第56話『愛してるよ』
戦闘後の偵察により判明したのは、帝国軍の攻勢戦力の三分の一を僕らが粉砕することに成功し、撤退戦における峠を越えたということだった。
直接的には宇宙艦隊の軌道上爆撃によって物資集積所、ならびに戦線中腹に至るまでの前線駐屯地が壊滅し、最前線においてもシミュラクラ部隊が暴れまわったのだ。
敵は後方に下げていた予備戦力と移動を待っていた部隊だけが難を逃れることができ、これでは攻勢どころか再編成すら難しいとフランシス・シュヴァルツ少将が宣言する。
本来は士官学校の講堂として使われていたところにずらりと座ったのは、先の戦いに参じた兵士たちだ。
第四装甲騎兵師団《トファルディ》、第九首都防衛師団《グルィフ》、第七独立連隊《スカンチスキ》、そして海軍陸戦隊任務部隊一七八九。
そうした兵士たちの視線を一身に受けながら、フランシス・シュヴァルツ少将は続ける。
「これは我々の勝利であると同時に、敗北だ。我々は連合に身を寄せ再起を図る。この決定に変更はない」
戦術的勝利はイコール戦略的勝利ではないと、僕の頭の中のマニュアルが疼く。
ニルドリッヒ共和国はすでに国家としての体裁を成しておらず、中央意思決定機構は現在に至っても所在不明。
それは軍においても同様で、頭がないのに動けているのは建国以来アップデートを繰り返し周到に計画された撤退計画によるものだ。
共和国軍は陸軍、空軍、海軍と宇宙軍があり、地上に拠点を有する陸軍、空軍、海軍においてはそれぞれが独立、連携している
たとえば海軍は軍事計画《プロジェクト09》を、陸軍は軍事計画《プロジェクト11》を、そして空軍は軍事計画《プロジェクト3》を、という具合に。
これはつまるところ、ニルドリッヒ共和国の本土失陥に伴い、その人的資源と装備等をマリアネス連合領域へ脱出させるものとなっている。
これらの計画を完遂するために、指導部を失った軍部は現場指揮官の判断でそれぞれが計画のために動いているのだ。
それだけの現場指揮権の融通を取っていたことが幸いしたのだと、僕の中に焼かれたマニュアルがやっぱりそう主張する。
いい加減ウザいなと僕がため息をついている傍ら、シュヴァルツ少将の声は演説じみたものに変わっていた。
「共和国は我らが生きる限り滅びない。敵軍が我らから取り上げたものを、我らは剣で取り戻そう」
すっと、シュヴァルツ少将は講堂を見渡した。
中には不自然な空席があったが、その空席の机上には略帽が備えられている。
先の戦いで戦死した兵士たちの席だった。
「―――共和国に幸あれ。戦士の眠りに安らぎあれ」
以上、解散と彼は事務的に言った。
拍手と称賛の声が講堂に響き、そこに嗚咽をかみ殺して鼻を啜る音が混じっていた。
僕は泣きもせず拍手もせず、ただその音をじっと聞いていた。
―――
それから数週間に渡って、僕らは比較的平和と言える生活を送った。
ニュー・ワルシャワでの仕事は主に鉄道車両に物資を積み込む作業がほとんどで、それがない日は軽い運動をした。
そんな日々の中で生理が来て気が付いたら下着どころか運動着まで血まみれになっていた。
なんだなんだと駆け付けた男連中を、僕の状態を察したメアリーとエルの二人で瞬殺していたのがなんだかコメディみたいで面白かった。
けれど、面白かったのはそこまでで、僕の生理は身体に埋め込まれた鎮痛データとかのせいでおかしいと軍医が診断して、ためしに鎮痛データを抜いたあとはもう最悪だった。
下腹部に純鉛製鈍痛発生装置でも埋め込まれたようで、痛みに悶え気持ち悪くなり、僕は医務室から帰る道のりでぶっ倒れて胃液をげーげー吐いた。
気が付いた時、僕は知らない天井を見つめていた。
そこそこふかふかな寝床にぶかぶかの寝巻、そして点滴がされている。
部屋を見回してみるとちょっとしたホテルの一室のようで、ベッドの隣にはエルの姿があった。
「あ、起きましたね。生理痛が酷そうだから個室を貸し切ったんですよ」
それからはエルのお世話になって、初体験の生理痛という悪魔が考えた拷問のようなものに耐えた。
たまに見舞いにくるメアリーなんかは「そんなに重いとか不健康なんじゃねえの」とトンデモないことを言って僕の口に缶詰のパイナップルをねじ込んできた。
甘いデザートは大丈夫らしかったので、僕はねじ込まれたパイナップルをもぐもぐと容赦なく食ってやって、まさか食われるとは思ってなかったらしいメアリーを不機嫌にさせてやった。
夕方あたりにハルが暇を作って、僕にS-175との通話用のインカムをくれた。
