◇3◆ 落とされた、大きめの爆弾

『ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん!!』

「は?」


 先ほどの無粋な着信は、すぐ上の兄、なおからのものであった。

 リビングに移動しつつ『応答』をタップすると同時に飛び込んできたのは「ごめん」のリピートである。あまりにも一本調子で「ごめん」ばかりを繰り返すものだから、我が実兄は壊れたレコードになったのかと錯覚したほどだ。


「ちょっと直兄、何?」

『ああもうほんとに、ほんっと――に、ごめん!』

「いや、だからさ。謝罪してるのはもう伝わったからさ。内容を教えてよ。じゃないと許すも許さないんだって」


 ため息混じりでそう返し、ちらりと藍を見る。

 どうやら直兄の「ごめんごめんごめんごめん」が聞こえていたようで、彼は何やら心配そうにこちらを見ながらテーブルを片付けている。


『バレたんだ』

「バレた? 何が?」

けい兄にバレたんだって』

「だから何が?」

『片岡のことだよ!』

「藍のこと?」


 今度は自分の名前が出て来たので、藍はびくりと肩を震わせ、何だか怯えたような視線をこちらに向けてきた。俺ですか、と自身を指差している。一応、こくりと頷いておいた。


「で? 藍がどうしたって?」

『だからさ、潤と片岡が付き合ってることがバレちゃったんだよ』

「あぁ、成る程ね」


 何だ、そんなことか。

 まぁ長く付き合っていれば遅かれ早かれ紹介くらいはしないとなぁとは思っていたのだ。とはいえ、いままでの恋人で家族に紹介した人はいただろうか……。あぁ、ばったり出くわしてそのまま逃走した人がいたな。彼とはその後しばらく連絡が取れなくなって、その友人と名乗る人から「別れたい」と伝言が来たんだった。まぁ、しかも恵兄だったからな。少々刺激が強すぎたかもしれない。まだ直兄だったら……うん、直兄だったらまだ良かったのかも。


『成る程ね、って……落ち着きすぎだろ、潤』

「いや、そもそも恋人をちゃんと紹介してなかったこっちが悪いんだから、直兄が悪いわけじゃないよ」

『いや、その……それだけじゃないというか……』


 直兄にしては珍しく何だか歯切れが悪い。


「それだけじゃないって、何が?」

『それが……その……』

「何だ、直兄。らしくないなぁ」


 いつもならもっとこう、ズバッと言うタイプなのだ。それなのに一体どうしたのだろう。何の解決にもならないとは思いつつ、藍をちらりと見る。すると彼は自分がこの場にいるせいで話が進まないのではと思っただのだろう、小声で「席外しますね」と言った。


「いや、大丈夫」

 

 というのは、もちろん藍に向けて放った言葉だ。声のトーンを落とし、通話口からも遠ざけたつもりだったのだが、しかし、その言葉は直兄にも聞こえてしまったようである。


『いまそこに誰かいるのか? もしかして、片岡か?』

「え? あぁ、そうだよ。いない方が良かった?」

『うん……いや、ちょっと代わってくれ』

「え? 藍と? 良いけど。……藍、直兄が代わってほしいって。良いかな」

「俺ですか? はい、大丈夫ですけど」


 藍はやはりちょっと怯えたような目のまま、右手を差し出してきた。その手にスマホを乗せると、恐らく彼のものよりも重たいのだろう、何だか驚いたような顔をしてから、それを耳に当てた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「も、もしもし……片岡です」


 そう言ってから、しまった、と思った。直さんと会話をする時はもっと腹から声を出さなくてはならないのである。


『おう、片岡、すまんな』


 しかし意外にも直さんはそれを指摘しなかった。そればかりか、むしろ直さんの声に覇気がない。一体どうしてしまったのだろう。


「いえ、大丈夫です。それより、どうしたんですか?」

『おお、それがな……その……』


 会話をするのはまだ2回目なのに、何だか珍しいと思ってしまうのは、やはり第一印象が鬼教官だったからだろう。


『……俺が口を滑らせてしまったせいで、お前と潤のことが一番上の兄貴にバレちまったんだ』


 かなり小さい声なんだとは思うのだが、それでもしっかり聞き取れるということに感心してしまう。……じゃなくて。


「そうでしたか」


 遅かれ早かれご挨拶出来たら、とは思っていたのだ。いまのこの関係が結婚に結び付くかどうか、それはわからない。もちろん俺の方ではそのつもりでいるけれども、29歳の潤さんがそれを一言も口にしないのだ。もしかしたら、そう言った願望そのものがないことだって考えられる。

