第58話『つかの間の日常に想いを』


 目覚まし時計の音で目が覚めて、僕はベッドから這い出して大きく伸びをした。

 ぽちりとアラームを止め、ぺたぺたと部屋を歩いて服を脱ぎ、洗濯機にそれを放り込んで熱いシャワーを浴びる。

 シャワーを浴びたら次は身体を乾かして、ようやく着慣れた下着をつけて、女の子らしい服を着る。


 グレーのシャツに黒のカーディガンを羽織って、キルトスカートを履く。

 支給の身分証明書とスマートフォンによく似た手持ち式の情報端末に、自衛用の小型拳銃をカーディガンの下に隠し、僕は姿見の鏡で自分を見る。

 黒髪に赤い瞳、それと何とも言えない地味な恰好の女の子がそこにつったっている。


 んー、かわいいかな? と僕は判断基準不明ながらに首を傾げ、諦めて外出の準備をする。

 僕が今、平穏な一日の始まりをそこそこ楽しんでいるのは、マリアネス連合加盟国、サンベルナール共和国の首都、ルテティアの郊外。

 ニルドリッヒ共和国から脱出してきた軍人や軍属は、対帝国路線のサンベルナール共和国が全面的に受け入れ、区画整理で更地にされた旧市街に住居が提供されている。


 住居といっても、僕らが出て行ったら公共住宅として貸し出す前提のものばかりだ。

 デザインや基本的なところは旧時代の地球パリの住宅からトレースして、複製建造物としていくつかの同型住宅がランダムに配置されている。

 その裏側には国の予算やら建築会社の受注減やら、いろいろと面白いゴシップがあるのだというのはガーティベルだった。

 準備を終えて部屋から出て、僕は鍵を閉めて目的地へとしばらく歩く。

  

 ―――ニュー・ワルシャワ攻防戦のあと、僕らはマリアネス連合へ脱出した。

 しかし、連合はいまだに開戦やむなしという対帝国派と、妥協案を模索すべしという宥和派が存在し、一枚岩ではなかった。

 歴史的に対帝国路線のサンベルナール共和国はまだしも、他の連合加盟国は帝国との全面戦争に否定的だ。



『パーシュミリア連邦とニルドリッヒ共和国が、緩衝国としてとても都合が良かったことの表れですね』



 ぐっぐっぐ、とガーティベルは笑いながら言ってたっけ。

 それからいろいろあって、もうかれこれ二週間が経っている。

 シュリーフェン帝国とマリアネス連合の休戦、―――これは僕らではなく、が定めた準備期間だった。



―――


 ルテティア郊外のとあるカフェで、僕たち任務部隊一七八九の面々が揃った。

 僕としては天気もいいのでテラス席がよかったのだけども、その席は高いということで、みんなカウンターの立ち飲み席に並ぶことになった。

 野球帽姿のおじさんが搭乗時間歴代トップの老骨、マルコム・フレミング大尉。


 不敵な笑みに皮ジャンにジーンズ姿の褐色姉貴が首都防衛大隊の問題児、メアリー・ラッセルズ少尉。

 異能生存体染みた奇跡の面白黒人、バルブレッジ・フィッシャー三等軍曹はカーゴパンツにポロシャツ姿でなんかダサい。

 それらを尻目に、カウボーイ風のデニムジャケットにジーンズ姿の教導隊の冷や飯食らい、ニール・サイモン准尉がクールに珈琲を飲んでいて、その隣にはそんな様子のサイモンを見ながらころころと楽しそうに笑っている赤毛のエルがいる。



