第15話 血霧の彼方に得たもの

 魔界と人間界を繋ぐ門は森林の中にそびえ立っていた。


 黒曜石と似た色合いの素材で作られた禍々しい意匠の門。扉があるべき箇所では極彩色の魔力が渦巻いていた。

 あの中に飛び込めば魔界に行けるはずだ。もっとも、誰も試してなどいないけど。


 僕はその門の前に立っていた。背後には重武装した兵士が隊列を組み、その内側に大臣とやらが陣取っていた。


 あの後どうなったかといえば。『魔王』との敗戦後。魔族の最後の拠点を陥落(実際には消滅)させたので人間たちの王に報告をしに行った。あの魔剣士が確か、六大魔将とかいう敵軍幹部の最後の一人だったはずだ。幹部を含めて人間界からは一切の脅威が排除されたことになる。


 予想どおり、人間界側の安全が確保されたことを理由に、魔界に侵攻するように言われた。

 もちろん、僕一人で、だ。対抗できる戦力が他にいないから仕方ない。分かっていたことだし、ついてこられても困る。


 そして僕が入った後は兵士を多重に設置して常時監視するそうだ。魔族相手にほとんど戦えない人間が監視して実際に意味があるかは別として、こうするのも当然だろう。


 もう一つ。こちらは効果がありそうなんだけど……僕が入った後の門は封印術で閉ざすらしい。

 確かにこれなら魔族が出ようとしたときに多少は時間稼ぎができそうだ。ついでに僕も出られないが。


 要するに『勇者』を放り込んだ上で門を閉ざして人間界側に出られないようにするということだ。人間界から魔族がいなくなった以上、『勇者』も必要ない。『魔王』を倒してもらう必要はあっても戻ってこられては困るのだろう。


 つまりは生贄みたいなものだ。人間たちを救うための『魔王』への生贄。勝っても負けても戻れない。

 実際のところ、彼らが施す封印術程度ならば破れる。ということは『魔王』も破れるので、やっぱり意味はない。そうと知らないのは人間たちだけだ。


 彼らが僕を使い潰すつもりでいるのは分かっていた。分かっていたけれど、こうはっきりと人間界を追放されると少し心にくる。

 それでも僕は魔界に向かわなくてはならない。どうせ初めから人間界に……いや、この世界に僕の居場所などないのだ。だから、今更だ。


 そして何よりも、あのときに死なせてしまった子供のために僕は戦い続けなければならない。贖うために。これ以上、死なせないために。


「ではクリストファー様、お気をつけて。こちらのことはお気になさらず、魔王を討伐してください」


 大臣が僕に向かって緊張したような面持ちを向けてきていた。僕は笑顔で答える。


「必ずや平和を取り戻してきます。吉報を待っていてください」


 気にするな、の意味が違うような気もするけど、どうでもいい。

 門の中へと足を踏み入れる。景色の全てが歪み、後ろへと流れていった。全身を浮遊感が包み、周囲が極彩色で満たされる。


 膨大な魔力の流れだ。僕にとっては大したものじゃないけど、人間だったらどうだろうか。もしかすると通ろうとしても魔力に肉体を破壊されて無理だったかもしれない。


 後ろで魔力の流れが遮断される。どうやら早々に封印術を施したらしい。そういうときの行動は早いもんだ。呆れるどころかむしろ感心する。


 この先は魔界。真に敵しかいない世界だ。


 そんなところに赴き、『魔王』と死闘をすることになるというのに、今となっては僕の心は平然としていた。

 理由は二つあった。一つはこの先には人間が誰もいないということ。そう思うぐらいには、僕は彼らのことが嫌いだった。戦い、殺して回ったけど、魔族の方がまだ好ましい。


 そしてもう一つの理由は──些か、破滅的だった。

 いや、破滅そのものだった。僕はこう考えていた。


 ──『魔王』ならば、僕を殺して全てを終わらせてくれるのではないか、と。


 魔力の流れが収まってきた。水に絵の具が滲むように極彩色の景色に黒色が混ざりこむ。

 浮遊感が消えて両足が地面を踏みしめる。


 足元は灰色の大地。景色はどこまでも暗く、天上には闇色の暗雲が立ち込める。枯れ木と砂岩が続く死んだような荒野がただひたすらに続いていた。


 これが魔界なのか。正直、驚いた。ここまで何もないとは思っていなかった。


 これを見てしまえば、彼らが人間界に侵攻したのも頷ける。魔力は確かにあるのに、生物の気配がしない。死の大地としか、呼びようがなかった。

 肌に絡みつくような嫌な空気が漂う。心なしか息苦しい気さえする。

 背後を振り返ると、人間界と同様の門が屹立していた。魔力の流れは存在する。けど、もう帰る先なんてないだろう。


「……じゃあ、行くか」


 小さな呟きと共に一歩を踏み出す。この地で、僕の長かった戦いも終わるのだろう。結末はどうであれ。

 終わるのならば結末なんてどうだっていい。報いがあると思うほど、希望なんて持っていないのだから。

 何はともあれ、どこに何があるか調べる必要がある。門の周辺に軍がいないのは不思議だったけど、とにかく僕は歩き始めた。



 ──そのとき、僕は自分を見つめていた人影には気がついていないのだった。

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