 だけど、もしその機会があるのなら。


『いやいや、片岡も何でそんな落ち着いてられるんだよ!』

「何でと言われてましても。むしろご挨拶には行きたかったというか」

『お? マジ? もしかして現実になるのか?』

「何ですか? 現実って」

『いや、それがさ、ただ単に【恋人】っていう感じでバレたんじゃなくてさ……』

「え? どういう感じなんですか?」


 単なる恋人以外の恋人っていうのがいまいちわからないけど。


『いや、【結婚間近の恋人】ってことに……』

「――っええええええ!!??」


 そ、それはさすがにどうなんでしょうかぁっ!?

 

「さすがにまだそんな話は……!!」

『だろ? だよなぁ。だと思ってはいたんだけどさぁ……』


 一体何がどうなって俺達が結婚間近になったのだろう。そこも気になるところではあるが、でも、そう口を滑らせたということは、だ。


 少なくとも直さんの方では、そう思っている、ということなのではないだろうか。


『なぁ、片岡』

「何でしょうか」

『お前、潤と結婚する気あるんだろ?』

「も、もちろんです! だけど……まだ……その……タイミング、というか……」


 そう、タイミングなのだ。

 さっき潤さんに、どう思っているか、と聞かれた時に、煮え切らない返事になってしまったのはそこなのだ。

 俺はもう何よりも誰よりも潤さんのことが大好きだし、本当はいますぐにでもプロポーズしたいくらいの気持ちではいる。けれども、そんなことをして良いのだろうかといまいち踏み出せないでいるのだ。結婚してください、というその一言で、いまの関係が崩れてしまうのではないかと思うと、怖くて言えない。


 その気持ちでいるのが、俺だけだったらどうしよう。

 潤さんにその気がなかったらどうしよう。

 結婚したい人と、したくない人とで、付き合いを続けることは出来るのだろうか。いや、出来るのだろうけど。


 もし、この交際のその先に何かしらのきっかけがあって結婚するとして、それは、結婚したくない人潤さんが結婚したくなった結果なのか、それとも相手に気を遣った結果なのか。

 逆に、結婚しない未来があったとして、それは、結婚したい人がしたくなくなった結果なのか、それとも相手潤さんに気を遣った結果なのか。


 ぐるぐると考える。考えてしまう。だけど、その問題を先伸ばしにして付き合い続けるには、ちょっと時間がない。と思う。いまは晩婚だというけれども。


 潤さんは今年30だ。

 もし、結婚というものを少しでも考えているとしたら、ちょっと焦るような年齢だと思う。けれども、俺が見る限り、潤さんはちっとも焦ってなんかいない。

 彼女はまだまだ俺の上司で、バリバリのキャリアウーマンだ。俺が養いますなんて恰好良いことは正直言えそうにもない。情けないことに、潤さんを養えるほど、俺は稼いでいないのだ。

 

 かといって。

 俺が主夫になります、なんて口が裂けても言いたくない。俺にだって一応意地はある。別に専業主夫を馬鹿にするというわけではないけど。だけど。


『――片岡? おい、おぉーいっ!』

「――ぅわぁっ!? あ、はい! はいっ! 聞いてます! 大丈夫です!」

『……? なら、良いけど。とにかく、まぁ、近いうちに恵兄から潤に連絡がいくはずだ。……覚悟しとけ』

「か、覚悟……ですか……」


 ごくり、と唾を飲む。

 何の覚悟かは聞くまい。

 とりあえず、受け身の特訓をすれば良いだろうか。

 それから、もう少し身体を鍛えて……? ええと、大槻主任に相談したら良いのだろうか。大槻主任に限らず、一課の男性社員は軒並みガタイが良い。何せ取り扱っているのが什器だ。もしかしたらもっと適任がいるかもしれないけど。


 

 スマホを潤さんに返すと、それから一言二言のやり取りで通話は終了した。潤さんはそれをポケットに入れ、ふぅ、とため息をついて髪をかき上げた。


「……藍? 何か顔色が悪いけど大丈夫かい?」

「え?」

「青いというか……白いけど」

「し、白?」


 咄嗟に自分の頬に手を当てる。

 けれども、ただ触れただけで顔の色がわかるわけもない。


「藍の方が重症だな」


 そんなことを言って、潤さんは困ったように笑った。



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