第19話、珍客登場

 『 すみれ荘 』に戻って来ると、アパートの前に車が停まっていた。

 ・・古い、黒塗りのベンツだ。

 当然、かなり型落ちした中古の為、価値はあまり無いだろう。 しかし、他の車を圧倒するに相応しい凄みをムンムンと放出させ、『 そのスジ 』の方々にはピッタリな、大変にゴキゲンな車である。

 玄関の軒下にある裸電球の薄暗い明りに照らされ、運転席に座っている人影が確認出来た。

 太ったスキンヘッドの男・・・ ナゼか、爪楊枝をくわえている。


 ・・おおう・・! 目線が、合ってしまった。 知らんぷり、知らんぷり・・!


 慌てて視線を外し、玄関を開ける。

( 何で、こんなトコに停まってんだ? すみれ荘に、用事かな? いや、そんな知り合いは、ココには住んでいないハズだ )

 不安を感じながらも、玄関に入り、そそくさとガラス戸を閉める。

 ・・スキンヘッドのオッちゃんが、じ~っとこちらを見ている。 どうやら、眉毛が無い。 マトモな人間では、なさそうだ・・!

 ハンスが、僕に聞いた。

「 なあ? あの人の頭、脱毛症? 」

「 余計なコト、言ってんじゃねえよ・・! やめいっ、見るなっちゅうに・・! ナニされるか、分からないぞ? 早く、部屋へ行こうぜ 」

 僕は、ハンスをせかせ、足早に廊下を歩いた。

 玄関の外で、『 ドン 』という、車のドアを閉める音が聞こえる。

「 ・・降りて来たぞ・・! 早く来い、ハンス! 」

 続いて、ガラス戸を開ける音が、背後から聞こえて来た。

( うわ! 入って来やがった・・! )

「 んが、ごわぅァああァあああ~、・・ぺっ! 」

 タンを吐き捨てる声。

 超、ヤバイ・・! ヒトの家の玄関で、平気でツバを吐くヤツだ。やっぱ、マトモじゃない。

 ハンスが、男を振り返り、言った。

「 こら! そんなトコに、ツバを吐くな! 」


 ・・んな・・ な、ナニを言っとんじゃ、お前・・?

 ダレに言ってんのか、分かってんの?


 僕は、ソッコーで、この場を逃げ出したい心境に駆られた。

「 おおぉ~~・・? 」

 じろりと、ハンスを見る男。

 ・・目が、イッとる。 ソッコーで、キレあそばした、ご様子である。 もう知らん・・!

 ハンスが、ツカツカと、男に歩み寄った。

 更に凄む、男。

「 ・・あんじゃ、ワレ? やるんかァ、ゴルアッ! 」

 ハンスは、男の目の前まで行くと、男が着ていたブレザー( 縦じまストライプ )の胸ポケットに挿してあった白いネッカチーフを取り、言った。

「 コレで、拭いて掃除して 」

「 はああああァ~~~~~~~? 」


 も・・ もう、アカン・・!


 男の顔が、みるみるうちに、仁王様のような形相へと変貌していく。 火に油を注ぐどころか、プラスチック爆弾( C―4、信管付き )を投げ込んだに等しい暴言。 コイツも、マトモじゃない。 さすが天使だ・・! 殺して下さい、と言っているようなものである。 ビデオカメラがあれば、是非、この会話を録画しておくのも一興だったかもしれない。

 ハンスの胸ぐらを掴み、男は騒ぎ始めた。

「 ワレ、なんやと、ゴルアッ! ヤンのか? おおっ? お~っ? ヤンのかァ? おおお~っ? 」

 ・・・あんまし、その服を掴まないで~ 僕の服が、破けちゃうよ~・・・!

