♡ ♡ CASE 3♡ ♡ 小動物系男子を手招いて

「……小橋さん、こーはーしーさん」


 と、何やら声が聞こえてくる。

 くるり、と椅子を回転させると、そこにいたのは、中西班の先輩増田ますだたくみである。

 増田は人懐こい笑みを浮かべつつ小橋に向かってちょいちょいと手を招いていた。


「何ですか、増田さん」


 中西主任不在でもきちんと『さん付け』を守る彼は、よくいえば真面目、悪くいえば融通が利かないタイプというやつである。

 そして真面目=高成績といかないのが営業の難しいところで、次の査定までの成績如何ではどこか僻地の支社に飛ばされるのでは、と専らの噂だ。


 だが、増田自身はそれを気にしている素振りはない。別の場所で心機一転、というのも悪くない。そんな気持ちらしい。


「小橋さん、チョコもらった?」

「貰いましたよ、見てください、この義理チョコ達を」


 と、デスクの引き出しを開ける。

 中に入っているのは伏見主任から貰った大袋のチョコに、その他の女性社員から貰ったハート型のピーナッツ入りチョコレートである。しかし、その中に彼の本命である瀬川優紀からのチョコはない。


「増田さんはいかがですか?」

「まぁ同じだよ。それで、さ」

「はい?」


 と、増田は同じようにデスクの引き出しからチョコの大袋を取り出すと、それを小橋に突きつけた。


「ん? 何ですか? それ……主任からのやつですよね?」

「そう! そうなんだよ。でもさ、気付いた? ヤツ!」

「……はい?」

「んもう、見ればわかるでしょ? 小橋さんのと違うんだよ。ていうか、このオフィスの男性社員の中で、僕のだけ違うんだ! 全員に確認したから間違いないよ!」


 ……だから?


 と、小橋は思った。

 けれども、相手は先輩である。

 それってただ単に数が足りなかったから違うのを買っただけなんじゃ、という台詞をぐっと飲み込んだ。それくらいは出来る男なのだ。


「いやぁ、困るなぁ。もしかして主任って僕に気があったりするのかなぁ」

「どうでしょうかね、アハハ……」


 乾いた笑いでその場をやり過ごす。幸いなことに、増田は小橋の引き攣った笑みには気付いていないようで、ただひたすら、困った困ったと照れている。

 ちらり、と隣の席を見るが、そこに片岡の姿はない。


 きっと主任にチョコをもらいに行ったんだろう。


 なんてのん気に考えて。


 ひとしきり、増田の自慢らしきものを聞かされうんざりしていると、その真の恋人である片岡が戻って来た。


 まずいなぁ。藍ちゃんって結構気にするっていうか、自分に自信がないタイプだから、「確かに俺なんかより増田さんの方が大人だし……」とか言い出しかねない。


「増田さん!」

「うわぁ、何だい小橋君、いきなり大声出して」


 増田はびくりと身体を震わせた。手に持っていた徳用チョコが、がさり、と音を立てる。


「僕、ちょっと仕事のことで聞きたいことがあるんですけど!」

「僕に? 中西班ウチは電子文具担当だけど?」

「そうですけど、でも、ほら、今後もしかしたらそっちの契約が取れるかもしれませんし!」

「あぁそうだね、伏見主任とかたまに取って来るもんねぇ」


 伏見主任、という言葉に、案の定、片岡はぴくりと反応した。けれども、2人の方を見ることもなく、黙々とキーを叩いている。

 その姿を見れば、チョコをもらえたかなんて聞かずともわかる。


 大丈夫大丈夫。絶対最後は上手くいくように出来ているんだよ、藍ちゃん。


 心の中でそうエールを送りつつ。


「増田さん、もしよろしければ、何か温かいものでも飲みながらお話しませんか?」

 

 とりあえず、増田の存在はいまの片岡にとって少々刺激が強い。遠ざけるのが得策だろう。そう判断し、「僕、何飲もうかなぁ」と大きな声で言って立ち上がった。その行動自体に深い意味はないつもりだったが、増田の方では、多少その声に背中を押されたらしく、「甘いものチョコがあるから、やっぱりここはブラックのコーヒーなんじゃない?」と無駄に髪をかき上げて席を立った。彼がいつも砂糖とミルクの入ったコーヒーを飲んでいることは、ほとんどの女性社員が知っている。ブラックを飲まねばならないほどチョコをもらった、というアピールのつもりなのだろう。


 

 その後、増田の携帯に彼の得意先から電話がかかってくるまで、『この場合、告白は男の側からするべきか否か』という捕らぬ狸の皮算用的なトークは続いた。仕事の話をしようと連れ出したはずなのに、コーヒーを買い、テーブルセットに向かい合うと、彼は伏見からのチョコを大事そうに1つ取り出しては思い出したように語り始めたのである。


 この場合もどの場合も、その可能性は0なんですよ、増田さん!


