第25話 最後の戦い

 玉座の間は広々とした空間だった。立ち並ぶ巨大な石柱が天井を支え、吊り下がるシャンデリアが広間を煌々と照らす。磨き上げられた石畳の床は奥に進みにつれて積み上げられ、階段となっていた。

 その階段の最上層に玉座が置かれる。彼女はそこにいた。


 純白のドレスに身を包み、その上から深い青のローブが覆う。深いスリットの刻まれた裾の先からは脚が続く。足はローブと同色のヒール。

 輝く白色の長髪に、透き通る青玉の瞳。玉座に違わぬ美しい女王の姿がそこにはあった。

 いつもとは全く違う姿の彼女が、いつも見ていた瞳で僕を見下ろしていた。


 ──綺麗な姿だ、と。場違いにもそう感じてしまう。


「よく来たわね、『勇者』クリストファー」


 玉座に座ったままで、『魔王』は僕を呼ぶ。


「光の精霊の命に従い、世界の均衡を保つためにお前を討ちに来た──『魔王』」


 剣を掲げて、僕は『魔王』に答える。


「なら私は全ての魔族のためにあなたを討つわ」


 冷酷さを装った声が返る。

 分かりきっていた流れを僕たちは辿る。


 彼女は『勇者魔王』──人間魔族たちの願いを叶えるための奴隷。


 僕たちは互いを殺す。見捨てられる恐怖心から逃げるために。誰かを死なせてしまう罪悪感から逃れるために。




 そして自分自身を罰するために──最愛の相手を殺す最愛の相手に殺される




『魔王』がローブを脱ぎ捨てる。その全身に膨大な魔力が漲る。僕も同じように魔力を引き熾す。魔力量は殆ど同じだった。

 僕が剣を構え、彼女は手を掲げる。互いの視線が合わさって、一呼吸。




「じゃあ、始めようか」

「では、始めましょう」




 跳躍。『魔王』の頭上まで高く跳ね上がり、ありったけの力を込めて剣を振り下ろす。刃が不可視の壁に激突。魔力と魔力がぶつかり合う閃光が弾けて、視界を埋め尽くす。互いの力がせめぎ合い、金属音にも似た耳障りな高音が響く。どちらの力も拮抗していて刃が動かない。


 腕を屈伸させ反動で飛び退く。空中にいる僕に魔力弾の追撃が飛来。六発のそれらを剣閃が迎撃。剣が接触する瞬間に魔力を流し込んで防護膜のように展開。魔力弾を爆発させないままに床へと弾く。

 床に着弾した魔力弾が爆発。床を破砕して無数の破片を撒き散らす。爆心地はすり鉢状に穿たれていた。


 そのまま僕は着地、すると同時に横へと跳ぶ。直前までいた場所に魔力弾が着弾。爆炎が広がる。

 僕は二度三度と連続で跳躍して、連発される魔力弾の雨から逃げ続ける。壁際に追い詰められて、眼前に弾丸が迫る。それに剣を叩きつけて正確に相手へと打ち返す。

 魔力弾が障壁に激突して爆裂。爆煙の向こうに無傷の『魔王』が立つ。


 剣に魔力を集中させる。剣身がマナの輝きを帯びて極光を放つ。それを『魔王』めがけて真っ直ぐに振り下ろすと、極大の魔力が指向性を持って撃ち放たれる。

『魔王』の手が掲げられ漆黒色の魔力を膨大に放出。白の直線と黒の波濤が激突する。巨大な力のせめぎ合いが、衝撃波を生み出して周囲を破壊していく。


 対軍勢用の技を『魔王』一体のために放ったけど、これは目眩しだ。衝撃波を全身に受けながら僕は大きく右へと移動。『魔王』の視界から外れる。

 魔力が対消滅して視界が開く。僕を見失った『魔王』に隙が生まれた。切っ先を相手へと向けながら跳躍。魔力を放出して小さな弾丸となって突っ込む。


 当たる直前で相手が気がついた。障壁では防ぎきれないと悟ったのか、身を翻して躱す。玉座に隣接していた石柱に剣が深々と突き刺さった。

 一瞬動けなくなったこちらに対して『魔王』が拳を振り上げる。咄嗟に剣を離し身体を捩って回避。続く頭部を狙った回転蹴りをしゃがんで躱し、回転の勢いのままに放たれた対の脚による二度目の蹴りを、右腕を掲げて防ぐ。

