最終話 勇者クリストファーの伝説
──魔王を討伐した後、勇者クリストファーは姿を消した。
その後の行方は誰にも知られていない。ある人間は、神の遣いであった彼は創造主の御許へと帰ったのだと言い、ある魔族は、魔王の命を賭した行いがその存在を消滅させたのだと言う。
噂はすぐに肥大化して伝聞していった。勇者クリストファーは神となって我々人間を守り続けているのだ。勇者によって多くの家族を失った魔族たちが打ち滅ぼしたのだ。役目を終えた勇者は人知れず人間たちに紛れているのだ。魔界のどこかで今でも魔族を殺して回っているのだ──。
時が経つにつれて伝聞は変貌していった。そもそも勇者などおらず人間たちが自ら魔王を討ち果たしたのだ。魔族が人間に破れることなどあり得ない、魔王は覇権争いによって殺されたのだ。王族が流した偽物の神話だ。実は魔族の裏切り者だったのだ──。
人々の無関心と好奇心によって事実は捻じ曲げられ、時間の暴威が容赦なく真実を拭い去っていった。
残ったのはただ人々によって受け入れられ、好まれる物語だけだった。
勇者と魔王がいなくなったことで世界は変わった。
次代の魔王となった前侵略軍総司令のバエラグレス・ディ・ベレルジェは前魔王の消滅を理由に人間界に停戦を申し入れる。魔族たちに対しては魔王軍が壊滅していることと勇者クリストファーの消滅が確認されていないことを、理由として説明した。
人間界はこれを承諾。互いの間で戦争を行わない旨の協定が結ばれ、終戦となった。
その後、魔界と人間界では交流が持たれるようになった。互いの不理解こそが戦争の最大の要因であるという理由からだ。
それは様々な問題を引き起こした。人種の違い、身体能力の違い、価値観の違いがいくつもの小さな争いの火種となり、燃え広がった。それでも、魔王の尽力によって大規模な戦争には発展しなかった。
魔界と人間界の交流が始まって二百年が経過した。互いの違いに慣れ始めたことにより争いはそれまでと比べてかなり減少した。
その中で最も取り扱いが変化したのが『勇者クリストファーの伝説』だった。片や世界を救った英雄。片や大量殺戮者。当初、こればかりは相容れることはないように見えた。
しかし互いの和平のためには、という理由で人間側がこの伝説を完全な神話として取り扱うことにした。
すなわち、勇者クリストファーという存在は実際にはいなかった、当時の人々が作り出した幻想だった、と。
長い時間の中ですり減ってしまった歴史に対して関心を寄せる者はおらず、異を唱える者は誰もいなかった。彼らにとって物語が存在していれば十分で、それが真実かどうかなどどうでも良かったのだ。
──かくして、勇者クリストファーの実在を信じる人々は、人間界の小さな集落一つだけに限られることとなった。
田園風景が広がり、それらの間を縫うようにして質素な木造の建築物が立ち並ぶ。周囲を山々と森林に囲まれた小さな集落。その中心には広場があり、古ぼけた銅像が一つだけ建てられていた。
右手に剣を持ち空高く掲げる。左手には盾を持ちその中央には文様。精悍な青年の顔つきに、今では削れてしまい詳細の分からなくなった鎧。その銅像の土台には掠れた文字で『勇者クリストファー』と書かれていた。
銅像の前で親子が立ち止まる。小さな子供がその銅像を見上げて、父親から説明を受ける。
「これはね、大昔に人々を救った勇者様の像なんだよ」
「へー、かっこいいねー」
無邪気な顔で子供は父親の言うことを信じ、その銅像を再び見上げた。
──銅像は何も言わず、ただそこにあるだけだった。
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