春を迎えるために

 全ての始まりは、学食での些細な会話だった。


 気まぐれ丼ができるまで待っていると、麺類の列に並ぶ一人の先生と隣になった。創作演習の講義を担当している、児童文学作家である。

 軽い挨拶を交わした後で、先生はこんなことを話した。


 きみはてっきり創作にするのかと思っていたから、作品を読めなくて残念だ。


 話題は卒論についてだった。私は、創作ではなく研究を選んでいた。

 二年生で履修した文学研究の講義があまりに面白く、分析にのめりこんでしまったのだ。


 短編連作として書き上げることはできた。だが、大学での学びというよりは趣味の延長のような気がして、文学研究を選んだのだ。加えて、四年生全員参加の卒論中間発表会が判断基準となった。実名かつ顔を晒して自作を発表するほど、強い精神力を持ち合わせていない。


 創作を選ばなかったことへの後悔は、一つだけあった。

 創作演習で「創作の人は添削をするから提出しなさいよ」と何度も発破を掛けていた。それを聞く度に、私は密かに添削を羨んでいた。プロの意見を知るチャンスは、学生生活で残りわずかと分かっていたから。


 卒論は研究ですが、よろしければ読んでいただけます?

 そう訊いてみようと思うことなく、貴重な時間を削っていた。学食で先生と会話するまでは。


 先生の全身から漂う哀愁のおかげで、書き溜めた小説を添削してもらいたいという欲望が湧いた。思い立つと行動は早い。添削をお願いしたら読んでもらえるのか確認を取った。


 そして、翌週の講義後に幻の卒論を提出した。


 選んだものは「色彩のトランク」、「玉手箱を開けたとき」、「硝子にくるまれて」、「ショータイムのはじまり」の四作品。思い入れのある子達で勝負した。


 数週間後、「色彩のトランク」の添削が返って来た。どきどきしながらページを繰る。


 書き出しや構成についての指摘……ここまでは予想できた。


 一番意外だったアドバイスは、長編にした方がいいということだった。否、長編にすべきだと熱のある反応だった。講義終わりに、先生は語気を強くして激励していた。


 書き切ったと思って満足していた。カクヨムでの反応も手ごたえがあった。だが、長編向けの題材と強く勧められ、胸が熱くなった。


 それは「タイム・ラグ」の落選を知る前の出来事。

 遅ればせながら大晦日に結果を知った私は、ある不安要素を悔やんでいた。


 短篇にしては要素を盛り込み過ぎていたこと。それは長編に耐えうる世界観を、無理やり小さな額縁に収めてしまったことを意味していまいか。


 自信があったはずの「色彩のトランク」でさえ、世界観の認識不足を招いたのだ。「タイム・ラグ」も長編として再構成すべき作品なのか、じっくりと考えていくべきだろうと結論付けた。

 スピンオフで結衣視点の短編を執筆中だったが、落選結果を受けて一時休戦することにした。


 ただひたすら読む、ただひらすら書く。そのことだけが執筆の腕を上げる近道だと思っていた。


 だが、やみくもに突っ走ることに限界が来ているらしい。そろそろ経験の浅さと向き合わなければ、欠点が作品の至るところに露出し始める。


 春――成功の季節を迎えるために、より世界観と向き合うことを決意した。

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