 相手の左脇腹へと左の拳を打ち込むが、左手の打ち下ろしによって防がれる。そのまま右の拳も叩き込むが交差した両腕によって阻まれる。『勇者』の打撃を『魔王』が受け止めた衝撃が波となって広間を走り抜け、石柱の群れに亀裂を入れていく。


「ぐっ……!!」


 真正面から攻撃を受け止めるのは苦しいのか、『魔王』の口から苦鳴が漏れた。

 左手で石柱に突き刺さった剣を引き抜く。水平の薙ぎ払いを放つと『魔王』が側転。逆立ちの状態から蹴りを放ち、ヒールが僕の胸に叩き込まれる。


「ぐぁっ!!」


 苦鳴が自分の口から吐き出される。衝撃で空中に身体が吹き飛ぶが、剣に魔力を込めて振り抜く。

 斬撃の形となった魔力が直進して『魔王』を捉える。障壁が展開されて一部はかき消されるが、防ぎきれなかった部分が相手の肩口を切り裂いた。鮮血が飛び出し、純白のドレスを赤く染める。


 両足から僕は床に着地する。一発ずつの痛み分けとはいえ、相手は想像を遥かに超える強さだ。

 確かに間違いなく、『魔王』は──彼女は僕と同等の力を持っている。

 それが不思議と、少し嬉しかった。彼女だけは、僕と同じなんだ。


『魔王』の手が振り上がり、漆黒の波濤が眼前を埋め尽くす。魔力の暴威を剣を掲げて受け止める。波濤が玉座の間の全域に広がり石柱を次々と薙ぎ倒していった。

 支えを失った天井に亀裂が入り崩落が始まる。真上から落下してきた瓦礫を斬り払い、隙間から跳ぶ。降り注ぐ瓦礫の驟雨を足場として順に乗り継いでいく。


 瓦礫の山の上に降り立ち周囲を見渡す。頭上には魔界の黒々とした空が広がっていた。壁が全て崩壊したせいで完全に外に出ていた。

 彼女の姿が見当たらない。一瞬だけ待ってから跳び上がる。相対的に下がっていく瓦礫に穴が穿たれ、魔力の奔流が噴出するのが見えた。

 着地して即座に反転。自分がいた場所に向けて魔力を斬撃として放出する。穴から飛び出す『魔王』に斬撃が命中するが、障壁がかき消してしまう。


 僕は即座に瓦礫の上を疾駆。剣に魔力を込めて振り下ろす。ぎりぎりのところで躱されて切っ先が瓦礫に一直線の亀裂を走らせる。

『魔王』が飛び退きつつ魔力弾を三発、発射。二発は弾くが一発が至近距離で爆発。爆轟が身体を叩きつけて揺さぶってくる。

 爆煙が晴れると眼前に彼女が迫っていた。体勢が崩れているところに腹部へと膝蹴りが打ち込まれる。


「がはっ!!」


 衝撃が腹から背へと抜ける。身体が吹き飛び、両足が瓦礫を削って強引に止める。突っ込んできた『魔王』が脚を振り上げて踵落としを繰り出すが、飛び退いて何とか躱す。空振りとなった踵が瓦礫に直撃し、瓦礫を粉砕する。着地後、もう一度跳躍して距離を取り剣を構え直す。


 強力な遠距離攻撃と強固な障壁がある以上、遠距離戦は不利。近接戦闘に持ち込むしかない。


 剣に魔力を注ぎ、接近せずにその場で振り抜く。切っ先から魔力の刃が伸びて『魔王』の障壁と衝突。障壁を破れはしないけど、相手をその場に縫い付けられればそれでいい。

 伸長した刃を消し、瓦礫を踏み抜いて接近する。水平に薙ぐと見せかけて剣を急降下させてからの切り上げに変える。一瞬フェイントに引っかかったせいで相手の対処が遅れた。身体を反らして躱すが、切っ先がドレスを切り裂き『魔王』の胸部を軽く掠める。

 振り上がった刃を翻して一直線に落とすが、半身となって躱される。続く刺突を横からの拳が弾く。その瞬間に僕は手を離して『魔王』の腹部に左拳を叩き入れる。


「がっ、はっ!」


 今度は彼女が苦鳴をあげる番だった。

 すかさず右拳を頬へと突き出す。相手の左腕が旋回して弾くが、左足で足払いを放つ。空中に浮いた彼女の腹部に今度は左肘を打ち込む。打撃がまともに入り、『魔王』が瓦礫に叩きつけられる。

 彼女の動きが止まった。瓦礫の上に仰向けとなった『魔王』へと僕は拳を振り上げる。

 その瞬間、相手の手が掲げられて目の前に魔力弾が生成される。咄嗟のことに反応しきれず、拳が魔力弾と衝突。二人の間で爆発が生じた。


「ぐぅううっ!!」


 至近距離での爆発で僕の全身が火に炙られて吹き飛ぶ。即座に着地して足元にあった剣を足で跳ね上げて手に取る。

 魔界の風が爆煙を吹き消す。姿を現した彼女はその全身が汚れていた。肩と胸が切り裂かれ赤黒い血が純白のドレスを汚す。爆発のせいで至る所が煤で黒ずみ、土埃が付着していた。袖や裾は擦り切れて白い肌を晒している。

 消耗しているのはこちらも同じだった。僕は肩で息をしながら自分の状態を省みる。胸部と腹部への打撃によるダメージは殊の外、大きい。魔力弾の爆発も至近距離ともなれば相当の威力があった。


 けど、まだ戦える。僕も彼女も、まだ戦えてしまう。


 剣に魔力を集め、再び極光として撃ち放つ。彼女も同様に魔力の波濤で迎撃をしてくる。僕は切っ先を彼女へと向けた状態で、瓦礫を蹴り出し魔力を後方へと放出。一気に加速して、魔力同士がぶつかり合う激流の中を強引に突破。全身を焼かれながら、波濤の向こう側にいる彼女へと刃を突き立てる。

 激流の中で僅かに方向がずれたために、剣は彼女の胴体ではなく左腕の外側を切り裂くだけだった。僕は両足を瓦礫について急停止する。強引な攻撃手段を取ったことに驚く『魔王』へと向き直り、剣を振るう。


 あえて彼女は躱さずに左腕を斬られる。魔力による最低限の防護によって斬り落とされることはなかった。けど、腕の半ばまで刃は食い込み宙に彼女の鮮血が舞う。

『魔王』の右手を漆黒の魔力が覆い、強靭な爪と化して振るわれる。腹から胸にかけて三本の爪が引き裂き、激痛が襲いかかってくる。

 構わずに僕は振り終わった相手の右腕を狙って剣で水平に薙ぎ払う。前腕を剣が捉えて深々と斬り込む。


 そこからはお互いに防御を捨てた攻撃となった。

 こちらの刺突が『魔王』の肩を貫き、斬撃が太腿を斬り裂き、拳が骨を打ち砕いた。『魔王』の爪が僕の腕を引き裂き、蹴りが身体を打ち抜き、魔力が背中を焼いてきた。

 瓦礫に互いの血が飛び散って赤黒い点を残す。増えていく血痕が小さな川となって流れ出す。

 無数の斬撃と打撃の応酬が僕らの身体を少しずつ削り取っていった。


 剣と爪がぶつかり合い、衝撃がお互いの身体を吹き飛ばす。

 彼女の姿は満身創痍となっていた。純白のドレスはもはや血のドレスとなってボロ布のように擦り切れている。奇しくも、かつて彼女が着ていたもののように。

 僕の全身もぼろぼろだった。背中には巨大な火傷。右腕と右肩と左脚は切り裂かれ、左肩は突き刺されて穴が空いていた。肋か何かが折れて突き刺さっているのか、時折、喉奥から血がこみ上げてくる。


 僕らは互いの姿を見つめる。青玉の瞳に僕の姿が映っている。彼女の傷つききった姿を見て、胸の奥が痛む。


 ──ああ、どうして僕らは戦っているのだろう。戦わなくてはいけないのだろう。一体、何のために。誰のために。


 悲痛さが目的さえ曖昧にする。僕は本当はどうしたかったのか。本当は──



 ──その瞬間、脳裏に『彼ら』の顔が浮かんだ。『彼ら』の罵倒の声が響いた。



 悲哀も愛情も何もかもを恐怖心が押し流す。僕の心を、ただ許してほしいという感情だけが支配する。

 戦わないと。戦って、『魔王』を倒して……そうでないと、そうでないと僕は──。


「くっ……!!」


 剣を両手で握りしめて、恐怖心のままにありったけの魔力を叩き込む。それはついに、『魔王』の魔力量を上回ってしまう。

 彼女の瞳に驚愕が広がる。動揺と、哀しみが広がっていく。彼女にはもう力が残されていなかった。

 そのとき、僕は理解した──やっぱり、『勇者』に並ぶ存在はいなかった。彼女でさえ、そうはなれなかったんだ、と。


「あぁあああああああああああっ!!」


 絶叫と共に僕は剣を振り下ろす。魔力が弾けて閃光の中へと『魔王』の姿が消えていく。



 ──魔界の空に、極光が輝いた。

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