 ハンスは、胸ぐらを掴まれたまま、男の顔に手を伸ばすと、眉毛の無いその額に、右手の人差し指・中指・くすり指を添えた。

「 ・・・? 」

 男が、ぽか~んとしていると、ハンスはニッコリ笑いながら、左指で右手の中指を持ち上げ、『 バチッ! 』とデコピンした。

「 あははっ! イイ音! ね、ね、アタマにやってもいい? ってか、やっちゃう! それっ! 」

 ツルツルのアタマに響く、小気味良い音。

「 あははは! ポコン、だって! 中身、入ってないんじゃないの? 君 」


 と・・・ トドメの発言だ。


 もう、収拾は不可能だろう。 おそらくこの男は、理性を失った大魔人様のように、暴れ出すに違いない。

 はたして男は、プルプルと体を震わせ始めた。 右の目の下辺りが、ヒクヒク動いている。

 ハンスが言った。

「 どうしたの? オシッコ? そこにトイレ、あるよ? 」


 ・・・もう、ヤメてくれ。 お願いだから。


 続ける、ハンス。

「 多分、暗いからさ。 気を付けて入りなよ? テキトーに出したら、ダメだからね? ちゃんと、外に漏らさないように、行儀良くするんだよ? 」


 ・・・トイレの使用法を心配する前に、自分の身を心配しろ、お前。


 はたして、怒りで顔を真っ赤にした男が拳を上げ、ハンスを殴ろうとした瞬間、男の腕の動きが止まった。


「 ・・・? 」


 どうしたのだろうか? 男は、じっと、ハンスを見つめている・・・

 ハンスもまた、男の目を見つめている。

「 ・・・・・ 」

 しばらく、じっとハンスを見つめていた男の表情に、変化が現れ始めた。

 訝しげに・・ あるいは、恥ずかし気な表情だ。

 何度も、ハンスの視線から目を反らそうとするのだが、男の目は、自分の意志を阻止されたかのように、またハンスの視線に戻って来る。 何かに脅されたように・・ いや、諭されているかのようだ。

 男の凄みが、急速に弱まっていく。 大人に叱られた、幼児のような、男の表情・・・

 男は、ハンスの胸ぐらを、ゆっくりと放した。

 服の乱れを直しながら、ハンスが言った。

「 ・・汝、人を愛せよ 」

 男は、両足を、これでもかというくらいに、ガニ股に開き、その両膝に両手を乗せると、頭を下げて言った。

「 失礼しました。 アニキ・・・! 」


 ・・・どう言う事だ?

 先程までは、首輪を解き放たれた狂犬の如き、殺気を帯びていた男なのに・・ 今は、すっかり冷静さを取り戻している・・!


 更に、太った大きな体を窮屈に曲げ、ハンスから渡された自分のネッカチーフで、床を拭き出した。

 ハンスが、男に言った。

「 それ、トイレの水道で洗いなよ? 」

「 お借りします 」

 キチンと、ハンスにお辞儀をして( がに股の格好 )、トイレに入って行く、男。

 ジャージャーと、水道の音が聞こえ始める。


 ・・・洗脳か・・・!


 初めて見た。

 精神を操作したのか、過去の記憶を消したのか定かではないが、ハンスが、男の心を洗脳したのだ。

 僕は、胸を撫で下ろした。 どうやら、最悪の情況は回避出来たようである。


 男は、協同トイレから出て来ると、僕に向かってお辞儀をし( がに股の格好 )、言った。

「 水道、使わさせて頂きました 」

「 ・・え・・? あ・・ ああ、構わないけど 」

 イチイチ、がに股の格好で挨拶するのは、ヤメて欲しい。 まるで、ヤクザだ。 ・・ヤクザか・・・

 僕は、おそるおそる尋ねた。

「 あの・・ 今日は・・ こんな遅くに、何か用事でしょうか・・・? 」

 男は、早速、がに股になって膝の上に両手をつくと、幾分、俯き加減になって答えた。

「 へい。 実は、ウチんトコの叔父貴が、このアパートの土地をブン盗ろうってんで・・・ こんなボロアパート・・ ブッ壊して、ピンサロでも、おっ建てようってコトで・・・ 大屋のバアさんを、カチ上げに来たんでさ 」


 ・・・丁寧に、恐ろしいコト、平然と説明してくれるね? 君。

 でも、それは非常に困る。 少なくとも、あと1年は、僕、ココに住むんだけど・・・?


