第18話 シャールとしての1日:彼女の理由
翌日(翌朝なのかはよく分からなかった)、僕が目を覚ました頃にはとっくにラヴィーナは起きていた。
「おはよう、シャール」
「……お、おはよう、ラヴィーナ」
朝の挨拶さえ僕はぎこちない。今まで、起きた直後に誰かと顔を合わせるなんてことが少なかったせいだ。
ぼけっとしている僕を尻目にラヴィーナは何か準備をしていた。部屋の隅にある大箱からローブやら小瓶やらを取り出している。
「どこかへ行くのかい?」
「近くに街があるから、あなたを連れて行くわ」
う、まずいな、と心の中で思う。街に連れて行かれるとちょっと困ったことになりそうだ。
正確には多数の魔族の目に触れると、困る。ラヴィーナはまだ僕が魔族でないことには気がついていない様子だったけど、他の魔族が同じように思ってくれるとは限らない。むしろ、大勢の目に触れれば触れるほどリスクは増す。
「ま、まだ記憶が戻ってないし、街に行って問題が起きないかな……?」
懸念をそれとなく極めてオブラートに包んだ言い方で伝える。
僕の胸中を知らないラヴィーナはいつものようにくすりと微笑んでいた。
「何かあっても私が何とかしてあげるから、平気よ」
その返事に僕の言葉は続かない。ここまで断言されてしまっては反論のしようがない。
こうなった以上、実際に行ってみるしかない。問題が起きた場合はそのときに対処することにしよう、と僕は覚悟を決めたのだった。
あまりにも行き当たりばったりだけど、事前情報を一切得られないままに魔界に来ることになった以上、仕方がなかった。それに何か起きたとしても、たいていの魔族相手なら何とかなる、という楽観視もあった。
いやもちろんそうなれば『魔王』が来てしまうだろう。そうすれば"まだ"今の僕では負けてしまう。だから厳密には全く馬鹿げた楽観視だった。
なのに何故か、そんな気楽な思いを持ってしまった。きっとラヴィーナが何とかしてくれると言ってくれたからだろう。こんなことを言ってくれる相手は今までいなかった。もうずっと、ずっとだ。
だからそんななんてことのない一言で、『魔王』に見つかる可能性という重大なことが頭の中から放り出されてしまったんだ。
僕はずっと、こんなことを言ってほしかったのかもしれない。
「分かった、ありがとう。何から何まで……」
「いいのよ。困ったときはお互い様でしょ」
僕のお礼にラヴィーナが答えてくれた。
彼女はきっと知らない。僕が今、泣きそうなぐらい嬉しいんだってことを。こうして対等に話せることも、困ったときに助けてくれるということも、何もかもの一つ一つが泣いてしまいそうなぐらい嬉しいんだってことを。
ふと、小さな疑問が浮かぶ。
どうして彼女は初対面の相手にここまで親切なのだろうか。それとも魔族はこういった価値観が標準なのだろうか。
これぐらいの疑問なら、尋ねてみても怪しまれたりはしないだろう。
「ねぇ、ラヴィーナ。君はどうして、見ず知らずの僕に親切にしてくれるの?」
僕の問いかけにラヴィーナが準備の手をぴたっと止めてしまう。
しまった、何かマズい質問だったんだろうか。魔族にとっては何か特別な意味のある質問だったのかもしれない。
緊張したまま僕が答えを待っていると、彼女が振り返った。
「だって……独りは寂しいじゃない」
ラヴィーナは微笑んでいた。それは穏やかでありながらどこか寂しげなものに見えた。
──ああ。その言葉は僕が何よりも誰かに言ってほしい言葉だった。
人間からは人間扱いされず、魔族からは怨敵として見られる。僕はもはや何者でもなくなってしまった。『勇者』としての役割、機構──そういったものを担うだけの存在である僕は、ずっと独りで戦ってきた。
だから……独りは寂しい。そう誰かに言ってほしかった。
もちろん、彼女はそんなことは知らずに言っている。それぐらいのことは僕にだって分かっていた。
それでも、僕は涙を堪えるのに必死だった。彼女が何も知らずに言った、僕の状況と何も関係のない単なる言葉であったとしても。
それと同時に罪悪感に胸が締めつけられる。彼女は本心から僕を助けてくれているというのに、僕は彼女の厚意を踏みにじっている。僕は魔族にとっての敵にすぎない。それを僕は偽っている。
誰かを慈しんで味方になろうとする。その気持ちを裏切っちゃいけない。相手が魔族だとかは関係ない。それなのに僕は──。
「……ありがとう、ラヴィーナ」
僕は
本当は今すぐに自分の欺瞞を明かしたかった。記憶喪失なんてのは嘘っぱちで君を利用しようとしているだけなんだと言いたかった。
けど、できなかった。僕の表情も舌も喉も全部が僕の本心とは違う動きをした。
いや、本心と違う動きなんかじゃない。僕は人間たちの前にいるときと同じように、望んで嘘をついていた。
怖いんだ。人間たちの罵倒以上に、今ここにいる彼女に『勇者』と見られて恐れられることが、何よりも怖い。
だから僕は僕のために、彼女を騙し続けることを選んだ。自分勝手にもほどがある。
これじゃ、自分たちが生き残るために僕を
……一緒じゃないか。
「……いいのよ、別に」
背を向けている彼女の表情は僕には見えなかった。
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