【後編】

◆6◆ 恋人の兄と妹の恋人、勝負の行方は。

「潤は……潤は……っ! 俺みたいにがっしりとした男が好みだと思っていたのに……っ!」

「……えっ?」


 どすどすと畳に拳を振り下ろしながら、けいさんが悔しそうな声をあげる。


「細マッチョか。細マッチョってヤツなのか? ええ、おい。そんな細腕で潤のことを守れるのか、君は!」

「いえ、その……」


 成る程。

 おそらく。


 おそらく恵さんは、潤さんが自分に似たタイプを選ぶと思っていたのだ。いわゆる――、


「私、大きくなったら、パパみたいな人と結婚する!」


 というやつだ。まぁ、この場合は、『パパ』ではなく、『お兄ちゃん』だったわけだけれども。


 確かに俺はどう見ても恵さんと同じタイプではない。筋肉がないわけではないけれども、直さんや大槻主任のように厚みのあるタイプではないからだ。まぁ、ああいう筋肉ムキムキのボディビルダーみたいな感じも恵さん的には『違う』んだろうが。


 しかし、タイプが異なるからといって、すみませんでしたと引き下がるわけにもいかない。当然だけど。


「守ります」


 はっきりとそう宣言すると、恵さんは畳に打ちつけていた拳をちゃぶ台の上にゆっくりとついて身を乗り出してきた。


「お兄さんから見れば、僕は年下の頼りない男と思われるかもしれませんし、そんなことはありませんと言っても説得力に欠けるかもしれませんけど。でも、潤さんのことは守ります」

「ふむ。しかし――」


 浮かせていた腰をすとんと下ろし、恵さんは正座を解いて胡坐をかいた。


「俺は『守るのか』と聞いたはずだがな。つまり、出来るのか、と」


 さすがは国語教師である。質問の答えになっていないぞ、という指摘だろう。


 もちろん俺だって、それくらいわかってはいる。

 わかってて、そう答えたんだから。


「すみません、質問の答えになっていませんでした。ですが、もし、そのような事態に直面したとして、僕は、出来る出来ないなどとは考えていられないと思いまして」

「ほう」

「出来る出来ないで考えてしまったら、出来ないと自分が判断してしまった時、動けなくなると思ったんです。出来るからやる、出来ないからやらないではなく、例え自分の力が及ばないのだとしても、僕は、潤さんを守ります」

「成る程。良いだろう。しかし、それでは不十分だな。それだと丸はやらん」


 そう言って、恵さんはちゃぶ台に肘をつく。そしてその大きな手のひらに頬を乗せた。何だかだんだんと態度がくだけてきているような気がする。言葉は相変わらず固いけれども。


「見たところ、武道の経験もないようだし」

「はい、ありません」

「だからもし仮に――、君らがガラの悪い輩に絡まれたとして、だ。君が出来ることといえば、潤をどうにかして逃がすとか、それくらいのものだろう」

「そうなる……でしょうね」


 何だ何だ。

 恵さんは一体何の話がしたいのだろう。


「そうなると、君はどうなる?」

「え? 僕ですか? たぶん多少は……殴られるなりするかと……」

「そこが減点対象だ」

「え?」

「潤だけが無事ならばそれで良いという考えがあるのならば、それは捨ててもらおう。俺は『我が身を挺して』であるとか『命に代えても』っていう言葉が大嫌いなんだ。潤を大事に思うのならば、君自身のことも大事にしてもらわねば困るからな。多少、で済むと思うな。潤を未亡人にさせる気か」

「い、いえ、そこまでは……」


 未亡人って……。いや恵さん、それはちょっと先のことまで考え過ぎなのでは。


「志は評価しよう。しかし、己の力量を知り、出来ること出来ないことを瞬時に判断することも重要だ。及ばなければ頭を使え。知恵を働かせろ。人を頼れ。結果として、守れればそれで良い。過程が重要なのは平和な時だけだ。有事の際には結果がすべてとなる」

「は、はい……」


 何やらとんでもない結論に至ったぞ?

