朝起きたら知らない男が隣にいました。

楸 梓乃

朝起きたら知らない男が隣にいました。

「聞いてくれるマスター?」

「大将だよ。なんだい雪ちゃん、悩み事かい?」

 テンションがおかしい。大柄でごつい見た目で『マスター』というよりは『熊』と呼び名がつきそうな大将をそんなふうに呼んで困らせる雪は、それでもやっぱり飲み屋は行きつけのここ以外行かないようにしようと心に誓う。あんな醜態二度とごめんだし、友人たちは雪を冷たく放り出したわけだし、それが原因で見ず知らずの男と一夜を……

「あ~~~~~~~~~!」

 とそこまで思い出して頭を抱える。あの優男のニヤついた顔が脳裏にこびりついて離れない。致命的な間違いはなかったとはいえ服を脱がされるまでいくなんで信じられない。男の風上にも置けない。

「雪ちゃんどうしたんすか」

 大将の後ろからひょこりと顔を出したのは、雪とそう歳の変わらない店員の松村純だった。

 純もイケメンの部類に入る容姿をしている。ただし今雪がもっとも思い出したくないものを想起する優男系イケメンだ。

「純さん! 純さんが悪いわけじゃないんだけど、今その顔は傷口に塩だわ……」

 顔を見て突然傷口に塩などと言われ、純は目を白黒とさせている。

「何かあったんですかねぇ」

「まあまあ、雪ちゃんも色々あったってこったな」

 大将のフォローが入ってようやく純も業務に戻っていった。

「なんだい、男と何かあったのかい」

「聞いてくれるかマスター……口に出すのもおぞましい今朝の最悪な出来事を……」





 まず思ったのは、ここはどこ? だった。

 ぼやけた視界からちょっと茶色になった天井、その割に今体を包んでいるシーツは上等そうでさらさらだ。自分の家の布団はかなり年季が入っているからそうもいかない。部屋もこの時期は肌寒いはずなのに心地よい温かさに温度が保たれている。

 眼鏡を求めて頭上を探るとさほど苦も無く見つかった。

 それを掛けて起き上がろうとすると頭が痛んだ。そうだ、昨日無理矢理会社の飲み会に連れていかれたんだ。そしてしこたま飲まされた。弱いほうじゃないけど別に強くもないから潰れちゃって……そしてそして、その後どうなったんだっけ?

 回想していると唐突な煙臭さが雪を襲う。

「うっ!? げほっ」

 思わずむせ返ってその正体を見ると、一人の男がベッドに腰かけてタバコをふかしていた。

 そこでようやく雪は自分はベッドの上に寝かされていて、しかも下着姿だということに気がつく。

「なっ、な、ななななっ、なんっ」

「あっは! ウケるその顔! 写真撮っていい?」

「ダメに決まってるでしょう! ていうか誰ですかあなた!」

 構えているスマホに手を伸ばすも、ひらりと躱されてしまう。

 男は細身でふわふわのパーマがかった髪に白い肌で、いわゆるイケメンと称しても差し支えない容貌をしていた。しかし第一印象が最悪な雪にはただの優男としか映らない。優男がベッドに座って煙草を吸っている。だらしなさ全開だ。

 そこではたと立ち止まる。知らない部屋、下着姿の自分、そして極めつけは隣に知らない男!

 まさかここはいわゆるラブホなのでは?

「う、うそでしょ……」

 とにかくシーツを身体に寄せて身を守る。

「ふぅん、有沢雪っていうんだ。かわいい名前じゃん」

 絶望感に満たされている雪に追い打ちをかけるように、男は知るはずのない名を口にした。

「なっ、なんで……!?」

 自分の名前を言い当てられ、雪は動揺する。しかしすぐに、彼の手元にある紙切れに気づく。雪の名刺だ。

「なに勝手に見てるんですか!」

 取り返そうと手を伸ばすが、すらりと長い腕が名刺を高々と持ち上げてしまう。

「いいじゃん、名刺なんだし」

「あなたみたいな得体のしれない人に渡すためのものじゃありません! ホント何なんですかあなた!」

「道端でべろんべろんに酔っぱらってた君を介抱してあげた、優しいお兄さんですよー」

「そっ、それは……でっ、でも、ふ、服……」

「寝にくそうだから脱がした。キレイな体してるね」

 もうパニックだ。穴があったら入りたかった。手元にあった枕を男に投げるがまたもひらりと躱されてしまう。

「褒めたのにこれは酷いな」

「当たり前です! 私たち全然知り合いでもなんでもないんですよ!? それなのに……それなのに……」

「服脱がされたぐらいで大げさな」

「大げさじゃないです!!」

「なに、もしかして処女だったりするの?」

「しょっ……!」

 あけすけのない言い方にまたもパニックだ。女子に向かってなんてことをいうのだろうこの男。

 ちなみに有沢雪、生まれてこの方男性と性交渉したことはない。純潔とかいえば聞こえはいいが、単に付き合った男性もいなければいきずりの男とするだけのバカではないだけだ。

「処女ですけど! 悪いですか!」

 大声をあげ、ハッとする。何を馬鹿正直に相手にしているのだろう。雪は床に散らばった服をかき集め着替え始める。その様子は男にまじまじと見られていたが、この際無視することにした。

 着替え終わると鞄をひっつかみ、何も言わずに部屋を後にした。





「はっはっはっはっ! それは災難だったな!」

「笑い事じゃないですよ、マスター」

「おいおい、柄にもなくこじゃれた呼び方するんじゃねーよ。大将だよ大将!」

 今朝のことを深刻に話しているというのに、大将は大笑いだ。他人にとっては笑い事かもしれないが、実際体験した雪にとっては恐怖でしかないのだ。

「雪ちゃん、変なのにつきまとわれて大変ですねぇ」

 大将の弟子の純が、さも他人事だといわんばかりに言ってくる。他人事なのは間違いないが、この師弟、処女を奪われかけた女性の話にデリカシーがなさすぎじゃないか?

「本気の恐怖体験だったんですからね!」

「まぁまぁ。でも結局なにもされなかったんだろ? ラブホとはいえ世話してくれたなら、恩を感じるところもあってもいいくらいだ」

「ありえない!」

 雪はカウンターに突っ伏す。男とはここまで女に冷たくなれるのか。だとしたら雪も男に対しての認識を改めざるをえなくなる。

「はっはっはっ! 悪かったよ雪ちゃん! 怖かっただろ。無事でよかったよ! 一杯おごるよ」

「大将~~~~~!」

 男に対しての偏見を持ちかけていた雪もその言葉でころっと笑顔になる。現金な雪に大将はまたもや大笑いするのだった。



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