見た目通りに幼女であるハルは将来的に体感することになるだろう、生理とはどんなものなのかを僕にしつこく聞いてきた。
いや僕だって初体験でもうなにがなにやら、と申し訳なく答えると、どこからともなくあの、
「ぐっぐっぐ」
というくぐもった笑い声がして、ガーティベルに盗み聞きされていたと知ったハルは恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にして部屋を出ていった。
これは僕の私見なのだけれども、きっとハルはガーティベルに怒鳴り込みに行っていつもみたいに「ベーコンを讃えましょう」と言われて、さらに激怒すると思う。
どれだけ専門的な教育を受けてもハルはまだ一五歳にもなっていないのだから、そうなるのは当然だしとっても健全でほほえましいと僕はすーっと身体から力を抜いて天井を眺めた。
「みんながみんな面白い人ですよねぇ。こんな時期なのに誰も後ろ向きじゃないんですもん」
「………エルも、ごめん。サイモン准尉と一緒にいたいだろうに、僕がこんなんで……」
「女の子ですから仕方ないですよ。気分はどうです?」
「最初に比べたらよくなった、かな。……タンポンて、ああやって使うんだね」
「ソニアちゃんの初体験ですねー。おめでとうございます」
「ど、どういたしまして……」
横になる僕の下腹部をそっと撫でてくれているエルは、本当はサイモンと一緒がいいんだろうなと僕は確信しながら恥ずかしさを感じつつも彼女の手を握った。
不思議とこうしてお腹を撫でてもらっている間はちょっとはマシだし、手を繋いでるだけでも気分がよくなったりするので、僕はもう面倒見のいいエルにべったりだ。
インカムでS-175と喋ろうとも思ったけれど、彼は彼で戦闘のデータまとめや鉄道の時刻表などの修正作業に駆り出されてて生憎と退席中だった。
「ちょっと重い生理痛みたいですね。今度は薬とか事前に備えておきましょうね」
「うぅ………こんなのが一か月おきにあるだなんて、知らなかった……」
「んふふ、女の子の秘密の一つですからね」
ころころと笑いながらエルがそう言って僕の手に指を絡ませてぎゅーっと握る。
僕なんかよりもサイモン准尉のところに、という思いが生理痛みたいにぐるぐる腹の底で溜まっていたけれど、エルの手が僕を撫でてくれているのを感じていると、それすら穏やかに収まっていくように思えた。
第一、僕なんかが考えるよりもエルとサイモン准尉の繋がりは強いのだから、僕なんかがなにを言ったところで余計なお世話かもしれないし。
「連合に脱出して休暇が出来たら、今度はお洋服も見繕ってあげなきゃですねー。楽しみが増えて僕はうれしいですよ」
かくいう当人は、やっぱりころころと蠱惑的な、それでいて猫のように可愛らしい笑みを浮かべながら、僕の着せ替えを思案しているようだったけど。
―――
僕が生理痛に苦しんでいる間、第一撤退組として連隊長マチェイ・バランスキ大佐率いる第七独立連隊《スカンチスキ》と奇跡の合流を果たした第五〇一機甲連隊が連合へ輸送された。
第二陣として選ばれたのは機体弾薬、双方ともに損耗の激しい第四装甲騎兵師団《トファルディ》と、揮官代理のリシャルド・パーカー大佐たちだった。
パーカー大佐は戦力的に《トファルディ》が殿を務めるのがもっとも時間稼ぎができるだろうと主張していたが、ここで《トファルディ》をさらに失うのは惜しいとシュヴァルツ少将に説得された形だ。
リシャルド・パーカー大佐は指揮下にある将兵がすべて列車に乗り込んだのを確認し、最後にニュー・ワルシャワの地から足を離した。
彼はゆっくりと振り返って、見本のような敬礼をしたのを僕は忘れられない。パーカー大佐から敬礼を受けた後続組は、不屈の《トファルディ》に返礼した。
このニュー・ワルシャワ撤退戦でもっとも激しく戦い、戦死者を出したのは《トファルディ》であることは紛れもない事実だ。
そして最後に、第九首都防衛師団《グルィフ》と海軍陸戦隊任務部隊一七八九がニュー・ワルシャワから撤退した。
敵の追撃もなく、列車の旅は順調に続いて、僕は次の生理に備えて必要なものをリストアップしたり、S-175とゆっくり喋ったりした。
僕がなんとなく彼に「愛してるよ」と行ってみると、彼は二〇秒くらい沈黙して「理解している」と返してくれた。
それがなんだか、僕にはとてもうれしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます