第17話、バイト奮闘記

 時計の針が、午後6時頃を回ると、次第に客が増えて来る。

 夕食時だ。

 季節的に暖かくなって来た為もあり、ざるソバの注文が増えて来た。

 蒸篭( せいろ:ざるソバを盛る、井桁型の木製器 )は、洗い難いので、使ったものから順に、洗い場の隅に積み上げて置き、後でイッキに洗う。 高さは、優に、僕の背丈を超えた。

「 真一、そろそろ蒸篭を洗ってくれ。 トーテムポールのようになっとるぞ 」

 大将に言われ、洗い場に入る。


 ・・・おおう・・・!


 まるで、爆撃にあったような惨状だ。 及川の部室と、そう大して変わらん。 洗い場のステンレス槽から、床・サイドカウンターに至るまで、洗い物の山である。

 ビニール製のエプロンを掛け、特大スポンジに、業務用洗剤をたっぷり染み込ませると、僕は、大量の洗い物に着手した。

 ステンレス槽の底が、泡立つ洗剤の泡で、見えなくなる。

「 悪ィい、ついでだ 」

 大将が、小麦粉でコテコテになったボウルを、ステンレス槽の泡の中に放り込む。

「 コイツも 」

 タカちゃんが、味噌汁の具入れに使っていた、欠けた茶碗をサイドテーブルの上に置いた。

「 コレもな 」

 大将が、追加で、生エビが入っていたプラスチック製のタッパーを、泡の中に放り込む。

 どんどん、洗い物が増えていく。 もう、勝手にしてくれ。

「 ! 」

 僕の目に、すぐ足元の床を走る『 黒いモノ 』が映った。

 長い触角を揺らし、無数の足を、忙しく交互に動かしながら床を疾走する昆虫・・

 そう、ゴキブリだ・・!

 食い物屋、最大の敵である。

 すぐに退治しなくてはならないが、厨房内は、上半身がお客さんからも見える。 いかにして、叩き潰している姿を見せずに処理するか・・・ ココは、相当な熟練の技を要する。

 チラッと、愉快そうに床を疾走する『 ゴキ子 』の姿を見とがめた、大将。

 ・・さすが、食い物屋のプロだ。 『 非日常 』的な光景には、瞬時に目が行く。

「 タカちゃん、5番だ 」

 そう言いながら、空いている胴鍋をタカちゃんに渡しつつ、床には目を向けずに足を出し、ぷちっと『 ゴキ子 』を、長靴の底で踏み潰した。 ちなみに5番とは、『 市松 』内の隠語で、ゴキブリの事である。

 胴鍋を受け取ったタカちゃんは、無言のまま、ソバを冷やす為に溜めてあったステンレス水槽の水を汲み、大量に床にぶちまけた。 昇天した『 ゴキ子 』が、瞬時に排水溝に吸い込まれて行く・・・

 見事な、卓越したフットワークである。 しかも、床を見ずに、イッパツで『 ゴキ子 』を踏み潰す妙技なんざ、無形文化財にも匹敵する。

 大将は、何事も無かったかのように、テンプラを揚げ始めた。


 ・・・そう・・・ ナニも無かったのだ。


 僕は、ナニも見ていない。

 この店では、『 ゴキ子 』など、1度も出没していない。 そう言う事になっているのだ。 これで、良いのだ・・・


 大将が、エビを揚げながら言った。

「 あいつらの、存在理由が分からん・・・ 」


 ・・・確かに。


 ゴキブリを、好んで捕食する動物を、見た事が無い。 猫は、面白半分に捕まえ、『 報告 』をしに、持って来る事があるが・・・


 この世の生態系は、全て、輪廻している。 植物を草食動物が食べ、肉食動物が草食動物を食べる。 両方を食べる人間も、やがては、土に帰る。 土に染み込んだ栄養を吸収し、植物は成長する・・・

 その、ドコにも属さない『 やつら 』。

 ただ、増えるだけだ。 ナンと、水だけで百日も生きられるのだ・・! しかも『 やつら 』は、アンモナイトが海の中を回遊していた時代から、生きていると聞く。


 ・・でも、世界中に『 やつら 』が溢れないのは、ナゼだ・・・?


 山のような洗い物を片付けながら、僕は、そんな事をよく考える。 無意識に洗い物をしていないと、飽きて来るからだ。

 考え事は、何でも良かった。

 流行りの歌、週刊誌の記事、課題の事、事件の事、世界情勢に株価、占い・・・

 香住の事を考えていても良いのだが、顔がニヤけ、ヘタをするとボ~ッとして、どんぶりを落としかねない。 何しろ、この『 市松 』のどんぶりは、ヘルメットのように、デカいのだ。 お客に出すソバの内容量は、普通と変わらないのだが、とにかくデカい。 大将曰く、「 大きなどんぶりで食べるソバは、ウマイ 」。

 確かに、そうかもしれない・・・

 ダシの香りを、嗅ぎながら食する所に、大将のこだわりとやらがあるらしい。


 洗い場が、元の姿に戻る頃、時計の針は、8時を廻っていた。


 ・・・腹が減った・・・!


 今なら、ヘボ( 蜂の子の事:超グロテスク )でも、食べれそうだ。

 客層は、夕食から、酒を目的とした客に変わり始めている。 空き始めたテーブルを拭いて廻っていた僕に、大将が声を掛けた。

「 メシにしようか、真一 」


 ・・・来たっ、待ってました!


 自分で、湯飲みに茶を注ぎ、トレイを持って、ウキウキ顔でカウンターに行く。

 カウンターの上には、『 市松 』の特大どんぶりが、湯気を立てて置いてある。 僕の分だ。 どんぶりのデカさが、ミョーに嬉しい・・!

 奥さんが、大き目の茶碗に、山盛りのごはんを盛ってくれている。


 おおう・・! ウマそうだぜ・・!


 でも奥さん、その・・ しゃもじで、ごはんをペンペン叩きながら盛るの、ヤメてくれません? タクアンが、ごはんの山に、キレーに、メリ込んでるんですけど・・・

「 はい、真一君! てっぺんに、さくらんぼ、乗せちゃった! キレイでしょ? 」


 ・・・ナンで、ごはんの山の頂点に、さくらんぼが乗ってるの・・・?


 奥さんは、時々、不可思議な行動をする。 まあ、イタズラ程度なので、問題は無い。 大学のアホ共に比べたら、可愛いモンだ。


 僕は、早速、さくらんぼ付きごはんと、どんぶりをトレイに乗せ、店内の隅のテーブルに運ぶと、食べ始めた。


 うめえっ・・! 死ぬほどウマイ!


 空腹なのだから、尚更である。

 だが・・・ ソバの中に入っている、このテンプラの中身は・・ ナンだ・・・?

 大将は時々、ワケの分からないモノを、まかない食に出す。 半分、趣味である。 まあ、食えないモン( スリッパなど )が入っているワケでは無いので、空腹の極致の僕は、お構い無しに、そのテンプラにかぶり付いた。


 ・・・グニャッ、とした感触・・ 中身は、トマトだった・・・


 厨房の方を見ると、立ち上る湯気の向こうに、ニヤニヤしながらコッチを観察している大将の顔が見える。

( ・・・どうせ、特大エビのテンプラに見えるコイツも・・・ )

 僕は、どんぶりの中に横たわる『 贅沢そうな 』エビのテンプラを、箸で摘んだ。


 ・・・尻尾は、簡単にすっぽ抜け、見事に衣だけのテンプラだった。


 何も中身の無いテンプラを、ここまで忠実に衣を固めて揚げるのは、実際、かなりの技術が要る。 油でハネて、衣が、固まりにならないからだ。

 尻尾だけのエビを箸で摘み、厨房内にいる大将に、報告がてら、無言で見せる。

「 ぎゃはははは! 」

 腹を抱えて笑う、大将。 指まで差し、物凄く満足そうである。 シアワセな人だ・・・

 カマボコも、ここまで薄く切れるのか? と、感心させられるくらい薄い。 更に、それを爪楊枝でシワを寄せながら刺し、フライパンで軽く焼きを入れ、表面を固めて、爪楊枝を抜くという懲りよう・・・


 創作料理に転向した方が、良いんじゃないのか?

 このカマボコ・・ ギャザーみたいだぞ? あの忙しい中で、よくこんなん、作れるな・・!


 衣だけの『 なんちゃってテンプラ 』をダシに沈め、箸でほぐす。 『 天かす 』を、大量に入れたような状態である。 これに七味を振り、ダシを飲む。

( ・・う、うめええぇ~~~っ・・! )

 おきぬさんに言わせりゃ、バカ息子だろうが、このダシの味は、中々のものである。 少し濃い目の、カツオ風味。 空腹時には、たまらない・・・!

 僕は、全てを平らげた。


 勤務時間は、10時までだ。 店は、11時まで営業している。

 9時以降は、客足もまばらなので、僕の業務は厨房に入り、明日の仕込みである。 テンプラにするエビの背ワタを抜いたり、味噌汁の具にするネギを刻んだりする。

 大将が、大きな山芋を冷蔵庫から出しながら言った。

「 これ、頼むわ 」

 月見ソバなどに入れる、『 とろろ 』作りだ。

 山芋に対し、アレルギー反応を出す人が、結構いる。 摩り下ろした山芋に触れた指先が、かゆくなるのだ。 大将も、その1人である。 僕は、全然平気だ。 従って、この山芋下ろし作業は、たいてい僕か、タカちゃんがやる。


 山芋の皮を剥き、下ろし易い大きさに切って、大きなステンレス製のボウルに、ウチワのような特大の下ろし金で、イッキに下ろす。

 ヌルヌルした山芋は、掴み難い。 結構、指先に力が入り、腕が疲れる作業だ。

 タカちゃんが、2つあるカマの内、1つのカマの火を落とし、鼻歌まじりでカマを洗い始める。 今日の鼻歌は、マジンガーZだ。 ・・・ナンで?

 大将は、背もたれ付きの小さなパイプイスに座り、こちらも鼻歌まじりで、エビをさばき始めた。 鼻歌は、『 真赤なスカーフ 』。 アニメ、宇宙戦艦ヤマトのエンディングテーマとして放映当時、毎週、TVで流れていた曲である。

 なぜ、そんな曲を歌うのかも不明だが、選曲もシブ過ぎる・・・ 大体、両方の曲が理解出来る僕にも、そもそも、年代的に問題があるような気がするが・・?

 及川の影響か? ヤツは、強力な、アニメオタクでもあるのだ。


 ソバ屋の厨房に流れる、アニメの軽快なテーマソングと、哀愁を帯びたシブイ旋律のエンディングテーマ・・・

 その中で、山芋を下ろしている僕は、どういうリアクションで、2人に応えれば良いのだろうか・・・?


 2人とも、鼻歌から、段々と歌詞が入り、カンペキな歌になって来ている。 大将なんぞ、ペティーナイフ( 小型の包丁 )片手に、目をつぶって指揮までしてるし。 アブね~から、ヤメなさいって・・・

 2人の『 アッチ 』の世界を断ち切るように、奥さんが、厨房の外から声を掛けて来た。

「 ねえ、真一君。 今日は、香住ちゃん、来るの? 」

 僕は、摩り下ろしていた山芋の向きを変え、ゴシゴシ下ろしながら答えた。

「 どうですかね? 今日は、部活の後、塾へ行くはずだから・・ そうですね、遅くなるので、夕食がてら、寄るかもしれないですね 」

 ホントは、来て欲しい。 ああ、愛しの香住・・・!

 大将が、ナイフをドカッと、まな板に突き立てて言った。

「 真一、いつになったら、香住ちゃんを正式に、オレらに紹介してくれるんだ? あの子だったら、この店の看板娘になるぞ? 」


 ・・・アンタ、勝手にアルバイトにするなよ・・・!


 確かに、香住は、ここでバイトしようかな? なんて言ってたケド、待遇によるぞ? その前に、僕の時給を上げんか。 3年間、不動の850円は、安過ぎやしないか?

 僕は、テキトーに答えた。

「 香住、時給950円以上のトコ、探してるんですよ 」

「 ほう、安いな・・! そんなんで、イイのか? よし、来週からココへ連れて来い 」


 ・・・おい。

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