◇8◇ 伏見家の超危険人物がいよいよ動く。

「おお、潤やっと来てくれたか」


 うんざりしたような顔をしたすぐ上の兄のなおが、ほう、と大きく息を吐いた。

 その鍛え上げられた肉体で羽交い絞めにされているのは、さらに上の兄のともである。「どけろクソ筋肉」と悪態をついていたが、の姿を認めると途端に相好を崩した。


「ああ、潤。会いたかったよ。今日は一段と素敵だね。なぁ潤からも言ってくれないか、この筋肉ダルマ、腕力でしか俺に勝てないからといってすぐこれだ」

「筋肉ダルマとは言ってくれるじゃねぇか。このストーカー兄貴め。俺の筋肉は商売道具だぞ」

「まぁまぁ直兄も朋兄も仲良くしてよ」

「嫌だね、俺は」

「潤がそう言うなら、仕方がないな。ほら、放せよダルマ」

「筋肉部分を取るんじゃねぇ!」

「ちょっと、いい加減にしなよ」


 呆れ顔でそう言うと、さすがに不味いと思ったのか、直兄はしぶしぶといった体で朋兄を解放し、朋兄はというと、少々しわになってしまったシャツを丁寧に伸ばして、ふん、と鼻を鳴らした。体型の差があるとはいえ、3つも下の――まぁ私としては3歳差なんて大したことはないと思っているが――弟に腕力で負けるのは面白くないのだろう。まったく可愛げのないやつだ、とぶつぶつと呟いている。


 私の記憶では、兄達がそれぞれの弟について「可愛いやつだ」などと言っているところは一度も見たことがないように思う。しかしこれが一番下の妹――つまり私のことだ――となると、話は違ってくる。8歳上の恵兄も、6歳上の朋兄も、そして3歳上の直兄も、皆私を可愛いと言うのだ。まぁ、それぞれ表現の仕方も、愛情(で良いのだろうか、この場合)の度合いも違うけれども。


 それが、この朋兄が一番強い。

 表現の仕方も、その度合いも。


 学生時代は、を身に着けた男子から『近親相姦』だなどと揶揄われたりもしたものだ。しかしもちろん、兄達の方では、私をそういった目で見ているわけではないのだが。

 ちなみにその男子は、数日後、酷くおびえた様子で私に謝罪してきた。恐らく兄達が何かしたのだろう。

 

 妹を大切にする気持ちだと思えば、まぁ確かに多少厄介だとは思いつつも、嫌いにはなれない。


「朋兄、一応釘をさすけど、藍に危害を加えたりしたら、私は絶対に許さないからね」

「うっ……、わかってるよ」

「盛ったりしないね?」

「盛ったり、って……。俺が? 彼に? やだなぁ、そんなことするわけないじゃないか。可愛い妹が選んだ男だぞ?」


 といって柔和な――しかし周囲からは「あれは何か企んでいる時の顔だ」とすこぶる評判の悪い――笑みを浮かべた。


 これは信じても良いのだろうか。我が兄ながら判断に迷う。


 しかし朋兄は何だかんだ言いつつも私に嘘をついたりはしないし――、


「騙されるなよ、潤」

「えっ、何が」


 直兄がとんとんと肩をつつく。


「今回ばかりはる気かもしれん」

「何で」

「あいつ、さっきどこに行って何を買ってきたか知ってるか?」

「知らないけど」


 気づけば朋兄の姿はそこになかった。トイレにでも行ったのだろう。


「ホームセンターでな、農薬をしこたま買い込んできたんだ」

「農薬? 母さんのお使いじゃないの? ほら、裏の畑の」

「そりゃ表向きはな」

「表向き?」

「現に母さんはそんなことを頼んでないらしい」

「……まさか」

「気を付けろよ潤」


 さすがに農薬を飲ませるなんてことはないだろう。いくら朋兄でも。質の悪い嫌がらせなんかでは確実に済まない。


 藍に会わせる前に危険なものはすべて回収した方が良いだろう。よし、もういっそ全部剥いてボディチェックもして――、などと考えていると、ドアが開き、そこから、ぬぅ、と恵兄が顔を出した。額の汗をぬぐいつつ、熊のように、のそりと歩いて来る。その姿を見て、直兄がにやりと悪い笑みを浮かべた。


「おう、どうだったよ兄貴。片岡は」

「ふん。なかなか大したやつだ」

「だろう、そうだろう」

「何で直が得意気なんだ」

「それで? 投げたのかよ」

「投げるわけなかろう。馬鹿者」

「マジかよ、つまんねぇな。せっかく受け身の練習させたのによ」


 と、直兄がヒッヒと笑えば、


「何だと。だったら投げても良かったのか」


 恵兄もそんな軽口を返す。

 

「良いわけない。直兄も焚きつけるな」


 冗談とわかっていてもついつい口が出てしまう。2人をギッと睨みつけると、全く似ていない兄達は、それでもやはり血は繋がっているのだと確信を持つほどにぴったりと息を合わせて肩をすくめ、声をそろえて「すまん」と言った。


 しかし――、


「朋兄、戻ってこないな」


 トイレ、大きい方だったのだろうか、と何気なくそちらに視線をやると、それに気付いた恵兄が思い出したように「ああ」と声を発した。


「潤、朋なら和室だぞ?」

「は?」

「俺と入れ違いで」

「は? ちょ、何で」

「何でも何も――、って、おい、潤?」


 まずい、絶対に。

 2人きりは絶対にまずい。


 なおも私の名を呼ぶ恵兄の声が聞こえたが、一切無視して駆け出した。「この馬鹿兄貴」という直兄の声も聞こえる。それに異論はない。本当に馬鹿兄貴め。藍にもしものことがあったらどうしてくれるんだ。


「――藍!」


 と、和室の障子を勢いよく開ける。


 しんと静まり返っているその空間では、藍と朋兄がちゃぶ台を挟んで向かい合っていた。ちゃぶ台の上には湯気の立つ湯呑が2つ。お互いの前に1つずつ。


 そして、そのちょうど中央に、どういうわけか、農薬のボトルが置かれていた。


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