「……で、地球連邦のなんだっけか。なんとかっつー部署の」



 まだ朝だっていうのに、ウェイターにムッシュと呼びかけて酒を注文しながら、メアリーがぶっきらぼうに言い始める。

 立ち飲み席だというのにカウンターに対して身長が足りていないハルが、ウェイターにお子様用の足長椅子を提供してもらうのを尻目に、マルコム大尉が答えた。



地球連邦宇宙軍植民地艦隊E.F.S.C.F紛争調停監視機構D.M.M.Oの二等戦艦だ。この老いぼれより記憶が怪しいとは酷いもんじゃな」


「それそれ。そこのドミニオン級《カストラ・ウェテラ》が来てから、一方的に停戦期間を設けちまったじゃねえか。あれってどうなんだよ?」


「んしょっと……。どうなんだと言われても、マリアネスは地球連邦の人類植民地圏域にありますから」


「そう言ってもよハル」


「ハルじゃありません! 少佐です!」


「はいはい、少佐。つってもたかが一隻なんだろ? 帝国が大人しく従うのか?」


「地球連邦軍の技術レベルはマリアネス単体では追いつけないレベルです。従わざるをえないでしょう」



 そこでようやく、各々が最初に頼んだものがカウンターに並ぶ。

 とはいってもほとんどが珈琲エスプレッソで、僕はとりあえず苦いのが苦手なので砂糖とミルクを入れてちょっぴり飲む。

 とても熱い。舌をちょっと火傷しちゃった。



「マリアネスのいかなる勢力も、地球連邦の軍艦には敵いませんよ。ガーティベル、最新データを皆さんに」


『アイアイ・マム。皆さんこちらでもご覧になればご安心できると思いますよ。もし不安になったらベーコンを讃えると精神が安定します』


「ベェールぅー?」


『おおっと』



 ちゃらりん、と官給品につきものなデフォルト着信音を響かせた携帯端末で、僕らはその最新データとやらを見た。

 それはマリアネス連合が加盟国全土に発信しているネットニュースで、見出しは大々的に『帝国宇宙軍、《カストラ・ウェテラ》と交戦!!』とある。

 そしてその下にはサブタイトルのような大きさで『地球連邦の威光示したり』とセンセーショナルな感じに書かれてあった。


 重要なのは、それに添付されていたネットニュースとは別の資料のほうだ。

 わけのわからない数値と技術用語が書かれていて、帝国艦隊が使用している武器すべてが『実質的に無力』であると結論付けている。

 実体弾による攻撃も、光学兵器による攻撃も、マリアネスに存在する技術レベルでは、かの二等戦艦の防護フィールドを貫通できない、と。



「………冗談キツイぜ」



 最初に口を開いたのは、フィッシャーだった。




「超常現象的ってのは真面目に分析しての結果かよ」


『真面目に分析して解析に当たりましたが、我々の見解では超常現象的サイオニックとしか表現できませんね。まさに規格外です』


「たかが一隻で戦争を止めちまったってわけかい。ありがたいこった」


『ありがたいとは言い切れませんね。停戦期間の実現は、地球連邦がシュリーフェン帝国とマリアネス連合の戦争を認めたことになるんですよ』


「戦争やってたオレたちにとっちゃ、そんなもん関係ねえだろ」


『我々は猛烈にカリカリベーコンを所望しますよ、ハル。この人は信仰のない野蛮人です』


「なんだとこのシリコン頭」


『水風船とシリコン頭の対決ですか? B級映画にもなりませんよ』


「おいおい、また始まったぞ。――あー、ムッシュ。日替わり料理を一つ」


「フィッシャー、今日は経費で落ちないんじゃぞ。自腹になる」


「日替わり料理くらいならおれだって払えるさ」


「だといいんじゃが」



 僕はフーフーとカフェラテになった珈琲を冷ましながら、そんな会話を遠巻きに楽しんでいる。

 メアリーとガーティベルのそりが合わないのは、共和国から脱出しても変わらないし、フィッシャーはいつでもマイペースだ。

 マルコムのおじいちゃんは、そんな連中を息子娘のように見ながら常識枠に収まっている。


 ハルは珈琲が苦くて顔を顰めて、それを見たウェイターがにっこにこで珈琲の上に山盛りにホイップクリームを盛り付けていた。

 子供扱いされたことに対してハルが機嫌を損ねるかと思いきや、山盛りのホイップクリームにハルは目を輝かせて「ありがとうございます」とウェイターに頭を下げている。

 一方で、エルとサイモンの二人は本当に二人だけの空間にいて、最高にお似合いのカップルといった雰囲気になっていた。

 サイモンがグラタンを食べていると、唇の端にクリームがついて、エルがそれを指先ですくってぺろりと舐める。



「……なにかついてたのか?」


「隙ありですよーだ」


「まだ怒ってるのか、ずっと謝ってるだろう」


「女の子一人をかっこよく守ったつもりでしょうけど、ボクは見捨てられたと思いましたからね。この世の終わりです」


「本当にすまないと思っている。でもあの時、おれは絶対に戻ると約束したじゃないか」


「女の子に約束したらすぐに守らなきゃだめなんですよ?」


「努力はしたんだが………、すまない。埋め合わせはする」


「んふーふ、楽しみにしてますよ♪」



 サイモンを困らせながら、エルは彼女の頼んだティラミスをぱくりと口にして顔をほころばせる。

 エルと僕は共和国では軍の備品扱いだったが、このサンベルナール共和国では規則として軍人として扱われている。

 なぜなら、サンベルナール共和国では電源ユニットというものは存在せず、そうした存在を国内に引き入れるために新たな手続きを設けることは効率的ではないとされたためだ。


 そのため、エルも僕も、僕らのような他の電源ユニットたちも、すべてが軍人か軍属としてこのサンベルナール共和国にいる。

 僕がこの世界で目覚めたとき、人間ですらない悲惨な扱いの末にS-175に救われ、その後も度々、人間ではないということを何度も思い知らされたというのに。

 ここでは僕らは、なんの苦労もなく、ただ面倒だからというそれだけの理由で、僕らは人間になった。


 


 僕らはここに来て、ようやく人間らしい生活を送れるようになったのだ。

 それが、期限付きの停戦という限られた時間のなかであったとしても。

 まちがいなく僕らは、ようやく人間になれたのだ。



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