背後のアリソンが静止の声を掛ける。

 寸前でユウの動きが止まり、アリソンがゆっくりと近付いてきた。


「何をそんなに怯えている? 己の力だ。臆することなど何もなかろう?」


「うる、さい……。あたしの勝手だろ……」


「まあ最後まで聞くがよい。貴様が己の力を恐れる理由は理解できる。だが貴様は人だ。理性を失い本能のまま貪る獣ではない。己の力を何の為に、誰が為に使うのか答えは出ているのだろう」


「あたしの力を何のために使うのか……?」


 アリソンの言葉にユウは真っ先にセナのことを思い浮かべた。

 次にアヤメ。そして

 彼女と交わした最期の約束が回想される。


『あなたは……「正しい人間」を助けなさい。そして、あたしみたいに「悪い化け物」は躊躇なく倒しなさい。それが、あたしとの約束だよ……』


「ッ!」


「その心意気だ。貴様は己の力を、歩んできた道を信じよ」


「分かった。────抜刀・燐火」


 今度こそ、ユウは躊躇いなく自分の胸に魔石を突き立てる。

 瞬間、青い炎がユウの体を覆い尽くし……。


「ッ!? が、はっ!」


 直後、急激な飢餓感に襲われると共に「ニンゲンを食べたい」という衝動が強く生じてきた。


「くっ、うゥ……!」


(違う、あたしは人間だ……。人間を食べたいなんて思ってない! あたしは化け物じゃない、正しいニンゲンだ……ニンゲンなんだ、だから、ニンゲンを、食べ、違、ぁ…………)


 意識が遠のいていく。衝動と空腹感がより強くなる。

 負けてたまるものか、とギュッと雑草を握りしめ奥歯を強く噛んでユウは抑え込もうとする。

 だが、ユウの努力は虚しく理性は蝕まれていき、本能が剥き出しになって、思考すらあやふやになっていき────。


『ユウさん!』


 大切な人セナの声が聞こえた気がした。


「がはぁっ!? はぁ……はぁ……」


「おい、貴様、無事か!?」


 空気が大きく吸い込まれ、肺に染み渡っていく感覚。いつの間にか息を止めていたらしい。

 我に返ったユウは自分が草原に倒れていたことに気が付き、勢いよく起き上がる。自分の姿を見ると黒いゴシックドレスに腰には刀が納められた鞘と見慣れた姿に変わっていた。どうやら魔獣化を抑え込んで変身できたらしい。

 はぁ、とユウは安堵するのも束の間、目の前を見ると少女たちが怪訝な目で自身を見つめていることに気が付く。


「己の力を信じよと言っただろう、このたわけが!」


 と、アリソンが顔を赤くして怒鳴ってくる。


「貴様も、取り巻きの緑の女もそうだ! 己の力を信じきれていない! 貴様らは自分を中級以下だと見積もっているようだが、充分に準上級程度はある。だから己を卑下するな。必要のない自虐は不愉快な思いを与えるだけだ!」


