第2話

 始まりは今からおよそ十年ほど前。

 唐突に、そして局所的に濃い霧が発生するようになった。しかも神隠しのように人が消えるという事件が起きた。


 当初、それはホラー映画みたいだと言われていた。

 そしてニュースで見聞きした人々の半数以上は、集団誘拐事件であって、神隠しなどという代物があるはずなどないと主張していたし、ニュースキャスター達の論調はおおむねその方向で固定されていた。


 けれど、神隠しに遭った人々が霧の中から帰ってきたのだ。

 そして語った。


 ――霧の向うには、異世界が広がっていたのだと。


 最初、彼らは集団幻覚を見たのだと疑われた。

 しかし有志が霧の探索を行った後、彼らの言葉は証明されることになった。

 地球上にはいない魔物のような生き物たちの映像記録に、疑う者は消えた。


 これにて霧の向こうに異世界があることは確定した。

 やがて先方の住民と接触することによって、異世界との交流が始まったのだ。


 初めは国家間の物々交換じみたものだったのが、霧が必ず発生する地点に港のようなものが作られた。そして危険生物が多く護衛が必要な為に、かなりの高額ながらも観光旅行が行われるようになる。

 やがて霧の正体がとある魔物が由来することがわかって、行き来するのに法則性が解明され、外国旅行並の扱いとなり――その後、あちらの世界の若者が留学してくるようになった。


 ちなみにこちらの世界からの留学が多くないのは、異世界では身分社会が根強いために危険が生じる可能性があること(というか、既に異世界探索者が被害に遭っていた)が理由の一つだ。


 交流を始めた初期の頃、こっちの世界の延長のつもりでふらっと遊びに出たあげく、人身売買されそうになる事件が起こったのだ。

 また、凶暴なゲームに出て来るモンスターとしか言いようがない生物がいるため、安全を確保しきれないことなどが理由だ。

 さすがに法整備や環境整備がもう少し進むまで保留、となっても仕方ない。

 もし準備が整ったのなら、私も一度は短期留学してみたいと思っている。


 さて、そんなわけでアンドリュー達は異世界のルーヴェステイン王国からやってきているわけだ。

 正式な名前はアンドリュー・リヴィール・なんちゃらかんちゃら・エッシャー・ファン・ルーヴェステインだったか。ここまで覚えただけでも私は偉いと思う。

 天使みたいな王子様アンドリューは、苦笑いのままエドに言う。


「その話はあとでじっくりしようか、エド。じゃあお邪魔したね、沙桐さん」


 アンドリューはエドの首根っこをつかむと、文字通りに離れた場所へ軽々と引きずっていった。異世界の天使というものは、腕力がべらぼうに強いらしい。もしくはこれが噂されている異世界人の特性なのか。

 そのまま彼は、教室の隅で笑顔のままエドを諭し始めた。


「法を守るというから同行を許したことを、もしかして忘れてるのかい?」


「ですが殿下。私はどのような場所へ参りましても、殿下の第一の臣であり……」


「まさかエド、ほとんど留学の手引きを読んでいないわけはないよね?」


「そのようなことはありません。きちんと警備のためにも校内の構造、寮の構造なども把握に努めました」


「……ようするに、それ以外読んでないってことかな?」


 しかし上手くいっていない。

 怖ろしく凝り固まった思想のエドに、アンドリューの天使の笑顔を浮かべた顔がひきつっていた。

 気の毒だが、王子様だというのなら臣下のしつけも彼がどうにかするしかないだろう。


 しかしこの様子では、エドがこちら側の常識を気にして振る舞えるようになるまで、どれくらいの時間がかかるのだろうか。

 ぼんやりと考えていたら、隣の席の女の子が話しかけてきた。


「エドさんって怖い人ね。大丈夫だった? 沙桐さん」


 小さく首を傾けると、彼女のストロベリーブロンドが、細い肩を滑っていく。その時に花の香りがしたように錯覚した。

 華やかな色の髪を背中まで伸ばした彼女は、羨ましいくらい肌が白くて、唇は薔薇色。瞳は青のお姫様然とした、とても綺麗な子だ。


 彼女の名前はヴィラマイン。アンドリューやエドと同じく、異世界から編入してきたお姫様だ。

 うちのクラスの異世界人は、彼女を含めて三人だけである。


 一人ちょっと変なのがいるけれど、アンドリューとこのヴィラマインはこちらの常識にすぐなじみ、気質も穏やかな方でとてもつきあいやすい。

 ついでにこの可憐な姿を見ていると、すさんだ私の心まで洗われるようだ。


「全然平気。エドがきゃんきゃん吠えるのぐらい、どうってことないわ」


 私はヴィラマインを心配させないように笑ってみせる。

 どうせ日本にいる間、元が騎士だろうと大臣だろうと、同級生に剣を振り回すことなどできないのだ。


 さすがにそんなことをしたら、異世界へ強制送還なのはわかっているらしく、エドは暴力に訴えてくることはない。

 敬愛する主人と引き離されたくないのだから。

 それを知っているから、私も安心して強気にはねのけられる。


「沙桐さんは強いのね」


 素敵、と私を賛美してくれるヴィラマイン。

 しかし私は知っている。

 エドがなぜこの席をほしがったか。


 彼は、隣国の王女であるヴィラマインと、主のアンドリューをくっつけようと画策しているのだ。

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