 ハンスが聞いた。

「 で、君んトコの叔父さんは、今、おきぬさんと話し合い中かい? 」

 男は、がに股で、頭を下げたまま答えた。

「 へい。 奥の部屋で脅して・・ いや、話し合い中です 」

 あの気丈な、おきぬさんだ。 多少の事では動じないとは思うが、相手が相手だ。

 男が、頭を下げたまま言った。

「 オレが行って、ヤメさせます。 悪い事は、しちゃいけねえんでさ・・! ナンでオレら、こんなコトしてんのか、よう分からんですわ 」

 ・・・見事な洗脳だ。

 しかし、この男が行って、事態が収拾出来るのだろうか? ただの、運転手のような気がするが・・・?

「 行ってめえりやす 」

 下げていた頭を、更に下げて( お尻の方から、ミシッ、バリッ、という音が聞こえた )お辞儀をすると、男は、廊下に上がり、歩き始めた。 ・・だが、すぐに戻り、玄関先に窮屈そうに屈むと、脱いだ靴をキチンと揃え出した。

「 失礼、しやした・・ 」

 僕に一礼し、廊下を歩く男。

 メッチャ、几帳面になっている。 しかし・・ 言葉使いが、大阪弁から江戸前に変化しているのは、ナゼだ・・・?

 僕は、歩いて行く男の姿を見送り、ハンスを振り返って言った。

「 ・・大丈夫かな? 」

 無言でウインクを返す、ハンス。 だが、心配だ・・・!

 僕は、イザとなったら警察を呼ぶ為、携帯を出して準備しながら、男の後について行った。


 大屋である、おきぬさんの部屋は、1階の突き当りである。

 部屋のドアの窓ガラスからは、灯りが見え、人の気配がする。

 男は、ドアの前に立ち、深呼吸した。 次に、首を左右に傾け、ポキポキと音を鳴らす。 両肩をぐるぐる回した後、両膝に両手を突き、屈伸運動。 両足を開き、腰を、クイックイッと捻る。 更に、両手首をプラプラさせた。


 ・・・何の意味があるの?


 ブレザーの左懐を開け、短刀を出し、少し鞘から抜いて刃を見る。 安心したように、再び短刀を納め、ブレザーの両襟を正した・・・

 ・・ドスの確認なんぞして、どうする気だよ、おい・・! そんなん、置いていかんか。

 男が、ドアをノックして言った。

「 叔父貴、入りやす( 発音:へいりやす )・・! 」


 ・・・はたして部屋の中には、おきぬさんと、パンチパーマをかけた人相の悪そうな男が、仲良くコタツに向き合って入りながら、テレビのバラエティー番組を見ていた・・・


「 おう、アキラ。 どうした? 入れ 」

 パンチの男が言った。

 てっきり、激しい口論と罵声が飛び交っていると想像していた僕は、全くもって拍子抜けした。 あまりに静かなので、ドアを開けると、おきぬさんが血まみれになって倒れており、男が、権利書なんぞを物色している光景が目に飛び込んで来るのかとも思ったが、そうでもなかった。

( 何か、様子がヘンだぞ・・? )

 おきぬさんが、コタツの上に置いてあったみかんを手に取り、僕に言った。

「 真ちゃん、みかん、食わんか? 」

 ・・ンなモン、食ってる場合と違うぞ? おきぬさん。

 しかし、どうなってんだ? ココは・・?

 メッチャ、庶民っぽい平和さが、漂っているような気がするんだが・・・?

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