「え……あたしってそうなの?」


「そうだ。この妾が言うのだから間違いない。だから、己を誇れ。己が決めた道のために力を使え」


「…………」


 アリソンの励ましに思わずユウは見つめ返してしまい、感心してしまう。

 認めるのは非常に癪だが、確かにリリアンの言う通り、アリソンが『六天』に選ばれたことに納得がいってしまった。彼女は偉大な魔法少女として評価されるに値する人だ。

 ふん、とアリソンは調子を取り戻したユウを睨みつけて鼻を鳴らす。


「さて、戯れはもうよいだろう。あの竜を起こせ」


「……は?」


「散々妾たちに時間を使った罰だ。責任を取ってもらう。だからあの竜を貴様が起こせ。二度も言わせるなこの豚が!」


「はぁ!?」


 前言撤回。やはり彼女は『六天』を辞めさせるべきだ。

 今までの態度が嘘のように傲岸不遜になるアリソンにユウは苛立たちながら、渋々とドラゴンの前に向かう。結局、奴が起きなければ何も始まらないのは事実だからだ。

 しかし、こうして眼前に立つとよりその存在感に圧倒される。一枚一枚生えている鱗はまるで岩のようだ。その質感を目視してもかなり硬い外見をしているのが伺える。

 その鼻から規則正しい息が吐かれるのを聞きながらユウは声を掛けてみる。


「も、もしもーし……。とりあえず起きてもらわないと困るんですけどー」


 …………。

 馬鹿正直に声を掛けても無反応なだけだ。しかし、どこまで奴を刺激すればいいのか分からず流石にユウも怖いので、探り探り手段を試してみる。


「もしもーし! 起きないと始まらないんですけど!!」


 とりあえず大声で。しかし、やはりドラゴンの様子に変化はない。

 となると触覚を刺激するべきだ。そうユウは思うが、そのまま触りに行くのはいくらなんでも怖すぎる。

 なので、恐る恐るユウは小石を拾いドラゴンの鼻先目掛けて投げてみた。投げた瞬間、「うあああ!」と怯えながら数歩下がる。

 ……だが、反応はない。

 チラ、とドラゴンの方に視線を向けると未だ目は閉ざされたままであり、鼻息も規則正しいままであった。


「…………チッ」


 流石にこうも寝坊助だと苛立ちが募る。すぐさま頭に血が昇ったユウはあろうことか刀を抜き、そのままドラゴンの鱗目掛けて振りかざしたのだ。

 背後で少女が息を呑む音、悲鳴を上げる声、「何やってるの馬鹿!」と怒鳴ってくる声が聞こえてくる。……のだが。

 カキィン! と甲高い音が響き、ユウの刀は弾かれた。鱗の質感を一目見て「岩のようだ」という感想を抱いたが、本当に岩のような堅さであった。弾かれた衝撃が強く、ピンと背後に伸ばされたユウの腕が痺れてしまう。


「がああああ、痛ってえええええええええ!?!?!?」


 思わずその場をのたうち回りたくなったが、目の前にはドラゴンがいることを思い出し、はっとユウは我に返る。

 もはや結果は言うまでもないだろう。

 ────奴は、未だに寝ていやがった。


 プツリ、と音を立ててユウの中で何かが千切れる。


「上等だよ、意地でも起こしてやらぁぁぁぁああああああ!!!!」


 ついに堪忍袋の緒が切れたユウは青い炎を右手から発生させ、ドラゴンに向かって爆発させる。

 ジュリアとの戦闘中に身に着けた爆発させる技だ。気に入ったので『蒼爆』と名付けることにする。

 ともあれ、その『蒼爆』を真正面から食らったドラゴンは……。


 ……やはり無傷で目を覚まさなかった。


 ついにユウは全てを諦めた表情で背後を振り返り、アリソンたちに声を掛ける。


「おい、何やっても全然起きないんだけ……ど…………」


 語尾に近付くに連れ、徐々にユウの言葉は覇気を失っていく。

 少女たちは皆、一様に目を見開いて上空を見上げていた。まるで見えてはいけない何かが映っているかのように。

 だが、ユウが言葉を失ったのは彼女たちの様子を見たからではない。もっと分かりやすい変化があったからだ。

 突然、空が急激に暗くなった。暗雲でも立ち込めたのか、とユウは思わず少女たちと同じように上空に顔を向ける。


「ぁ」


 そして言葉を失った。


 




 彼女たちを覆っていたのは巨大な影だった。

 それを形作っていたのは空中から。大きな翼を羽ばたかせ、長い首をもたげ、短くも太い四肢から虎ほどの大きさはあろうかという鉤爪を伸ばす。

 そして黄金の瞳は眼下の眠りを妨げた不届き者たちを映し出す。彼女らの存在を認識した黒い瞳孔が蛇のように、きゅうと縦に細長く収縮する。

 そして剣のように一本一本細長い牙を見せながら顎が縦に開き。



「グォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」


 

 大地を揺るがすほどの咆哮を上げた。



 それは異名の通り、まさしく生きる伝説であった。

 数多の血を啜り、数多の肉を喰み、数多の骨を砕く。

 水を煮立たせ、風を吹き起こし、木を薙ぎ払い、命を焼き尽くす。

 そんなあらゆる伝承の怪物の権化とも言える存在。

 故に特別な銘は要らず。

 かの獣はただ『ドラゴン』と呼ばれる。


 今、ここに伝説が舞い降りる。


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