お題でつくる短編集
野森ちえこ
○お題1―カツラ/上司/告白―
「カツラ、ですか」
「うん」
神妙な顔をした課長から話があると、小会議室に連れてこられ、いったいおれはなにをやらかしたんだろうかと内心びくびくしていたのに――なぜ、カツラ。拍子抜けにもほどがある。
だがしかし、茶化せるような雰囲気ではない。課長はどこか必死で、切羽つまっているように見える。
「ええっと……カツラをつくりたいんですか?」
でっぷりと肥えてはいるが、まだ額は後退していないし、後頭部もふさふさだ。
「そうなんだ。……娘のを」
「……お嬢さん、ですか」
「このまえ、がんがみつかってね」
「え」
「これから治療にはいる。抗がん剤とか放射線治療とか、副作用があるだろう。だから、今のうちにね、自分の髪で、自分のカツラをつくりたいというんだ。それで、きみのご実家が美容室を営まれているというのをふと思いだして、相談にのってもらえないだろうか、と」
ふだんと変わらないおだやかな口調で、予想外の重たい告白をされしばし絶句してしまう。
つまり、医療用ウィッグをつくりたい、ということか。
そういえば、前に母親がそんな話をしていたことがあったような気がする。医療美容の研究会がどうのこうのと。興味がなかったので、内容はまるでおぼえていないが。
「娘が中学にあがってすぐ妻が亡くなってね。あの子は遊びたいさかりに、文句もいわず家の仕事を一手に引き受けて、私の面倒まで見てくれて……いい子なんだ、ほんとうに。そう思うのは、親の欲目じゃないと思うんだ」
「…………」
「ああ、すまない。正直、かなりまいっているみたいだ。とにかくね、私にできることはなんでもしてやりたいんだ。治る可能性は十分にあるとお医者さまもいっていたし、今度は私が支えてやりたい。力を、貸してもらえないだろうか」
そんなふうにいわれて拒否できるほど鉄面皮ではないし、ここで恩を売っておいても損はないだろうという打算もちょっとあった。
「わかりました。今晩にでも母に電話してみます」
「ほんとうかい! ありがとう、感謝するよ」
それくらい、たいした手間でもない。あとは、おせっかい好きの母親に任せておけばいい。なんて、実に軽く考えていた。
まさかこの数日後、生まれてはじめて『ひと目惚れ』をすることになるなんて。やがて、この上司を『お義父さん』と呼ぶことになるなんて。このときは想像もしていなかったのだが、それはまた、べつの話だ。
【完】
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