 とはなかなか言えず。

 へぇ、とか、はぁ、と中途半端な相槌を打っていたところへ、抜群のタイミングで電話がかかって来たというわけである。最初にも述べた通り、増田という人間はとにかく真面目なのである。だから、かかってきた電話にももちろん真面目に取り組む。ここが廊下だなんてことはすっぽりと彼の頭から抜け落ちてしまっているのだろう、「はいっ! お世話になっておりますっ!」「えぇ! 先日の件でございますねっ!」と、語尾のすべてに『!』がついているような声量である。


 その隙をついて――もちろん、表面上は「邪魔しちゃ悪いので」だが――、小橋はその場を抜け出した。


 たぶん、あの調子なら、戻ってすぐ色々調べたりしなくちゃならないだろうし、ぺちゃくちゃしゃべってる暇なんてないはず。


 しかし、時間とられちゃったなぁ、と思いながら廊下を歩く。といっても、急ぎの業務があるわけでもない。悲しい話だが、何せそこまで事務処理に追われるほど契約を取ってきているわけでもないのだ。

 だからこの後は明日からの営業計画を立て直して……と考えていると、「小橋君」と名前を呼ばれた気がした。


 どこから? と振り向く。その声が誰のものかなんて、すぐにわかる。わかるけれども、それだけに「幻聴かな?」という疑いも捨てきれない。

 なぜならその声の主は――、


「せ、瀬川さぁんっ!」


 つい最近彼が告白をし、そしていまだその返事をもらえていない瀬川優紀その人だったのである。

 

 瀬川はやはりバレンタイン仕様と見えて、ヘアスタイルも服装もいつもより気合が入っているように見える。あくまでもゆるく巻かれた髪は手櫛でざっくりとハーフアップにし、柔らかそうな白のブラウスに明るいピンクのカーディガンを羽織っている。どうやら彼女も今日は外回りの予定を入れていないらしく、フレアのスカートを履いている。


 もうストライク! 今日の瀬川さんてば完全に僕のストライクだよ!


 告白をしているという気まずさのようなものは、いまのところ、彼の中には存在していない。普通なら多少目を合せにくいであるとか、話しかけるのをためらったりするものなのだろうが、彼はその翌日からも元気よく挨拶をし、どんどん話しかけているのであった。


「はい、これ」


 そういう点ではむしろ瀬川の方が意識しているといえるだろう。ちょっと視線を外し、彼から多少距離をとって、おずおずと後ろ手に隠していたを彼の前に差し出した。


「わわわ……こ、これってもしかして……」


 手の平に、ちょん、と乗る大きさの小さな紙袋である。

 小さな女の子からある程度の年齢の女性にまで幅広く支持されている『KO-LIONコライオン』というライオンのキャラクターである。

 百獣の王としての威厳なんてすべてそぎ落とされた可愛らしいピンクのライオンで、それでも眉間に皺を寄せ、「こら!」と怒っているのだが、もちろんちっとも怖くない。


「チョコ。ぎ、義理だよ、義理!」

「そうですよね、義理ですよね。ってことは……」


 この間の返事もやっぱり、と肩を落とすと、瀬川はちょっと困ったような顔をした。


「えっと……それはもうちょっと考えさせてもらえない? ていうかね、小橋君、タイミングが悪すぎなの! これはから準備してたんだから!」

「そうなんですね。でも嬉しいです! コライオンちゃんかぁ~わいいっ!」

「可愛いよね、コライオン」

「ありがとうございます」

「はぁい。――あぁ、でも、ね」

「はい? ?」


 やっぱりちょっと気まずいのか、早々に立ち去ろうとしていた瀬川は何かを思い出したような顔をして振り向いた。


、皆には内緒よ」


 と、それだけを言って、今度こそいそいそと瀬川は去って行った。


 義理とはいえ、自分のためだけに用意してくれたそのチョコにどんな意味があるのか。


 そんなことちょっと考えればわかることだ。

 きっとこれが自分以外の人間の話であったなら、彼はすかさず指摘しただろう。


「それってつまり、ちょっと特別ってことじゃない?」と。


 けれど、彼は気付かない。

 それよりも、大好きな彼女が義理でも何でもチョコをくれた。

 ただその事実を噛みしめ、必死に笑みを堪えている。


 だって内緒って言われたんだから。

 我慢、我慢!


 と、主からの命を忠実に守る従順な飼い犬のように。


 だけど、藍ちゃんにだけなら良いかな?


 そんなことを思って、小橋光は軽い足取りでオフィスへの廊下を歩いた。


 


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