 一体恵さんは俺に何を伝えたいのだろう。


「というわけで――」


 と言って、恵さんは、す、と立ち上がった。そして、俺をまっすぐ見下ろし一際低い声で「立て」と。その言葉に慌てて起立する。大丈夫、足はしびれていない。何が「というわけ」なのかももちろんわからない。


「いまから君を投げる」

「は、はい?」

「聞いているかとは思うが、俺は柔道の有段者だ」

「う、伺ってます」

「もちろん、怪我をさせないように投げることは出来るが――しかし相手は可愛い妹の恋人だ。多少、余計な力が入ることも想定される」

「そう……でしょうね……」


 ふぅ、と息を吐いて、恵さんが構える。その鋭い眼光は俺をしっかりとらえていて、もうそれだけで足がすくんでしまいそうになる。確かに受け身の特訓はした。だからまぁ、そう大事には至らないだろう。と思いたい。だけど、だからといって怖くないわけではない。痛くないというわけでもないだろう。


「もし仮に、腕の一本でも折れたとしたら、だが」


 低い声で、ゆっくりと、恵さんが続ける。

 俺は腕を折られてしまうのだろうか。

 いや、潤さんの為ならそれくらい……、ってやっぱり怖いけど。


「業務にさぞかし支障を来すだろうな」

「それは……まぁ……」

「潤も悲しむだろう」

「……っと、まぁ……恐らくは……」


 だと思いたい。

 悲しむ、というか、潤さんのことだから、恵さんに対してかなり怒るだろう。それは俺が恋人だから、というだけではなく。


「それに俺だってただでは済まないだろうな。柔道有段者の中学教師が一般人に怪我を負わせたわけだから」

「た、確かに……」


 恵さんは先ほどから話してばかりで一向に掴みかかってこないのである。こちらとしてはもう投げられる気満々でスタンバイしている状態なのだが。もういっそ早く投げてくれ、という心境である。


「……まだわからないか?」

「えっ、あの、何が」

「俺はさっき君に何と言った」


 しびれを切らしたのか、ちょっといらだったような声で、恵さんは両手を広げた姿勢のまま、ゆさゆさとその巨体を左右に揺らし始めた。


「え、ええと、俺の腕を折る、と」

「折る、と断定はしていない。そこじゃない。もっと前だ」

「じゃあ、いまから俺を投げ飛ばす、と」

「飛ばすとまでは言っていない。もっと前だ、前」

「その前となると……、出来ることと出来ないことを判断しろ、ですか」

「そうだ、その辺りだ。他に俺は何と言った?」

「頭を使え、ですとか、人を頼れ、ですとか」

「そうだ。良いか、君はどう頑張っても、俺に勝てるわけがない」

「はい」

「かといって、腕が折られるかもしれないとわかっていても、俺に向かってくるか?」


 数分前の俺なら「はい」と答えていただろう。けれど、いまはそれが不正解だとわかっている。ただ、わかるのは勝算もなしに向かっていくのが不正解だということだけで、では、どのようにして切り抜けるべきなのか、という点についてはまだわからないが。


「察してくれ、片岡君」


 ほんの少しトーンを落とした声。よく見れば、恵さんの手は小刻みに震えている。


 もしかして、手が疲れたのかな?


 いや、違う。そういうことではないだろう。たぶん。たぶんだけど――、


 本当は恵さん、俺のことを投げたりしたくはないのだろう。

 可愛い妹に手を出した憎い男と思いつつも、下手に怪我をさせてしまえば、その『可愛い妹』に嫌われてしまうかもしれないし、俺の出方によっては職も危うい。

 だけど、はいどうぞとすんなり認めたくもない。


 その結果がいまの状態なのだ。


 誰かに止めてもらいたい。なるべく自分のプライドを傷つけない方法で、と。


 

 わかりました。

 わかりましたよ恵さん!


 だけど問題は、その方法がいまのところパッと思い浮かばないという点です!



 

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